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仮病だと知っていましたよ、殿下。あなたを愛していた頃から。今は愛していないので、失礼します  作者: ヲワ・おわり


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第7話 証拠という言葉

本作は70話完結予定です。毎日5話ずつ更新します。本話は10:00投稿分です。面白ければ評価をいただけると励みになります。

 夜が更けてから、エルナは引き出しを開けた。


 三冊の帳面を机に並べた。整理するつもりで取り出したはずが、一冊目を開くと手が止まった。最初の記録を読み返すうちに、次のページ、また次のページと、止まれなくなった。


 最初のページの日付は、二年前の春だ。「テレーズ様、初回観察。クロード様との茶会にて体調不良を訴え退席。脈拍は安定。呼吸は整っている。顔色の青みは化粧によるものか、要確認」——この記録を書いたときの自分は、まだ迷っていた。「要確認」という言葉の慎重さが、それを示している。


 ページをめくる。十回目の記録。「脈拍安定。呼吸正常。体を前に丸める動作なし。胸が苦しいとすれば、これは通常現れる反応ではない」——少しずつ、言い回しが変わっていく。留保が減り、観察が明確になっていく。記録を書いている自分が、少しずつ確信に向かっていくのが見えた。


 二十回目の記録。「クロード様との乗馬の予定、当日欠席。テレーズ様より発熱の訴えあり。ただし三日後の舞踏会では顔色良好、声量も十分」


 三十回目の記録。「体調不良の頻度に一貫したパターンが確認できる。クロード様との予定がある日に集中している」


 二冊目を開く。記録の密度がさらに上がっていた。クロードとの予定がある日には、ほぼ必ずテレーズの体調不良の記録がある。それ以外の場では——体調不良は出るが、頻度が違う。その差は、もう偶然で説明できる量ではなかった。


 二冊目の終わりに、一行があった。


「今日で四十七回目。パターンの一貫性を確認。これは偶然の域を超えている」


 三冊目を開いた。最後に書いた行がある。


「これだけ積み重なれば、証拠になるかもしれない」


 あの夜書いた言葉だ。書いた瞬間、胸の中で何かが静かに動いた。あの感覚を、今もまだ覚えていた。


 今夜は、その先を考えてみようと思った。証拠になるかもしれない——では、証拠になったとして、それをどうするのか。


 誰かに見せるのか。何のために。


 婚約を解消するためか。婚約を解消することが、本当に自分の望みなのか。クロードのことが嫌いになったわけではない。彼は悪い人ではない。誠実で、責任感がある。ただ——自分に向けられる誠実さが、もうほとんどなくなっていた。そのことと「婚約を解消したい」という気持ちは、別のことだ。


 クロードへの気持ちを探した。ある——でも以前とは量が違う。最初に感じていた温かさが、少しずつ薄くなっている。薄くなっていることに気づいてから、何日も経つ。でも、愛情がある間は、この記録を「武器」として使うことができない。使うべきでもない。動機が私怨になってしまうからだ。


「婚約を解消するために証拠を集めた」と見られれば、エルナの意図が疑われる。薬師として誠実に観察してきたことが、目的のある行動に見える。そうなると、記録の信頼性が変わる。二年間、丁寧に書いてきたこの記録が、「目的のための記録」に変わってしまう。


 それは嫌だ、とエルナは思った。


 誠実に書いてきた記録だ。誠実さを保ったまま使いたいなら——使う動機が、誠実でなければならない。「婚約が破綻しているから」「愛情が消えたから」——それが理由なら、記録を見せる前に、まず自分が動く必要がある。順番が大事だ。自分の意志で動くことが先で、記録は後から、必要なら使えばいい。


 では——愛情が消えたとき、自分はどう動くのか。どこに向かうのか。それも今夜は答えが出ない。ただ、問いが積み重なっていく。一つ解決しないうちに、次の問いが来る。でも、問いが来るということは、自分がまだ考えている証拠だ。考えている間は、動ける。


 今夜は、その問いを立てるところまでだ。答えは出ない。でも、問いが生まれた。一度生まれた問いは、消えない。


 エルナは三冊を引き出しにしまった。蝋燭を吹き消すと、暗い部屋に月明かりが差し込んだ。窓から外を見ると、夜の王都に明かりがまばらに灯っていた。静かだった。昼間はあれほど人が動いているのに、夜になるとこんなに静かになる。この静かさの中で、人それぞれが何かを抱えて眠っているのだ、とエルナは思った。


 翌朝、父のアレン伯爵と朝食を共にした。テーブルに温かいパンと紅茶が並んでいた。父がエルナの顔を見て、少し眉を寄せた。


「顔色が悪いな」


「そうですか。少し夜更かしをしました」


「何かあったか?」


「いいえ、何も。ギルドの仕事のことを考えていただけです」


 父がじっとエルナを見た。父の目は、嘘を見抜く目だった。でも今日は何も言わなかった。「そうか」とだけ言って、食卓に目を落とした。少し間を置いてから、「無理するな」と言った。


「はい」


 短い朝食だった。エルナはパンを食べ、お茶を飲んで、立ち上がった。今日はギルドに行く日だ。仕事があれば、考えを保留にできる。薬師として動いている間は、他のことを考えなくていい。患者が来れば、その人に集中できる。症状を診て、処方を考えて、説明する。それが今のエルナには、ちょうどよかった。


「行ってまいります、父さま」


「ああ。気をつけて。……何か困ったことがあれば、言いなさい」


 エルナは振り返った。父はもう新聞を見ていた。ただ、その声が少し柔らかかった。


「はい。ありがとうございます」


 父の声が、背中から届いた。

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