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命の灯火  作者:
16/18

第十五話『出前②』

BAR命の灯火


午前二時四十分。



客はいない。



店内にはジャズだけが流れている。



尾鹿はグラスを磨いていた。



暇だった。



こういう日は時間が長い。



カウンターの中。



たこ焼きが立っている。



ぼーっとしている。



何もしていない。



客がいないからだ。



それでも帰らない。



開店と同時に現れて。



閉店する頃にはいなくなる。


帰るところは見たことがない。



気付けば消えている。



最初は追い出そうとした。



だが。



勝手に皿を洗う。



勝手に掃除をする。



勝手に水を出す。



客からの評判も悪くない。



だから放置していた。



尾鹿はグラスを棚へ戻した。



「なぁ」



たこ焼きが振り向く。



「ご利用ありがとうございます」


「利用してねぇよ」



いつものやり取り。



たこ焼きは頭を下げる。



「申し訳ありません」



「本当に思ってるか?」



「思っています」



「そうか」



多分思っていない。



たこ焼きは再び虚空を見つめ始めた。



尾鹿は少し考える。



そういえば。



こいつについて何も知らない。



名前も。



年齢も。



何者なのかも。



そもそも。



人間なのかどうかすら分からない。



「お前さ」



「はい」



「何者なんだ?」



たこ焼きは首を傾げた。


しばらく考える。



本気で考えているらしかった。



やがて。



静かに口を開く。



「私がたこ焼きです」



尾鹿はため息を吐いた。



「そこから説明しろ」


たこ焼きは黙った。



考えているらしい。



数秒。



いや。



数十秒。



尾鹿が諦めかけた頃。



たこ焼きは口を開いた。



「私はたこ焼きです」



「戻るな」



「失礼しました」



たこ焼きは頭を下げた。



「出前です」



「それも知ってる」



「配達済みです」



「そうか」



会話にならない。



尾鹿は煙草に火を付けた。



「家族はいるのか」



たこ焼きは頷く。



「いました」



過去形だった。



「今は?」



「購入されました」



尾鹿の手が止まる。



「購入?」



「はい」



「誰に」



「分かりません」



「会いたくないのか」



たこ焼きは少しだけ考えた。



「会いたいと思います」


「思います?」



「はい」



「たぶん」



尾鹿は眉をひそめた。



「覚えてないのか」



たこ焼きは頷く。



「覚えていません」



それは。



少しだけ寂しそうに見えた。



いや。



そう見えただけかもしれない。



怪異に感情があるのか。



尾鹿には分からなかった。



「好きなものは」



「ソースです」


即答だった。



「嫌いなものは」



「冷めることです」



「夢は」



たこ焼きは珍しく悩んだ。





長かった。







本当に長かった。







そして。





「次回もご利用いただくことです」



尾鹿は吹き出した。



久しぶりだった。



声を出して笑ったのは。



たこ焼きは不思議そうな顔をする。



「何か変でしたか?」



「いや」



尾鹿は笑いながら首を振った。



「別に」



たこ焼きは少し考える。



それから。



ほんの少しだけ。



口元を緩めた。



たぶん。



初めて見た表情だった。



店内にはジャズが流れている。



客は来ない。



でも。



不思議と退屈ではなかった。


気付けば。



時計の針は午前四時を回っていた。



結局。



客は一人も来なかった。



尾鹿は最後のグラスを棚へ戻す。



閉店の時間だった。



たこ焼きはいつの間にか床を掃除している。



頼んでもいないのに。



毎日勝手にやる。



尾鹿はもう止めなかった。



「終わりだ」



たこ焼きが顔を上げる。



「閉店ですか」



「そうだ」



「ご利用ありがとうございました」



「だから利用してねぇって」



たこ焼きは少し考えた。



「では」



「本日はありがとうございました」



「何がだよ」



「会話です」



尾鹿は少しだけ驚いた。



たこ焼きは続ける。



「今日はたくさんお話できました」



「そうか」



「楽しかったです」



その言葉に嘘はなかった。



少なくとも。



尾鹿にはそう見えた。



たこ焼きは店の出口へ向かう。



そして。



振り返った。



「思い出ができました」



尾鹿は思わず笑う。



「大げさだな」



「大げさではありません」



たこ焼きは真面目な顔で言った。



「大切にします」



そう言って。



店を出ていく。



カラン。



ドアベルが鳴る。



ガラス越しに見えたたこ焼きは。



珍しく。




スキップしていた。













私はスキップをしていました。



楽しかったからです。



今日はたくさんお話をしました。



私が何なのか。



何が好きなのか。



何を考えているのか。



たくさん聞いてもらいました。



たぶん。



初めてでした。



私は嬉しくなりました。



思い出ができました。



だからスキップをしています。



たぶん。



楽しい時はこうするのだと思います。



私は歩きます。



夜道を歩きます。



そして考えます。



帰ったら。



今日のことを話そうと思いました。



楽しかったことを。



たくさん話そうと思いました。





でも。







ふと足が止まります。







帰る。







どこに?







私は考えました。







分かりません。







誰かがいるはずです。







話を聞いてくれる誰かが。





でも。



思い出せません。





私は立ち尽くしました。





夜の道路。



街灯の下。





しばらく考えます。







長い間考えます。





ですが。



何も思い出せません。



その時でした。





ピコン。





スマートフォンが鳴ります。



いつの間にか持っていたスマートフォン。



画面が光っています。





通知。







購入者





私はその名前を知りません。




ですが。



少しだけ。



胸が苦しくなりました。



メッセージを開きます。





購入しました





それだけでした。



私は首を傾げます。



何を購入したのでしょう。



分かりません。



でも。



なぜか。





何かを失った気がしました。







とても大切な何かを。







だけど。







それが何だったのか。







もう思い出せませんでした。



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