第五話『ライブ配信』
BAR 命の灯火
午後11時
客は女一人。
⸻
年齢は三十前後。
派手な化粧。
だがどこか疲れている。
⸻
空になったグラスを見ながら笑った。
「私も昔はすごかったのよ」
尾鹿は何も言わない。
「本当よ?」
女はスマホを取り出す。
古い写真。
ステージ。
ペンライト。
満員の観客。
「元アイドル」
「へぇ」
「しかもセンター」
少しだけ得意そうに笑う。
⸻
でもその笑顔は長続きしない。
「独立してさ」
「コンカフェ作ったの」
⸻
「最初は上手くいってたのよ」
「店長もやってたし」
「配信も強かった」
女は酒を飲む。
「でも」
そこで初めて表情が曇る。
「あんなことがなければ」
⸻
「今でも店やれてたと思う」
⸻
尾鹿がグラスを置く。
「何があった」
女は少し考えてから言う。
「投げ銭よ」
「コンカフェって暇な時間あるじゃない?」
女はグラスを揺らした。
「平日の昼とかさ」
「キャストも手空くのよ」
尾鹿は黙って聞いている。
「だから配信させるの」
「ライブ配信?」
「そう」
女は頷く。
「店の宣伝にもなるし」
「遠隔でチェキとかドリンクとか頼めるのよ」
「店に来なくても金落とせるってわけ」
「便利な時代だな」
「ほんとね」
女は苦笑した。
「当時はそれで結構稼いでた」
「店が暇でも売上作れたし」
「新人の子も顔売れるし」
そこで女は少し遠くを見る。
⸻
「その日も暇だったの」
⸻
客はゼロ。
新人の子が一人。
だから配信を付けさせた。
⸻
しばらくは普通だった。
コメントも少し。
投げ銭も少し。
よくある昼配信。
私は裏で事務仕事してた。
その時だった。
⸻
『店長ー』
新人が呼ぶ。
『んー?』
『なんか変な人います』
⸻
私は画面を覗き込んだ。
コメント欄。
そこには一人だけいた。
名前は。
⸻
購入者
⸻
『何この名前』
笑いながら言う。
新人も笑う。
『さあ?』
その直後。
コメントが流れた。
店長ですか?
それが始まりだった。
『そうだけど?』
私は笑って、冗談半分でカメラに顔を出す。
新人も横で笑っていた。
『ほら、うちの店長』
その瞬間だった。
画面の右上。
投げ銭通知。
⸻
500円
⸻
『おっ』
新人が声を上げる。
『ありがとうございますー!』
まあ、よくある話だ。
私は特に気にしなかった。
だが。
翌日。
またそのアカウントが現れた。
⸻
購入者
⸻
コメントはしない。
投げ銭だけ。
⸻
1000円。
⸻
3000円。
⸻
5000円。
⸻
どんどん額が上がる。
新人は大喜びだった。
『すごい太客じゃないですか!』
『そうね』
⸻
私も笑った。
⸻
正直。
売上が厳しかった。
⸻
固定費。
⸻
キャストの給料。
⸻
家賃。
⸻
毎月ギリギリだった。
⸻
だから。
⸻
ありがたいと思ってしまった。
⸻
数日後。
⸻
新人が帰った後。
⸻
一人で配信を付けた。
⸻
『こんばんはー』
視聴者は数人。
その中にいた。
⸻
購入者
⸻
投げ銭。
⸻
10000円。
⸻
私は思わず笑う。
『ありがとうございます』
⸻
通知音が鳴る。
⸻
さらに。
⸻
30000円。
⸻
50000円。
⸻
100000円。
⸻
コメントは一つもない。
⸻
ただ。
⸻
投げ銭だけが増えていく。
⸻
そして。
⸻
初めてコメントが流れた。
⸻
見てるよ
⸻
女はそこで酒を飲んだ。
「嬉しかったの」
そう言って苦く笑う。
「だって」
「誰かが私を見てくれてたから」
⸻
「アイドル辞めてからさ」
「そういうの、なくなってたのよ」
卒業して。
独立して。
コンカフェを始めて。
気付けば誰も私を見なくなっていた。
だから。
見てるよ。
その一言が思った以上に刺さった。
⸻
それから購入者は毎日来た。
配信を始める。
少しして通知が鳴る。
⸻
購入者
⸻
それだけで安心した。
⸻
投げ銭。
⸻
一万円。
⸻
三万円。
⸻
五万円。
⸻
十万円。
⸻
コメントはほとんどない。
ただ。
たまに短い言葉だけ残す。
⸻
今日も綺麗だね
⸻
頑張ってるね
⸻
見てるよ
⸻
私は少しずつ待つようになっていた。
購入者が来るのを。
通知が鳴るのを。
そして。
⸻
異変が起きたのは一ヶ月ほど経った頃だった。
⸻
朝。
スマホを見ていた私は首を傾げた。
『あれ?』
⸻
昨日の夜食べたものが思い出せない。
⸻
よくあることだ。
そう思った。
⸻
その翌週。
今度はもっとおかしかった。
⸻
昔一緒に活動していたメンバーの名前が出てこない。
顔は分かる。
でも名前だけ思い出せない。
『疲れてるのかな』
その時も深く考えなかった。
⸻
配信を付ける。
⸻
購入者が来る。
⸻
投げ銭が飛ぶ。
⸻
十万円。
⸻
二十万円。
⸻
三十万円。
⸻
私は笑う。
⸻
購入者も満足そうだった。
⸻
そしてある日。
⸻
初めてコメントが流れた。
⸻
気に入っていただけていますか?
⸻
私は笑いながら返した。
⸻
『もちろん』
『助かってるよ』
すると。
少し間を置いて。
コメントが流れる。
⸻
良かったです
⸻
購入は順調です
⸻
最初は意味が分からなかった。
『購入?』
思わず笑う。
『何それ』
だが。
購入者はそれ以上何も言わなかった。
⸻
いつものように投げ銭だけが飛ぶ。
⸻
十万円。
⸻
二十万円。
⸻
三十万円。
⸻
画面の向こうで私は笑う。
店の経営も少しずつ持ち直していた。
だから。
気にしなかった。
気にするべきだったのに。
その頃にはもう。
失くした記憶が何だったのか。
それすら思い出せなくなっていた。
⸻
ある日。
店の常連が話しかけてきた。
『店長って元〇〇でしたよね?』
⸻
〇〇。
⸻
私が昔いたアイドルグループの名前。
『そうだよ』
そう答えた。
でも。
少しだけ違和感があった。
そのグループで一番仲の良かった子。
顔は覚えている。
声も覚えている。
なのに。
名前だけ出てこない。
『あれ?』
思わずスマホを開く。
昔の写真。
ライブ後の集合写真。
隣で笑っている女の子。
大好きだったはずの子。
なのに。
名前が思い出せない。
⸻
その日の配信。
購入者はいつものように現れた。
そして。
今までで一番大きな投げ銭が飛んだ。
⸻
五十万円。
⸻
コメント欄が騒ぐ。
私も息を呑む。
『えっ』
『ちょっと待って』
『本当に大丈夫!?』
手が震える。
すると。
購入者からコメント。
⸻
問題ありません
⸻
さらに続く。
⸻
とても価値がありました
⸻
背筋が寒くなった。
価値?
何の?
その瞬間。
どうしても思い出せないものがあることに気付いた。
⸻
昨日のことじゃない。
先週のことでもない。
もっと大事な何か。
でも。
それが何なのかも思い出せない。
私は初めて配信を切った。
⸻
画面を閉じる。
⸻
コメント欄が消える。
⸻
投げ銭の通知も消える。
⸻
静かになった部屋で。
⸻
私は昔の写真を見続けた。
⸻
何時間も。
⸻
何百枚も。
⸻
それでも。
どうしても一人だけ思い出せない。
誰だった?
⸻
どうして大切だった?
⸻
どうして泣きそうになる?
⸻
分からない。
⸻
その時。
スマホが震えた。
配信はしていない。
通知が来るはずがない。
それなのに。
画面には見覚えのあるアイコンが表示されていた。
⸻
購入者
⸻
そしてメッセージが一行。
⸻
次回のお支払いもお待ちしております
⸻
その瞬間。
私は初めて恐怖を感じた。
私はその日を最後に配信を辞めた。
⸻
アカウントも消した。
⸻
店の配信機材も処分した。
⸻
もう関わりたくなかった。
⸻
だが。
遅かった。
記憶は消え続けた。
⸻
常連の名前を忘れる。
⸻
キャストの顔を忘れる。
⸻
業者との約束を忘れる。
⸻
発注を忘れる。
⸻
シフトを忘れる。
⸻
気付けば。
⸻
店は回らなくなっていた。
⸻
『店長、大丈夫ですか?』
そう聞かれる回数が増えた。
でも。
何が大丈夫じゃないのか。
⸻
それすら分からなかった。
⸻
気付いた時には。
店を畳んでいた。
それから先のことも。
正直あまり覚えていない。
⸻
しばらく沈黙が落ちる。
女は空になったグラスを見つめる。
尾鹿は新しい酒を注いだ。
女は苦笑する。
「今の私にできる仕事なんてこれぐらいしかないのよね」
肩を竦める。
自嘲気味に笑う。
尾鹿はグラスを置いた。
「そういや」
「ん?」
「あんた今、何の仕事してるんだ?」
⸻
女は瞬きをした。
⸻
数秒。
⸻
黙る。
⸻
そして笑った。
「……何だっけ?」
その時。
女のスマホが震えた。
⸻
通知。
⸻
差出人不明。
⸻
メッセージが一件。
⸻
お支払いありがとうございました
⸻
女は画面を見つめる。
その文章を指でなぞる。
そして呟いた。
「まだ残ってるんだ」
「何がだ?」
女は少し考えた。
それから笑った。
「さあ」
⸻
「でも」
⸻
「まだ払えるらしいわ」
氷が音を立てた。




