第二話 東京:沖縄の海を閉じ込めたかった。でも、肝心なものが入っていなかった。
第二話では凪の東京時代を描きます。
同じ材料で、同じように作っても、どこかちがった。その理由がわからないまま、三年、五年、六年と過ぎていく話です。よろしければお付き合いください。
東京でも、海は作れた。
材料は揃っていた。エポキシ樹脂、顔料、シリコン型。ネットで注文すれば翌日には届いた。沖縄で使っているものと、ほぼ同じだった。
それでも、できあがるものが、どこかちがった。
作業台の隅に、小さな石が一つ置いてあった。
沖縄の浜で拾った石だった。灰色で、平たくて、特別きれいというわけでもない。引き出しの奥に眠っていたものを、東京に来るとき、なんとなく持ってきた。
制作中、行き詰まると、その石を手の中で転がした。
ひんやりして、重さがあった。
でも、輝かなかった。浜で見たときの、あの輝きは、もうなかった。
色は合っている。混ぜ方も同じだ。硬化時間も、気泡の抜き方も、何一つ変えていない。なのに、並べて見ると、すぐにわかった。
嘘くさい。
その言葉が浮かぶたびに、凪は首を振った。おかしい。材料は同じなのに。技術だって落ちていない。なのに、なぜ。
わからなかった。
わからないまま、三年が過ぎた。
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東京に出たのは、二十二のときだった。
色を扱う仕事をしたかった。沖縄にいたら、その道は細かった。
仕事は面白かった。
毎朝、駅から会社まで歩いた。十分ほどの道だった。排気ガスと、コーヒーと、誰かの香水。においはいつも分離されていた。混ざらなかった。それが普通だと、しばらくは思っていた。
レジンアートを始めたのは、東京に来て四年目のことだ。型に流し込んだ瞬間、何かが動いた。色が混ざり合い、層を作り、ゆっくりと固まっていく。その過程が、どうしても目を離せなかった。
テーマは決まっていた。海だった。
沖縄の海を、閉じ込めたかった。
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何年か経って、凪は自分の作品を並べて見た。
並べて見ると、どれも同じ海だった。
晴れた日の、明るい青。観光地のポスターに使われるような色。誰が見ても「きれい」と言う色。
それが間違いだとは思わなかった。
ただ、自分が知っている海は、これだけじゃない、という感覚が、じわじわと滲んできた。
腐った海藻のにおい。
鉛色の雨の日。
夏が終わった後の、少し寂しい波の音。
そういうものが、樹脂の中にはなかった。
閉じ込めたいと思っていたのに、肝心なものが入っていなかった。
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五年目の春、同期の結婚式で沖縄に帰った。
空港を出た瞬間だった。
においが来た。
潮と、土と、どこかの食堂の油と、熱を帯びたアスファルトと、名前のつかない何かが、全部一度に押し寄せてきた。
凪は立ち止まった。
タクシーを待つ人たちが、脇を通り過ぎた。
においをかいだ。
胸の中で、何かが動いた。
これだ、と思った。
何がこれなのか、その時はまだわからなかった。
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東京に戻ってから、また作った。
同じ材料で、同じ手順で。
やっぱり、ちがった。
凪は、完成した作品を見つめた。
きれいだった。
嘘くさかった。
その夜、久しぶりに実家に電話した。
母が出た。
「元気?」
「元気だよ」
「仕事は?」
「忙しい」
「そう」
少し間があった。
「帰ってくるの?」
「うーん」
答えが出なかった。
帰る、という言葉が、喉のあたりで止まった。帰りたいのか、帰りたくないのか、自分でもよくわからなかった。
結局その夜は、答えを出せないまま電話を切った。
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転機は、些細なことだった。
六年目の夏、仕事でミスをした。
大きなミスではなかった。でも、上司に呼ばれて、長い時間かけて説明を求められた。凪は答えた。答えながら、どこかが遠くなっていく感覚があった。
この仕事が嫌いになったわけではなかった。
ただ、帰り道に川沿いを歩きながら、ふと思った。
今日、何かを聞いたか。
川の音がした。整理された、静かな音だった。
車の音、風の音、遠くの電車。東京の音は、いつもそうだった。重ならない。混ざらない。それぞれがきちんと分離されて、耳に届いた。
沖縄のあのぐちゃぐちゃは、ここにはなかった。
凪は立ち止まり、川を見た。
水面が、街の光を映して揺れていた。
きれいだった。
でも、何も混ざっていなかった。
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帰ってきたのは、その年の秋だった。
実家に戻るつもりはなかった。海沿いの集落に、古い空き家を借りた。工房にするために。
荷物を運び込んだ日、窓を開けた。
においが来た。
あの、ぐちゃぐちゃのにおいが。
凪はしばらく、窓の前に立っていた。
帰ってきた、という実感が、においと一緒に体に入ってきた。
嬉しいとか、正しいとか、そういうことではなかった。
ただ、ここでなければ作れないものがある、という確信が、静かにそこにあった。
言葉にはならなかった。
今も、できない。
でも、あの日窓を開けたときのことは、七年経った今も、はっきり覚えている。
読んでいただきありがとうございます。
凪が東京で抱えていた「嘘くさい」という感覚——材料も技術も同じなのに、なぜできあがるものがちがうのか。その答えは、まだ出ません。
次話では、同じ帰省の夜、凪が海沿いで感じたことを描きます。




