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命の灯火  作者:
15/18

第十四話『ヘルプ』

BAR 命の灯火



午前二時十分。




客は二人。



男と女。



二人とも同じ店で働いている黒服とキャストらしい。



カウンターに並んで座りながら酒を飲んでいた。



「尾鹿さん」



女が声をかける。



「ん?」



「ヘルプって知ってる?」



尾鹿はグラスを磨く手を止めない。



「助ける方のヘルプか?」



男が吹き出した。



「まあ間違ってないっす」



女も苦笑する。



「キャバクラとかホストクラブのヘルプ」



「ああ」



尾鹿は頷いた。



「指名じゃない客の相手するやつだろ」



「そうそう」



女は少し嬉しそうに笑った。



「本指名の子が席外した時とかに座る子」



「トイレ行ったり、他の卓行ったりするじゃん?」



「その間を繋ぐ係」



男が肩を竦める。



「地味だけど結構大事なんすよ」



「ヘルプ下手な店は回らないし」



「逆に上手い子はめちゃくちゃ重宝される」



女はグラスを回しながら続けた。



「その子もそうだった」



「誰にでも愛想良くてさ」



「頼まれたら断れないタイプ」



少しだけ表情が曇る。



「新人だったんだけど」



「めちゃくちゃ頑張ってたんだよね」 



「トップの先輩に憧れてて」



「いつも走り回ってた」



女は空になったグラスを見つめる。



「最初はみんな褒めてたんだけどね」



沈黙。





尾鹿が新しい酒を置く。







女はそれを一口飲んだ。





「でもさ」



「一人だけいたんだよ」



「変なお客さんが」










最初にその人の席についたのは。


入店して三ヶ月目だった。



私はまだ新人で。


ヘルプの回数も多かった。



先輩達に頼られるのが嬉しかった。





『お願い』







そう言われる度に。




頑張ろうと思った。





その日もそうだった。



店で一番売れている先輩。



その本指名のお客さんだった。



『ごめん、ちょっとヘルプ入って』



『はい!』



私は笑顔で返事をした。



席に着く。



四十代くらいの男だった。



スーツ。


時計。


靴。



全部高そうだった。



『失礼します』



私はお酒を作る。



男は私を見た。



そして言った。



『君、ヘルプ?』



『はい』



『ふーん』



興味を失ったようにグラスへ目を落とす。



少しだけ傷ついた。



でもよくあることだった。



ヘルプなんてそんなものだ。



数分後。



男が空のグラスをテーブルに置く。


『お酒作って』



『はい』



作る。



『灰皿』



『はい』



交換する。



『おしぼり』



『はい』



渡す。



その度に。


男は必ず言った。



『だってヘルプでしょ?』



最初は冗談だと思った。



でも違った。



次に席へ着いた時も。



その次も。



その次も。



『だってヘルプでしょ?』



『ヘルプなんだから』



『ヘルプなんだろ?』



少しずつ。


少しずつ。



その言葉が嫌いになっていった。


最初は酒だった。



次は煙草。



灰皿。


おしぼり。


水。


氷。


ライター。



全部。


私が席を立って持ってくる。



『ヘルプでしょ?』



その一言で。



ある日。



男が言った。



『コンビニ行ってきて』



私は笑った。



冗談だと思ったから。



でも男は笑っていなかった。



『煙草切れたんだよね』



『ヘルプでしょ?』



店長に相談した。



『断っていいですか?』



店長は困った顔をした。



『まあ……適当に流して』


『太客だから』



私は頷いた。



それしか出来なかった。



男はどんどん調子に乗った。



『歌って』



『隣座って』



『マッサージして』



『スマホ充電して』



『外寒いか見てきて』



全部。


最後に同じ言葉が付く。



『ヘルプでしょ?』



私はその席が大嫌いだった。


でも。



店で一番売上のある客だった。



誰も逆らわない。



先輩も。


黒服も。


店長も。



みんな笑っていた。



『また呼ばれてるじゃん』



『気に入られてるね』



『頑張れ』



頑張った。



本当に頑張った。



でも。



ある日。



出勤前。



スマホが鳴った。



店からだった。



『今日○○さん来るから』



『ヘルプお願いね』



それを見た瞬間。



涙が出た。



理由は分からなかった。



ただ。



もう無理だった。



その日。



私は店を休んだ。



翌日も。



その翌日も。



スマホには。


店からの着信。


先輩からのLINE。



そして。



男からのメッセージ。



『次いつ出勤?』



『ヘルプでしょ?』



『返事してよ』



『ヘルプなんだから』



その夜。



私はマンションのベランダに立っていた。



スマホが震える。



画面には。


店長



着信。



出なかった。



もう。



ヘルプは終わりにしたかった。


数日後。



彼女はマンションの敷地内で発見された。



遺書はなかった。



ただ。



スマホだけが残されていたらしい。



そこまで話すと。



女はグラスの酒を飲み干した。



静かな店内に氷の音が響く。



尾鹿は黙ってグラスを磨いていた。



黒服の男がため息を吐く。



「正直、店も悪かったんだけどね」



「誰も止めなかったから」



女は頷く。



「でもさ」



そう言って苦笑した。



「気持ち悪いのはここからなんだよね」



尾鹿が顔を上げる。



「何がだ」



女は少しだけ声を潜めた。



「そのお客さん」



「今でも来るんだよ」



黒服も頷いた。



「ああ」



「月に一回くらい」



店内に沈黙が落ちる。


女は続けた。



「でね」



「毎回言うの」



『ヘルプお願い』



本指名の女の子が席を外す。



誰かがヘルプに入る。



普通なら。



でも。



その席だけは違った。



誰も呼んでいないのに。



グラスが減る。



灰皿に吸い殻が増える。



誰も座っていないはずなのに。



男は楽しそうに話し続ける。



まるで。



そこに誰かいるみたいに。


黒服はグラスを見つめながら言った。



「最初はあの客がヤバいんだと思ってた」



女も頷く。



「私も」



「でも違ったんだよね」



尾鹿が顔を上げる。



「何がだ」



黒服は苦笑した。



「気になって聞いたんだよ」



「あの客の本指名の子に」



「何が起きてるんですかって」



店内が静かになる。




「そしたらさ」




黒服は少しだけ間を置いた。





「その子、こう言ったんだよ」







『何が?』







『だってヘルプなんだから当然でしょ』








女が小さく笑う。







笑っているのに。





全然楽しそうじゃない。



「その子さ」



「今でも店のナンバーワンなんだよね」



「毎回その席で同じこと言うの」



『ヘルプ』



『灰皿』



『おしぼり』



『酒作って』



『ちゃんと見てて』



『気が利かないなぁ』



誰もいない場所に向かって。



当たり前みたいに。



何年も。



ずっと。



尾鹿は何も言わなかった。



ただ。



少しだけ眉をひそめた。



女は空になったグラスを揺らす。



「私さ」



「死んだあの子の声が誰もいない更衣室から聞こえたんだよね。」




「『助けて』って」




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