↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
七曜の花嫁 ~嫁いだ六人は、すべて幸せであつた~  作者: 御子柴 流歌
第二章 真実

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/14

第十一話 木の花嫁



 四。木の花嫁、咲。


 山鳴りの年、山へ上がる。


 咲は下りず。神木となりて、いまも御名山に在り。


 咲は幸せであつた。



    *



 四日目の朝、わたしは訊いた。


「咲さまのことを、伺ってもいいですか」


 柱は、答えなかった。昼は答えないのだと、もうわかっている。


 わたしは戸を開けようとして、それから、もう一度だけ振り返った。


「あの方は、いまも、あそこにおられるんですか」


 少し間があった。


 それから、はじめて、昼に声がした。


「……聞けばよい」


 わたしは、動けなくなった。


「聞ける、というのは」


「まだ、いる」


 それきりだった。


 わたしは、袂に手を入れた。


 黄楊の櫛が、そこにあった。



    *



 参道を下りた。


 四日ぶりの下り道だった。上ってきたときは夕方で、白い着物で、何も知らなかった。


 半町で、御神木の前に出た。


 朝の光が、枝のあいだから落ちていた。


 わたしは幹の前に立って、掌を当てた。


 温かい。


「咲さま」


 わたしは、四日前と同じことを言った。


 四日前は、風が枝を鳴らしただけだった。


 今度は、違った。


「あらまあ」


 わたしは、手を離した。


 声は、上から来た。頭のずっと上、枝のあたりから、女の声がした。


 年寄りの声だった。柔らかくて、少し高くて、笑いを含んでいる。


「あんた、日の子だね」


「……はい」


「そう。そうかい。日ねえ」


 枝が、揺れた。風はなかった。


「上手におつけになるのよ、村の人は」


 わたしは、その場に膝をついた。


 膝が、勝手に折れた。


「咲さま。あの、わたし」


「あわてなさんな」


 声が、笑った。


「三十年ぶりだからねえ。ゆっくりおし」



    *



 咲さまは、よく喋る人だった。


 わたしは、それが意外だった。三十年立ち続けている人は、もっと恐ろしいものだと思っていた。


「あんたの前の子はね、なんにも言わないの」


「姉です」


「あら、姉さんかい。似ておいでだこと」


 枝が揺れた。


「半年ね。半年いて、いっぺんも喋らないの。あたしはここから見てるだけだから、何があるのかはわからないけどね」


 わたしは、そこで気づいた。


 この人は、過去のことを、今のことのように喋る。


「咲さま。姉は、三年前に下りました」


「そう。宮守さんが背負って下りるのよ。あの年で。かわいそうにねえ、腰を痛めるよ」


 わたしは、口を閉じた。


 訂正しても、意味がないのだと思った。


 この人の中では、たぶん、全部が今なのだ。



    *



「咲さま。伺いたいことがあります」


「なんだい」


「あの方は、なぜ、顔がないんですか」


 枝が、鳴った。


 風がないのに鳴る。この人が息を吸う音なのだと、わたしはそのとき思った。


「名がないからよ」


「はい」


「名がないとね、形が持てないの。人だって、名前がなけりゃ呼ばれないだろう。呼ばれないものは、そこにいないのと同じでしょう」


「はじめから、なかったんですか」


 少し、間があった。


「ないのではないのよ」


 声が、低くなった。


「なくなったの」


 わたしは、幹に手をついた。


「誰が」


「知らないねえ。あのひとも知らないの。忘れたんじゃなくてね、なくなったから、覚えていられないのよ」


 枝が揺れた。


「昔のことよ。あたしが来るよりも、ずっと」


 わたしは、村を見下ろした。


 御名山。御名の山。


 名のない神の山を、村はそう呼んでいる。



    *



「それでね」


 咲さまは続けた。


「名がないから、呼ばれた名になるの」


 わたしは、顔を上げた。


「呼ばれた」


「そうよ。月と呼べば、月におなりになる。火と呼べば、火におなりになる。あのひとは、断れないのよ。断る口がないんだから」


 わたしは、息を吸った。


「では、花嫁の嫁名は」


「そう。それよ」


 枝が、鳴った。


「村はね、花嫁に名をつけるでしょう。月の花嫁、火の花嫁って。あれはね、花嫁につけてるんじゃないの」


「あの方に、つけている」


「そうよ。花嫁を通してね」


 わたしは、その場に座り込んだ。


 六代。


 村は六代にわたって、自分たちの神に、自分たちで名前をつけてきた。


 欲しい神を、注文してきたのだ。


 火が欲しければ、火の花嫁を送る。水が欲しければ、水の花嫁を送る。金が欲しければ??


「咲さま」


 わたしは、震える声で訊いた。


「あの方は、いま、何を着ておられるんですか」


「三つよ」


 あっさりと言った。


「三つ、ですか」


「木と、土と、金」


 わたしは、指を折った。


 木は、この人だ。


 土は、姉だ。


 金は。


「なぜ、その三つなんですか」


「呼んだ子が、生きてるからよ」


 枝が、静かに揺れた。


「死んだ子の名は、抜けるの。多鶴さんの月も、しのさんの火も、芙美さんの水も、みんな抜けてる。生きてる子の名だけが、残るのよ」


 わたしは、口を押さえた。


 咲さまは、生きている。


 姉は、生きている。


 ときさんは、生きている。


 三人ぶんの名を、あの人は、いま同時に着ている。


 動けない木と、黙る土と、値のつく金を。



    *



 わたしは、袂に手を入れた。


 櫛を出した。


 掌に乗せて、幹のほうへ差し出した。


「咲さま。これ」


 枝が、止まった。


「あら」


 声が、変わった。


「それはね、わたしの櫛よ」


「はい」


「歯が三本欠けてるの。母が買ってくれるの。町の市でね。安いのよ、それ。ほんとに安いの」


 わたしは、掌を見た。


 三十年、この木の根元に埋まっていた櫛だ。


 この人の母は、とうに亡くなっているはずだった。


「咲さま」


「なんだい」


「これ、持って上がられたんですね」


「そうよ」


 声が、少し小さくなった。


「いけないのよ、ほんとはね。持っちゃいけないの。荷物は駄目だって、みんな言うでしょう」


「はい」


「でもねえ」


 枝が、鳴った。


「髪を、梳きたいじゃない」


 わたしは、掌の櫛を握った。


 握って、そこでようやく泣いた。


 三十年立っている人が、掟を破って持ってきたものが、これだ。


 髪を梳きたい。


 それだけだ。



    *



「咲さま。ひとつだけ、伺わせてください」


 わたしは、袖で顔を拭いてから言った。


「あなたは、なぜ、木になられたんですか」


 長い間があった。


 この人が黙るのは、はじめてだった。


「頼んだのよ」


「頼んだ」


「あたしがね。あのひとに」


 枝が、ゆっくり揺れた。


「あたしも、花嫁帳を読むでしょう。七日かけてね。三人ぶん読むの。多鶴さんと、しのさんと、芙美さんと」


 わたしは、幹に手をついた。


「芙美さんはね、連れて行かれるの。日の暮れに、村の男が四人で上がってきて、連れて行くの」


「はい」


「あたしはね、それが怖いのよ」


 声が、はじめて、震えた。


「怖くて怖くて。だから、言うの。あのひとに」


 枝が、鳴った。


「ここから離れたくない、って」


 わたしは、目を閉じた。


「そうしたらね」


 咲さまは、笑った。


「叶えてくださるの」


 わたしは、幹に額をつけた。


 樹皮が、頬に食い込んだ。


 この人は、連れて行かれるのが怖かった。だから離れたくないと言った。


 そして、彼は、断れなかった。


 断る口がないのだから。


 村は咲さまを木の花嫁と呼んだ。


 木の神に嫁いだ娘、という意味だと思っていた。


 違う。


 木になったのは、この人のほうだ。


 三十年、同じ場所に立って、動かないでいる。


 自分で頼んだ通りに。



    *



「咲さま」


 わたしは、そこで訊いてしまった。


「幸せですか」


 枝が、止まった。


 止まって、しばらく動かなかった。


 それから、こう言った。


「幸せよ」


 迷いのない声だった。


 迷いがなさすぎた。


「毎日ね、あのひとが見えるの。あの社が、ここから見えるのよ。三十年、ずっと見てるの」


 枝が揺れた。


「幸せよ」


 二度言った。


 わたしは、そこで、常吉さんを思い出した。


 日が当たっとるからだ、と、二度言った人だ。


 この村の人は、みんな、本当のことを一度しか言わない。


 二度言うのは、そうでないときだ。


 わたしは、何も言えなかった。



    *



 帰りぎわに、咲さまが言った。


「日の子」


「はい」


「あんたは、まだ動けるねえ」


 わたしは、足を止めた。


「はい」


「なら、動けるうちにお決めなさい」


 枝が、鳴った。


「あたしはね、決めてから、動けなくなったんじゃないの」


 声が、優しかった。


「動けなくなってから、あれは決めたことだったと思うことにしたのよ」


 わたしは、振り返った。


「咲さま」


 答えはなかった。


 風が、枝を鳴らした。


 それが風なのか、この人なのか、わたしにはもうわからなかった。


 櫛は、根元に戻した。


 置いてくるほうが、いい気がした。


 山が鳴った。


 わたしは、まだ、なにも呼んでいない。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。