第六話『本指名』
俺の名前は尾鹿葛葉。
年齢は28歳
BAR 命の灯火の雇われ店長をやっている。
別に好きで始めた仕事じゃない。
生きるためだ。
それだけ。
客の愚痴を聞いて。
酒を出して。
朝になったら店を閉める。
そんな毎日。
最近少しだけ困ったことがある。
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頭痛だ。
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最初は疲れだと思った。
酒のせいかとも思った。
だが違った。
日に日に酷くなっている。
薬を飲んでも治らない。
寝ても治らない。
それどころか。
最近は変な声まで聞こえるようになった。
...様
振り返る。
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誰もいない。
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気のせいか。
そう思った。
だが数日後。
今度はもっとはっきり聞こえた。
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...様
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...方様
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貴方様
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若い女の声だった。
知らない声。
聞いたこともない声。
なのに。
妙に懐かしい。
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その日から頭痛はさらに酷くなった。
眠れない。
眠っても夢を見る。
内容は覚えていない。
ただ。
起きた時には必ず泣いていた。
理由は分からない。
そんなある日だった。
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閉店後。
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最後の客を見送る。
看板を片付ける。
鍵を閉める。
いつもと同じ夜。
のはずだった。
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ふとカウンターを見る。
女が座っていた。
客席の一番奥。
白いワンピース。
長い髪。
見たことのない女。
閉店後の店内。
鍵も閉めた。
誰もいないはずだった。
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「……あんた」
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女は動かない。
「どこから入った」
返事はない。
酔っ払いかと思った。
面倒だな。
その程度だった。
尾鹿はカウンターの中から出る。
女へ近付く。
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三歩。
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二歩。
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一歩。
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そこで初めて女が顔を上げた。
目が合う。
その瞬間。
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世界から音が消えた。
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頭痛。
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そんなものじゃない。
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脳を直接掴まれたような感覚。
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視界が反転する。
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店内が消える。
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カウンターが消える。
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床が消える。
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気付く。
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自分は立っていない。
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落ちている。
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暗闇の中を。
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永遠に。
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永遠に。
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永遠に。
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どれだけ落ちても底がない。
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その暗闇の中で。
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女だけが見える。
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近付いてくる。
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歩いていない。
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距離だけが縮まる。
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そして。
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女は嬉しそうに笑った。
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見つけました
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頭の中に直接声が響く。
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貴方様
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その言葉を聞いた瞬間。
尾鹿は理解する。
理解してはいけないことを。
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自分はずっと昔から、
この女を知っていた。
会ったこともない。
名前も知らない。
なのに。
懐かしい。
帰りたい。
会いたい。
抱きしめたい。
死にたい。
脳の中に、
自分のものではない感情が流れ込んでくる。
涙が出る。
理由もなく。
ただ。
どうしようもなく会いたい。
女に。
そこまで考えた瞬間。
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ガシャン。
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何かが割れる音。
世界が戻る。
尾鹿は床に倒れていた。
鼻から血が流れている。
視界が揺れる。
荒い呼吸。
冷や汗。
頭痛。
ひどい吐き気。
何が起きた。
思い出せない。
いや。
思い出したくない。
そんな感覚だった。
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震える腕で身体を起こす。
「お」
聞き慣れた声。
カウンター席。
いつの間にか男が座っている。
足を組み。
酒を飲み。
ニヤニヤ笑っている。
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「……飯田さん」
男は笑みを深くした。
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「おがぁ」
「お前」
「めんどくさい奴に好かれちゃってんなぁ」
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俺は眉をひそめる。
この男は飯田。
BAR 命の灯火のオーナー。
そして俺の雇い主。
何かとトラブルの中心にいる男だ。
厄介事が起きる。
気付くと飯田さんがいる。
そして大抵の場合。
飯田さんは原因を知っている。
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だが教えない。
俺は今まで何度もそれで振り回されてきた。
「何なんですか今の」
飯田さんは肩をすくめる。
「女」
「ふざけてるんですか」
「いや?」
本気らしい。
俺は頭を押さえる。
まだガンガン痛む。
「見えたんですよ」
「うん」
「知らない女が」
「うん」
「目が合ったらこうなった」
飯田さんは少しだけ考えた。
それから。
妙に嬉しそうな顔で言った。
「見えたのか」
「は?」
「そっかぁ」
「見えちゃったかぁ」
「ひめちゃんかな」
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的を得ない発言に苛々しながら俺は質問を続ける
「誰ですかそれ」
飯田さんはにやにやと笑いながら答える
「ファン」
「お前の」
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まだ頭が痛い。
視界も少し揺れている。
それでも聞かずにはいられなかった。
「あれは何だったんですか」
飯田さんは空になったグラスを見つめる。
「んー」
気の抜けた声。
「まぁ」
「もう大丈夫みたいだから帰るわ」
椅子から立ち上がる。
「は?」
俺も立ち上がる。
「待ってください」
「説明してくださいよ」
飯田さんは振り返る。
少しだけ考える。
本当に少しだけ。
それから笑った。
「説明したところでなぁ」
「何なんですかあれ」
「女」
「だから!」
思わず声が荒くなる。
「それじゃ何も分からないでしょうが!」
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飯田さんは肩を竦めた。
「まぁ」
「そのうち分かるよ」
店の入口へ向かう飯田さんを追いかける。
「飯田さん」
「ん?」
「本当に何なんですか」
飯田さんはドアに手を掛けた。
そして。
少しだけ真面目な顔になる。
「まぁ」
「断れるといいな」
「何をですか」
飯田さんは笑う。
いつもの。
人を不安にさせる笑顔だった。
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「本指名」
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そう言い残して。
飯田さんは夜の街へ消えた。
店内には俺一人。
静まり返ったBAR。
そのはずだった。
ふと。
耳元で。
女の声がした。
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貴方様
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振り返る。
誰もいない。
ただ。
カウンターの上のスマホだけが、
薄く光っていた。




