第九話『アフター③』
翌日。
⸻
凛はほとんど眠れなかった。
鏡の中の女。
最後に聞いた言葉。
⸻
邪魔。
⸻
あの声が頭から離れない。
仕事中も。
食事中も。
気を抜くと。
鏡の中の女が思い出される。
⸻
夜。
⸻
凛は命の灯火へ向かった。
⸻
店内はまだ暇な時間だった。
⸻
カウンターの奥。
尾鹿がグラスを磨いている。
「いらっしゃい」
⸻
いつもの声。
それを聞いて少し安心した。
「尾鹿さん」
「ん?」
凛は少し迷う。
どう説明すればいいか分からなかった。
だが。
言葉にする前に。
尾鹿の方が口を開いた。
⸻
「白い服か」
⸻
凛は固まる。
⸻
「長い髪」
⸻
「……」
⸻
「女だろ」
⸻
数秒。
⸻
店内が静かになる。
⸻
「尾鹿さん」
⸻
「見たのか」
⸻
凛はゆっくり頷いた。
「見ました」
「鏡で」
尾鹿はため息を吐く。
「そうか」
「尾鹿さんも?」
「あぁ」
凛は少しだけ安心した。
自分だけじゃなかった。
頭がおかしくなった訳じゃない。
⸻
「何なんですかあれ」
「俺が知りたい」
尾鹿はグラスを置く。
少し考える。
そして。
⸻
「飯田さん呼ぶか」
「飯田さん?」
「たぶん知ってる」
「たぶん?」
「知ってるけど教えない人だ」
⸻
凛は嫌な予感しかしなかった。
⸻
⸻
一時間後。
⸻
店のドアが開く。
⸻
「よっ」
飯田だった。
コンビニ帰りみたいな顔で入ってくる。
凛は思わず顔をしかめてしまう
「この人が飯田さん?」
「おぉ」
「...本当に信用出来る人なんですか?」
「アッハッハ!言うねぇ!」
⸻
飯田は笑う。
⸻
尾鹿は呆れた顔をした。
⸻
「飯田さん」
⸻
「ん?」
⸻
「ひめちゃんの話です」
⸻
飯田の動きが少し止まる。
⸻
ほんの少しだけ。
⸻
「へぇ」
⸻
「もうそこまで行ったか」
⸻
そう言って。
⸻
なぜか嬉しそうに笑った。
「ひめちゃんだよ」
⸻
「は?」
⸻
正確には、「幽世比売」ってんだ
⸻
店内が静かになる。
凛は尾鹿を見る。
⸻
尾鹿も嫌そうな顔をしている。
つまり。
知らないらしい。
⸻
「何なんですか、それ」
「神様みたいなもん」
「みたいって何ですか」
「神様じゃないから」
「じゃあ何なんですか」
「分からん」
凛は頭を抱えたくなった。
尾鹿は慣れているのか無反応だった。
⸻
「飯田さん」
「ん?」
「ちゃんと説明してください」
飯田は少し考える。
珍しく。
少しだけ。
真面目な顔になった。
「人間がさ」
「死んだらどこ行くと思う?」
⸻
「知りませんよ」
尾鹿はぶっきらぼうに言う
「俺も知らん」
「……」
⸻
「でも」
飯田は続ける。
⸻
「向こう側はある」
⸻
「向こう側?」
「うん」
「そんで」
「ひめちゃんは向こう側の住人」
⸻
凛は眉をひそめる。
「幽霊ですか?」
「違う」
「妖怪?」
「違う」
「神様?」
「違う」
「じゃあ何なんですか」
飯田は笑った。
「だから分からんって」
⸻
「ただ」
飯田はあなたと一瞬目が合う
「昔からいる」
⸻
「昔?」
「少なくとも俺が知ってる限りじゃ」
⸻
「ずっと」
⸻
その言葉だけ妙に重かった。
⸻
「見つかるとどうなるんですか」
凛が聞く。
飯田は即答した。
「近付いてくる」
「近付く?」
「見れば見るほど」
「知れば知るほど」
「向こうもこっちを見る」
凛の背筋が冷える。
⸻
写真。
⸻
通知。
⸻
鏡。
⸻
全部思い出した。
「じゃあ」
「私もう駄目なんですか」
⸻
飯田は少し考える。
「まだ平気」
凛は少し安心した。
しかし。
飯田は続ける。
「たぶん」
⸻
「たぶん?」
⸻
「凛ちゃんはおまけだから」
⸻
空気が止まる。
⸻
「……おまけ?」
⸻
「本指名はこっち」
飯田は尾鹿を指差した。
「は?」
「尾鹿」
「お前だよ」
店内が静かになる。
⸻
「何で俺なんですか」
「知らん」
「知らんじゃないでしょう」
「恋に理由いる?」
「気持ち悪い事言わないでください」
飯田は楽しそうに笑う。
「でもまぁ」
「ひめちゃんからしたら」
「お前は特別なんだろうな」
⸻
凛は思い出す。
⸻
鏡の中の女。
⸻
最後に聞いた言葉。
⸻
邪魔
⸻
あれは。
自分に向けられた言葉だった。
⸻
「解決方法はあるんですか」
凛が聞く。
飯田は少し黙った。
それから。
肩を竦める。
⸻
「知らん」
⸻
「……」
⸻
「というか」
「聞いたことない」
⸻
その一言で。
二人の顔色が変わった。
⸻
飯田は立ち上がる。
「ま」
「頑張れ」
⸻
「待ってください」
「もっと何かないんですか」
飯田はドアへ向かう。
そして振り返る。
「あるよ」
飯田は笑った。
「調べろ」
「ひめちゃんの事」
「見つかるかもしれないぞ」
⸻
「昔の被害者」
⸻
そう言い残して。
飯田は店を出て行った。
ドアベルが鳴る。
⸻
残された尾鹿と凛は顔を見合わせた。




