第69話 そうですか
手紙は昼過ぎに届いた。
ヴェルガーが「ダルトン家からのものです」と持ってきた。エルナは受け取って、「後で読みます」と答えた。ちょうど診察の時間があった。患者が三人待っていた。手紙はそのまま診療台の上に置いておいた。
診察を終えてから、薬草庫に戻った。棚の整理をしながら、エルナは手紙のことを少し考えた。父からの手紙は、これで三通目だ。一通目は「エルナが辺境に着いたか確認」だった。二通目は「テレーズのことが社交界で噂になっている」だった。二通目を受け取ったとき、エルナは「そうですか」と読んで、帳面に一行書いた。それで終わりだった。今回は何だろう、と思いながら、整理の手は止めなかった。
棚の整理を一通り終えてから、エルナは手紙を開いた。窓の方を向いて、光のある場所で読んだ。
父の字は丁寧だった。いつもそうだった。父は何事も丁寧に書く人だ。それが父という人だった。
読んだ。
クロード・ヴェルニエ侯爵子息は、爵位継承から外された。理由は複数の借財と、取引に関わる不正だった。一部は長年にわたって積み重なっていたもので、今年に入って複数の取引先が明らかにしたらしかった。テレーズ・ノルトは社交界から完全に姿を消した。最後に確認されたのは秋の初めで、今は動向がわからない。ヴェルニエ家の名は、当面は使えない状況になるだろうと書いてあった。
ダルトン家への評価は、この件を通じて高まっている。父が取引を続けてきた幾つかの家から、あらためて連絡があった。「エルナを辺境に出したことも、今では良い判断だったと周囲から言われている。辺境伯ライナルト様に仕えているとのことで、それが後ろ盾になっている」と書いてあった。
最後に、「あなたはどうしているか。体は丈夫か。辺境の冬は厳しいと聞く。無理をするな」と書いてあった。
「そうですか」
エルナは声に出した。誰もいない薬草庫で、一人で言った。
手紙を手の上で少し持ったまま、エルナは窓の外を見た。夕方の光が低く差している。辺境の秋の終わりの光だ。
クロードが爵位から外れた。テレーズが消えた。ダルトン家の評価が上がった。それを読んで、何が起きるかと思っていた。かつての怒りが戻るか、あるいは何か晴れるような感覚があるか。でも何もなかった。嬉しくもなかった。悲しくもなかった。「そうですか」の四文字が、今のエルナの全部だった。それだけだった。
そうか——とエルナは思った。王都にいた頃のエルナなら、この手紙をどう読んだだろう。二年前のエルナは、クロードのもとで動いていた。必要とされていると信じていた。違った。でも当時のエルナは信じていた。あの頃のエルナがこの手紙を受け取ったなら、何かがあったはずだ。怒りか、混乱か、あるいは安堵か。でも今日のエルナには、「そうですか」だけだった。
遠い——とエルナは思った。
王都のことが、遠い。クロードのことが、テレーズのことが、婚約していた二年間が、全部遠かった。こんなに遠くなるとは、辺境に来た時には思っていなかった。来た時のエルナは、辺境は「行き先」だと思っていた。王都から離れた場所、次の仕事がある場所。でも今は違う。辺境が、居る場所になっていた。二ヶ月半で、これだけ変わった。
疫病の前兆を見つけた。記録が役に立った。フリスと一緒に村を診た。ライナルトに「いてくれてよかった」と言われた。「ここに来てよかった」と返した。それが今のエルナの現実だ。今日の薬草庫も、明日のフリスとの診察も、全部その続きにある。クロードの末路は、もうエルナの現実の外にあった。そこに感情を向けるだけの余地が、今のエルナにはなかった。
手紙を丁寧に折って、しまった。父への返事は後で書く。「こちらは元気です。仕事が続いています。辺境の冬の準備も整っています」と書けばいい。父はそれで安心するだろう。クロードのことには触れない。触れる必要がない。終わったことだ。エルナにとっては、もう前の出来事だ。
棚の整理を続けた。冬に向けて補充した薬草が並んでいる。乾燥状態を確認した。問題なかった。一つ一つ手に取って確認していくと、薬草の状態がわかる。この薬草は今週中に使う。こちらは来週まで大丈夫だ。そういう判断を、手と目でしながら進んでいく。それが薬師の仕事だ。明日フリスと一緒に確認する分と、城館で使う分を分けておいた。いつもの仕事だった。手紙が来ても、薬草の状態は変わらない。乾燥した薬草は、乾燥したまま棚にある。その事実が、今日のエルナにはちょうどよかった。
しばらくして、薬草庫の扉が開いた。
「エルナ」
ライナルトの声だった。
「はい」エルナは振り返った。
ライナルトが入ってきた。書類は持っていなかった。珍しいことだ。ライナルトが何も持たずに薬草庫に来ることは、それほど多くなかった。エルナにはわからなかった。何かを確認しに来たのか、あるいは別の用事か。
「少し、いいか」
「はい」エルナは答えた。手の中の薬草を棚に戻した。
ライナルトが薬草庫の中を一度見た。それからエルナを見た。夕方の光が差していた。辺境の夕の光は低く、薬草の束に影を作っていた。静かな薬草庫だった。手紙はもう、棚の上の帳面の下に入っている。




