第十二話 金の花嫁
五。金の花嫁、とき。
飢ゑの年、村、神に金を請ふ。神、これに応ず。
とき、三月にして山を下り、村を去る。不貞なり。
ときは幸せであつた。
*
五日目の朝、わたしは柱に手を当てて、じっとしていた。
木と、土と、金。
咲さまはそう言った。
わたしは、四日間ここにいて、木と土しか知らなかった。動くときに軋む音。掘り返した土の匂い。
三つ目を、探した。
掌をずらして、幹の面を撫でていった。
節のあたりで、指が止まった。
冷たい。
そこだけ、周りより冷たかった。爪を立てると、かちり、と音がした。木を叩く音ではなかった。
わたしは、手を離した。
三つとも、そこにあった。
わたしが気づいていなかっただけだ。
*
昼過ぎに、参道を上ってくる足音がした。
わたしは戸を開けて、外に出た。
人だった。
女の人だ。年は五十くらいだろうか。縞の着物に、前掛けをして、脚絆を巻いている。町の女の人の格好だった。頭に手拭いを巻いて、大きな風呂敷包みを背負っている。
息が上がっていなかった。
その人は、わたしを見て、足を止めた。
上から下まで、じろりと見た。
値踏みをされた、と思った。
「あんたかい。今度の」
「はい」
「名は」
「あさ、と申します」
その人は、鼻から息を吐いた。
「あたしは、とき」
わたしは、その場に膝をつきそうになった。
*
ときさんは、社の前の石に腰を下ろして、風呂敷を解いた。
中から、竹の皮の包みが出てきた。開けると、握り飯が六つ入っていた。
わたしの前に、押してよこした。
「食いな」
わたしは、動けなかった。
「食いなって」
「あの、でも」
「五日目だろ。米はいくら持ってきた」
わたしは、帯に手をやった。
「ひとつかみ、くらいです」
ときさんは、そこで、はっきりと舌打ちをした。
「一日ぶんもないじゃないか」
わたしは、握り飯を一つ取った。
塩がきいていた。
二口食べたところで、涙が出た。米を噛みながら泣いた。四日ぶりの飯だった。
ときさんは、何も言わなかった。
言わずに、自分も一つ取って、食べた。
*
「なぜ、来てくださったんですか」
わたしが訊くと、ときさんは前掛けの内から紙を出した。
小さく折った、粗い紙だった。
開いて、わたしに見せた。
五文字。
みずがへる
わたしは、その字を知っていた。
姉の字だった。
「三日前に届いた。町の飛脚が持ってきた」
ときさんは、紙を畳んだ。
「あの子から、三年でこれが二度目だ」
「二度目」
「一度目は、下りた年だよ。四文字だった」
ときさんは、遠くを見た。
「いきてる、と書いてあった」
わたしは、握り飯を持ったまま、動けなかった。
「それだけかい、と思ったよ。あたしゃ返事を書いた。何があった、って。返事は来なかった」
ときさんは、紙を懐に入れた。
「三年待って、来たのがこれだ」
みずがへる。
「あの子はね」
ときさんは、山を見上げた。
「三年、水を見てたんだ」
*
「ときさん」
わたしは、そこで訊いた。
「帳面に、村が神さまに金を請うたと書いてあります」
ときさんは、笑った。
声を出して笑った。この山で、そんな音を聞いたのははじめてだった。
「山に金が湧くかい」
「湧きません」
「そうだろ」
ときさんは、握り飯の最後を口に入れて、指を舐めた。
「金を出したのは、あたしだよ」
わたしは、息を止めた。
「あの年、村は米が買えなかった。買う金がないんだ。隣村じゃ人が死んでる。うちの村でも、そろそろ出るってところだった」
「はい」
「で、寄り合いだ。何を売るか、って話になった」
ときさんは、指を折った。
「田は売れない。売ったら来年食えない。山も売れない。牛は二頭しかいない」
指が、四本目で止まった。
「あとは、人だ」
わたしは、口を押さえた。
「男は売らないんだよ」
ときさんは、そこで、はじめて声を低くした。
「働き手だ、跡取りだ、名を継ぐんだって、いくらでも理屈がつく。男は高いんだ。売るには高すぎる」
わたしは、余白の一行を思い出した。
むらのおとこは たかかつたよ。
「じゃあ、女はどうだって話になる。若い娘は嫁に行く先がある。子を産む。そっちも高い」
ときさんは、わたしを見た。
「あたしは三十五で、独り身で、家も継がない女だった」
わたしは、何も言えなかった。
「いちばん、安かったんだよ」
*
「ときさん」
「なんだい」
「村が、決めたんですか」
「いや」
ときさんは、首を振った。
「決まる前に、あたしが言った」
わたしは、顔を上げた。
「寄り合いの座敷でね。あたしを売れ、って言った。ただし、値はあたしがつける、って」
「値を」
「そうだよ。村の男が町の女衒と話したって、足元見られて終わりだ。ああいうのは、慣れてる者がやらなきゃ駄目なんだ」
ときさんは、指で膝を叩いた。
「あたしは町へ行って、三軒回った。いちばん高いところに決めた。前金で半分もらって、それで米を買った」
わたしは、その話を、うまく飲み込めなかった。
「では、山に上がったのは」
「あれは、あとの話さ」
ときさんは、鼻で笑った。
「村がね、困ったんだよ。娘を売った金で食ったなんて、外に知れたら恥だ。子や孫に言えない」
わたしは、そこで、わかった。
「だから、山の神さまが金を出したことにした」
「そうだよ」
ときさんは、社を見た。
「あたしを三月ここに置いて、金の花嫁と呼んで、それから下ろした。そうすりゃ、あれが出した金になる」
わたしは、両手で顔を覆った。
「そんで、あたしが村を出たら、不貞なりだ」
ときさんは、笑わなかった。
「よくできてるだろ。あたしが悪い女なら、村は誰にも助けられてないことになる」
*
「ときさん」
わたしは、顔を上げた。
「村は、いま、また堰を作っています」
「知ってる」
「新しい丸太でした。この夏のものです」
「知ってる。だから来たんだよ」
ときさんは、立ち上がった。
「あたしはね、先月、村に金を持って行った」
わたしは、目を見開いた。
「井戸を掘る金だ。沢から引かなくても済むように。町の井戸屋の当てもつけた。全部あたしが出すって言った」
ときさんは、村のほうを見下ろした。
「断られたよ」
「なぜ」
「受け取ったら、あたしが村を助けたことになるからさ」
わたしは、動けなかった。
「あたしはね、不貞な女なんだ。十五年、そう言い続けてきたんだ。いまさら助けられちゃ困るんだよ」
ときさんは、前掛けの紐を結び直した。
「あの村はね、あさちゃん。沼が涸れて芙美さんが上がってくるほうが、まだましだと思ってるんだ」
*
日が落ちて、わたしたちは中に入った。
ときさんは、板の間に上がると、暗いところに向かって、頭も下げずに言った。
「久しぶりだね」
答えはなかった。
わたしは、はらはらして見ていた。
「あんた、まだ木を着てるのかい。重たかないの」
軋む音がした。
それから、声がした。
「……とき」
ときさんは、鼻から息を吐いた。
「覚えてたのかい」
わたしは、そこで気づいた。
この人は、あの方を名で呼ばない。
あんた、とだけ言う。
しのさまは、おまえ、と呼んだ。
姉は、なをよぶな、と書いた。
三人とも、生きているか、自分で死んだ人だ。
*
夜が更けてから、わたしは訊いた。
「ときさん。ひとつだけ、伺ってもいいですか」
「言いな」
「あなたは、いくらで売られたんですか」
ときさんは、即座に答えた。
金額を言った。米が何俵買えて、村が何日食えて、十五年で元をいくら取ったかまで、指を折って言った。
この人は、なんでも数で言う。
だから、わたしは、次を訊いた。
「では、あの方は、あなたに何を払いましたか」
ときさんの指が、止まった。
止まって、それきり動かなかった。
板戸が、鳴った。
わたしは、待った。
この人が黙るのを、はじめて見た。
「ときさん」
「……待ちな」
声が、変わっていた。
留吉さんの言葉を、わたしは思い出した。
勘定の顔じゃなかったよ。
「あたしは」
ときさんは、そこで一度、口を閉じた。
「あの三月にね。ここに、三月いたんだ」
「はい」
「あれはね、あさちゃん」
ときさんは、暗いところを見た。
「あたしに、値をつけなかった」
わたしは、息を吸った。
「村はつけた。女衒もつけた。あたしも、自分でつけた。三十五で、独り身で、いくらだ、って」
ときさんの声が、掠れた。
「あれだけが、つけなかったんだ」
わたしは、板の間に座ったまま、その言葉を聞いていた。
「あたしは三月、ここにいて、いくらだと訊かれなかった。生まれてはじめてだったよ」
ときさんは、袖で目を拭った。
「いくら払ってもらったかって訊かれてもね。あたしゃ、それは、勘定できないんだよ」
*
その夜、ときさんは板の間で寝た。
寝る前に、こう言った。
「あさちゃん。ひとつ覚えときな」
「はい」
「村はね、六代かけて、注文どおりの神さまを作ってきたんだ」
闇の中で、声だけが聞こえた。
「月が欲しけりゃ月を頼む。火が欲しけりゃ火を頼む。金が欲しけりゃ、金を頼む」
ときさんは、寝返りを打った。
「原価はね。ぜんぶ、娘だ」
わたしは、天井を見ていた。
村は、この人を金の花嫁と呼んだ。
金で買われた娘、という意味だと思っていた。
違う。
金だったのは、この人のほうだ。
値のつくもので、村を食わせて、そして誰よりも硬かった。
山が鳴った。
わたしは、まだ、なにも呼んでいない。




