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命の灯火  作者:
6/18

第六話『本指名』


俺の名前は尾鹿葛葉。



年齢は28歳



BAR 命の灯火の雇われ店長をやっている。




別に好きで始めた仕事じゃない。




生きるためだ。




それだけ。




客の愚痴を聞いて。




酒を出して。




朝になったら店を閉める。




そんな毎日。




最近少しだけ困ったことがある。





頭痛だ。





最初は疲れだと思った。




酒のせいかとも思った。




だが違った。




日に日に酷くなっている。




薬を飲んでも治らない。




寝ても治らない。




それどころか。




最近は変な声まで聞こえるようになった。




...様




振り返る。






誰もいない。






気のせいか。




そう思った。




だが数日後。




今度はもっとはっきり聞こえた。








...様






...方様




貴方様





若い女の声だった。




知らない声。




聞いたこともない声。




なのに。




妙に懐かしい。




その日から頭痛はさらに酷くなった。



眠れない。



眠っても夢を見る。



内容は覚えていない。



ただ。



起きた時には必ず泣いていた。



理由は分からない。



そんなある日だった。



閉店後。





最後の客を見送る。



看板を片付ける。



鍵を閉める。



いつもと同じ夜。



のはずだった。




ふとカウンターを見る。



女が座っていた。



客席の一番奥。



白いワンピース。



長い髪。



見たことのない女。



閉店後の店内。



鍵も閉めた。



誰もいないはずだった。





「……あんた」







女は動かない。



「どこから入った」



返事はない。



酔っ払いかと思った。



面倒だな。



その程度だった。



尾鹿はカウンターの中から出る。



女へ近付く。





三歩。






二歩。




一歩。





そこで初めて女が顔を上げた。





目が合う。





その瞬間。







世界から音が消えた。







頭痛。







そんなものじゃない。







脳を直接掴まれたような感覚。







視界が反転する。







店内が消える。







カウンターが消える。







床が消える。







気付く。







自分は立っていない。







落ちている。







暗闇の中を。







永遠に。







永遠に。







永遠に。







どれだけ落ちても底がない。







その暗闇の中で。







女だけが見える。







近付いてくる。







歩いていない。







距離だけが縮まる。







そして。







女は嬉しそうに笑った。







見つけました







頭の中に直接声が響く。







貴方様







その言葉を聞いた瞬間。








尾鹿は理解する。








理解してはいけないことを。







自分はずっと昔から、




この女を知っていた。




会ったこともない。




名前も知らない。




なのに。




懐かしい。




帰りたい。




会いたい。




抱きしめたい。




死にたい。




脳の中に、




自分のものではない感情が流れ込んでくる。




涙が出る。




理由もなく。




ただ。




どうしようもなく会いたい。




女に。




そこまで考えた瞬間。







ガシャン。







何かが割れる音。






世界が戻る。






尾鹿は床に倒れていた。






鼻から血が流れている。






視界が揺れる。






荒い呼吸。




冷や汗。





頭痛。




ひどい吐き気。





何が起きた。





思い出せない。





いや。






思い出したくない。







そんな感覚だった。








震える腕で身体を起こす。




「お」




聞き慣れた声。





カウンター席。





いつの間にか男が座っている。





足を組み。






酒を飲み。






ニヤニヤ笑っている。






「……飯田さん」



男は笑みを深くした。







「おがぁ」


「お前」


「めんどくさい奴に好かれちゃってんなぁ」







俺は眉をひそめる。



この男は飯田。



BAR 命の灯火のオーナー。



そして俺の雇い主。



何かとトラブルの中心にいる男だ。



厄介事が起きる。



気付くと飯田さんがいる。



そして大抵の場合。



飯田さんは原因を知っている。







だが教えない。



俺は今まで何度もそれで振り回されてきた。



「何なんですか今の」



飯田さんは肩をすくめる。



「女」



「ふざけてるんですか」



「いや?」



本気らしい。



俺は頭を押さえる。



まだガンガン痛む。



「見えたんですよ」



「うん」



「知らない女が」



「うん」



「目が合ったらこうなった」



飯田さんは少しだけ考えた。



それから。



妙に嬉しそうな顔で言った。



「見えたのか」



「は?」



「そっかぁ」


「見えちゃったかぁ」


「ひめちゃんかな」





的を得ない発言に苛々しながら俺は質問を続ける


「誰ですかそれ」


飯田さんはにやにやと笑いながら答える



「ファン」


「お前の」







まだ頭が痛い。


視界も少し揺れている。


それでも聞かずにはいられなかった。


「あれは何だったんですか」


飯田さんは空になったグラスを見つめる。




「んー」



気の抜けた声。



「まぁ」


「もう大丈夫みたいだから帰るわ」




椅子から立ち上がる。


「は?」


俺も立ち上がる。



「待ってください」


「説明してくださいよ」



飯田さんは振り返る。



少しだけ考える。



本当に少しだけ。



それから笑った。


「説明したところでなぁ」


「何なんですかあれ」


「女」


「だから!」


思わず声が荒くなる。


「それじゃ何も分からないでしょうが!」







飯田さんは肩を竦めた。


「まぁ」


「そのうち分かるよ」




店の入口へ向かう飯田さんを追いかける。


「飯田さん」



「ん?」



「本当に何なんですか」



飯田さんはドアに手を掛けた。



そして。



少しだけ真面目な顔になる。


「まぁ」

「断れるといいな」




「何をですか」




飯田さんは笑う。





いつもの。





人を不安にさせる笑顔だった。







「本指名」







そう言い残して。




飯田さんは夜の街へ消えた。




店内には俺一人。




静まり返ったBAR。




そのはずだった。




ふと。




耳元で。




女の声がした。






貴方様




振り返る。






誰もいない。





ただ。





カウンターの上のスマホだけが、





薄く光っていた。








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