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【連作短編040】 レジンの海 全6話 ―持ち帰れた海と、持ち帰れなかった海―  作者: マチャオ (Machao)


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第五話 嵐:母は何も言わなかった。

第五話では、台風の夜に母が工房を訪ねてくる話です。

停電の中、懐中電灯の光で母は深い青を見た。何も言わなかった。その沈黙が、凪にとって一番届いた言葉でした。よろしければお付き合いください。

台風が来るという予報が出たのは、八月の終わりだった。


集落の人たちは慣れた様子で窓に板を打ちつけ、外に出ていた鉢植えを取り込み、早めに店を閉めた。凪も工房の窓を養生テープで補強して、材料を棚の奥にしまった。


夕方、雨が強くなり始めたころ、引き戸が開いた。


母だった。


「夕飯、食べてないでしょ?」


タッパーを持っていた。中身は、炊き込みごはんだった。


「来なくてよかったのに」


「どうせ一人で食べないから」


母はそう言って、勝手に台所を探してお椀を二つ出した。


凪は何も言わなかった。


---


二人で食べた。


外では風が強くなっていた。雨が窓を叩く音が、だんだん大きくなった。


母は工房の中を、特に何も言わずに見回していた。壁に掛けてある作品。作業台の上の道具。


「売れてるの?」


「少しずつ」


「実家に帰ってきたらいいのに」


「ここの方が海が近い」


母は「そう」と言って、ごはんを食べた。


余計なことを言わない人だった。昔からそうだった。凪が石を引き出しに貯め込んでいたとき、「また持ってきたの」と言いながら、捨てろとは一度も言わなかった。東京に行くと言ったとき、反対しなかった。戻ってくると言ったとき、理由を聞かなかった。


ただ、炊き込みごはんを持ってきた。


---


食べ終わったころ、停電した。


一瞬で、工房が暗くなった。


母が「あら」と言った。


凪は懐中電灯を探して、棚の引き出しを開けた。


光が戻ったとき、母は作業台の前に立っていた。


深い青を手に取っていた。


懐中電灯の光の中で、色が変わった。暗い青が、揺れた。


母はしばらく、何も言わなかった。


「これ」


短く言った。


「うん」


「いつから、こういうの作るようになったの?」


「最近」


母はもう少しだけ、それを見ていた。


それから、そっと作業台に戻した。


何も言わなかった。


凪も、何も言わなかった。


外では嵐が、工房全体を揺らしていた。


---


母が帰ったのは、嵐が少し落ち着いた夜中だった。


「気をつけて」


「あなたもね」


引き戸が閉まった。


凪は一人になった。


懐中電灯を作業台に置いて、深い青を手に取った。


母は何も言わなかった。


「きれい」とも、「暗いね」とも、「沖縄の海みたい」とも。


ただ、見ていた。


凪はしばらく、そこにいた。


観光客は「沖縄の海みたい」と言った。真奈は「暗いね」と言った。母は何も言わなかった。


三人とも、間違っていなかった。


ただ、母だけが——言葉にしなかった。


言葉にできないものを、言葉にしなかった。


凪は深い青を、窓際に持っていった。


嵐の夜で、外は真っ暗だった。海も、空も、見えなかった。


でも音がした。


波の音と、風の音と、雨の音が、全部混ざって、工房の壁を叩いていた。


整理されていない音だった。


凪はその音の中に立って、深い青を持ったまま、ただそこにいた。


言葉にならなかった。


でも、わかった気がした。


なぜ戻ってきたのか。

なぜここでなければ作れないのか。

それを言葉にできないことまで含めて。


凪は深い青を、作業台の隅に戻した。


灰色の石の、横に。


外では嵐が続いていた。


工房の壁が、また揺れた。

読んでいただきありがとうございます。

観光客は「沖縄の海みたい」と言い、真奈は「暗いね」と言った。母は何も言わなかった。三人とも間違っていない。でも母だけが、言葉にできないものを言葉にしなかった。そこに凪の答えがありました。

次話、最終話です。よろしければお付き合いください。

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