指名料①
BAR 命の灯火
閉店後。
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静かな店内。
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尾鹿は一人でグラスを洗っていた。
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やがて。
後ろから声がする。
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貴方様
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「何だ」
即答だった。
もう驚かない。
驚くのにも疲れた。
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貴方様
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「何だよ」
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本日もお疲れ様でした
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尾鹿は手を止める。
「……そうかよ」
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少しの沈黙。
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グラスを洗う音だけが響く。
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再び。
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貴方様
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「今度は何だ」
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本日の女性客は四名でした
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「そうか」
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二名が貴方様を見ていました
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「知らん」
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一名は好意を抱いていました
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「余計な情報だな」
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一名は既婚者でした
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「もっと余計だな」
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少しだけ。
女が笑った気がした。
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貴方様
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「何だ」
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私は本指名ですか
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尾鹿の手が止まる。
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「は?」
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私は本指名ですか
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「何の話だ」
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夜の店では
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お気に入りのお客様を
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本指名と呼ぶのでしょう
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「誰から聞いた」
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飯田
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「飯田さんか……」
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深いため息。
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貴方様
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「何だ」
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私は本指名ですか
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「違う」
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即答。
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少しの沈黙。
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どこか空気が重くなる。
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「落ち込むな」
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落ち込んでいません
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「絶対落ち込んでるだろ」
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落ち込んでいません
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「そうかよ」
グラスを置く。
静かな店内。
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やがて。
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貴方様
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「まだあるのか」
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指名料はいくらですか
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尾鹿は目を閉じた。
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「あのなぁ……」
しばらく説教した。
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金はいらない。
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物もいらない。
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勝手な事もするな。
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人に迷惑も掛けるな。
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幽世比売は黙って聞いていた。
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たぶん。
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聞いていた。
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そのはずだった。
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翌日。
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命の灯火。
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開店前。
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店の裏口。
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足元に段ボール箱。
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「……何だこれ」
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伝票はない。
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差出人もない。
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嫌な予感がした。
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だが。
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開ける。
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煙草。
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尾鹿が吸っている銘柄。
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しかもワンカートン。
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「おい」
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思わず笑った。
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「馬鹿か」
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昨日の今日だった。
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誰が送ったかなんて考えるまでもない。
その日の閉店後。
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貴方様
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「何だ」
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指名料です
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尾鹿は煙を吐く。
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「そうかよ」
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少しだけ。
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嬉しかった。
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だから。
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それ以上は何も言わなかった。
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カウンターの隅。
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空になった段ボール箱が置かれている。
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その側面。
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小さな紙。
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そこには一行だけ書かれていた。
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配達完了
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