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命の灯火  作者:
5/18

第五話『ライブ配信』

BAR 命の灯火




午後11時




客は女一人。







年齢は三十前後。




派手な化粧。




だがどこか疲れている。







空になったグラスを見ながら笑った。



「私も昔はすごかったのよ」



尾鹿は何も言わない。



「本当よ?」



女はスマホを取り出す。



古い写真。



ステージ。



ペンライト。



満員の観客。



「元アイドル」



「へぇ」



「しかもセンター」



少しだけ得意そうに笑う。







でもその笑顔は長続きしない。



「独立してさ」




「コンカフェ作ったの」







「最初は上手くいってたのよ」



「店長もやってたし」



「配信も強かった」




女は酒を飲む。






「でも」






そこで初めて表情が曇る。








「あんなことがなければ」







「今でも店やれてたと思う」







尾鹿がグラスを置く。



「何があった」



女は少し考えてから言う。



「投げ銭よ」



「コンカフェって暇な時間あるじゃない?」



女はグラスを揺らした。



「平日の昼とかさ」



「キャストも手空くのよ」



尾鹿は黙って聞いている。



「だから配信させるの」



「ライブ配信?」



「そう」



女は頷く。



「店の宣伝にもなるし」



「遠隔でチェキとかドリンクとか頼めるのよ」



「店に来なくても金落とせるってわけ」



「便利な時代だな」



「ほんとね」



女は苦笑した。



「当時はそれで結構稼いでた」



「店が暇でも売上作れたし」



「新人の子も顔売れるし」



そこで女は少し遠くを見る。







「その日も暇だったの」










客はゼロ。






新人の子が一人。






だから配信を付けさせた。







しばらくは普通だった。



コメントも少し。



投げ銭も少し。



よくある昼配信。



私は裏で事務仕事してた。



その時だった。







『店長ー』



新人が呼ぶ。



『んー?』



『なんか変な人います』







私は画面を覗き込んだ。





コメント欄。




そこには一人だけいた。




名前は。







購入者









『何この名前』



笑いながら言う。



新人も笑う。



『さあ?』



その直後。



コメントが流れた。



店長ですか?



それが始まりだった。



『そうだけど?』



私は笑って、冗談半分でカメラに顔を出す。



新人も横で笑っていた。



『ほら、うちの店長』



その瞬間だった。



画面の右上。



投げ銭通知。







500円







『おっ』





新人が声を上げる。





『ありがとうございますー!』





まあ、よくある話だ。






私は特に気にしなかった。




だが。





翌日。




またそのアカウントが現れた。







購入者







コメントはしない。








投げ銭だけ。







1000円。







3000円。







5000円。







どんどん額が上がる。




新人は大喜びだった。




『すごい太客じゃないですか!』




『そうね』







私も笑った。







正直。








売上が厳しかった。





固定費。



キャストの給料。



家賃。



毎月ギリギリだった。




だから。






ありがたいと思ってしまった。







数日後。







新人が帰った後。







一人で配信を付けた。







『こんばんはー』




視聴者は数人。




その中にいた。







購入者







投げ銭。







10000円。







私は思わず笑う。




『ありがとうございます』







通知音が鳴る。







さらに。







30000円。







50000円。







100000円。







コメントは一つもない。







ただ。







投げ銭だけが増えていく。







そして。







初めてコメントが流れた。







見てるよ














女はそこで酒を飲んだ。


「嬉しかったの」


そう言って苦く笑う。


「だって」






「誰かが私を見てくれてたから」








「アイドル辞めてからさ」



「そういうの、なくなってたのよ」



卒業して。



独立して。



コンカフェを始めて。



気付けば誰も私を見なくなっていた。






だから。








見てるよ。






その一言が思った以上に刺さった。











それから購入者は毎日来た。







配信を始める。






少しして通知が鳴る。








購入者





それだけで安心した。






投げ銭。







一万円。







三万円。







五万円。







十万円。







コメントはほとんどない。




ただ。




たまに短い言葉だけ残す。






今日も綺麗だね





頑張ってるね






見てるよ







私は少しずつ待つようになっていた。






購入者が来るのを。







通知が鳴るのを。





そして。







異変が起きたのは一ヶ月ほど経った頃だった。







朝。




スマホを見ていた私は首を傾げた。





『あれ?』







昨日の夜食べたものが思い出せない。







よくあることだ。







そう思った。







その翌週。




今度はもっとおかしかった。







昔一緒に活動していたメンバーの名前が出てこない。





顔は分かる。





でも名前だけ思い出せない。





『疲れてるのかな』







その時も深く考えなかった。








配信を付ける。







購入者が来る。







投げ銭が飛ぶ。







十万円。







二十万円。







三十万円。







私は笑う。







購入者も満足そうだった。







そしてある日。







初めてコメントが流れた。







気に入っていただけていますか?







私は笑いながら返した。







『もちろん』








『助かってるよ』








すると。


少し間を置いて。








コメントが流れる。







良かったです







購入は順調です









最初は意味が分からなかった。






『購入?』






思わず笑う。







『何それ』



だが。



購入者はそれ以上何も言わなかった。







いつものように投げ銭だけが飛ぶ。







十万円。







二十万円。







三十万円。







画面の向こうで私は笑う。






店の経営も少しずつ持ち直していた。






だから。






気にしなかった。






気にするべきだったのに。






その頃にはもう。






失くした記憶が何だったのか。






それすら思い出せなくなっていた。







ある日。








店の常連が話しかけてきた。








『店長って元〇〇でしたよね?』







〇〇。







私が昔いたアイドルグループの名前。




『そうだよ』




そう答えた。




でも。




少しだけ違和感があった。




そのグループで一番仲の良かった子。




顔は覚えている。




声も覚えている。




なのに。








名前だけ出てこない。








『あれ?』






思わずスマホを開く。








昔の写真。





ライブ後の集合写真。






隣で笑っている女の子。






大好きだったはずの子。





なのに。





名前が思い出せない。







その日の配信。








購入者はいつものように現れた。








そして。








今までで一番大きな投げ銭が飛んだ。







五十万円。







コメント欄が騒ぐ。








私も息を呑む。






『えっ』






『ちょっと待って』






『本当に大丈夫!?』





手が震える。





すると。





購入者からコメント。







問題ありません







さらに続く。







とても価値がありました







背筋が寒くなった。







価値?








何の?








その瞬間。








どうしても思い出せないものがあることに気付いた。







昨日のことじゃない。








先週のことでもない。








もっと大事な何か。








でも。








それが何なのかも思い出せない。








私は初めて配信を切った。







画面を閉じる。







コメント欄が消える。







投げ銭の通知も消える。







静かになった部屋で。







私は昔の写真を見続けた。







何時間も。







何百枚も。







それでも。








どうしても一人だけ思い出せない。







誰だった?







どうして大切だった?







どうして泣きそうになる?







分からない。







その時。








スマホが震えた。








配信はしていない。








通知が来るはずがない。








それなのに。








画面には見覚えのあるアイコンが表示されていた。







購入者







そしてメッセージが一行。







次回のお支払いもお待ちしております







その瞬間。




私は初めて恐怖を感じた。




私はその日を最後に配信を辞めた。







アカウントも消した。







店の配信機材も処分した。







もう関わりたくなかった。







だが。



遅かった。



記憶は消え続けた。







常連の名前を忘れる。







キャストの顔を忘れる。







業者との約束を忘れる。







発注を忘れる。







シフトを忘れる。







気付けば。







店は回らなくなっていた。







『店長、大丈夫ですか?』




そう聞かれる回数が増えた。




でも。




何が大丈夫じゃないのか。







それすら分からなかった。







気付いた時には。



店を畳んでいた。



それから先のことも。



正直あまり覚えていない。







しばらく沈黙が落ちる。



女は空になったグラスを見つめる。



尾鹿は新しい酒を注いだ。



女は苦笑する。



「今の私にできる仕事なんてこれぐらいしかないのよね」



肩を竦める。



自嘲気味に笑う。



尾鹿はグラスを置いた。



「そういや」



「ん?」



「あんた今、何の仕事してるんだ?」







女は瞬きをした。







数秒。







黙る。







そして笑った。



「……何だっけ?」



その時。



女のスマホが震えた。







通知。







差出人不明。







メッセージが一件。







お支払いありがとうございました







女は画面を見つめる。






その文章を指でなぞる。






そして呟いた。






「まだ残ってるんだ」






「何がだ?」




女は少し考えた。



それから笑った。




「さあ」







「でも」









「まだ払えるらしいわ」



氷が音を立てた。





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