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仮病だと知っていましたよ、殿下。あなたを愛していた頃から。今は愛していないので、失礼します  作者: ヲワ・おわり


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第64話 彼女は辺境の医療顧問だ

 翌日の夕刻、城館の広間に近隣の領主が二名来た。


 一名はリンダル男爵、四十代の体格のよい男だ。もう一名はヴァン子爵で、もう少し若い。どちらもライナルトと同じ地方の領主だ。食事を交えた会合という形で、辺境の状況について情報を交換する場だとヴェルガーが説明していた。エルナは城館の医療顧問として席を設けられていた。


 会合の最初、エルナは立って辺境の医療状況を報告した。「今年の秋、疫病の前兆を早期に発見し、対策を取りました。感染の拡大は最小限に抑えられています。現在は冬に向けた薬草の補充と、隔離スペースの整備が完了しています」という内容を簡潔に伝えた。二人の領主が聞いていた。ライナルトがテーブルの端で聞いていた。


 食事が始まった。ヴァン子爵が「辺境は冬が厳しい」と言い、ライナルトが「今年は早めに準備をした」と答えた。リンダル男爵が「物資の流通が課題だ」と言い、街道の整備の話になった。エルナは食事をしながら、話を聞いていた。


 食事が進んでから、リンダル男爵がエルナに顔を向けた。「あなたは王都のギルドの出身だと聞いたが」


「はい。王都の薬師ギルドで修練を受けました」


「辺境に来てどのくらいになるのか」


「二ヶ月半ほどです」


「大変だったのではないか。辺境はギルドとずいぶん違うだろう」


「慣れました」エルナは答えた。「ここの方が、仕事の手応えがあります」


「そうか」リンダル男爵が少し身を乗り出した。「実は私の領地でも、医療の問題がある。今は専属の医師がいるが高齢でね。後継を探している。王都のギルド出身で、腕があるとなれば——来年の春以降にでも、うちに来てもらえないかね」


「リンダル殿」ライナルトが静かに言った。


 テーブルが少し静まった。


「彼女はヴェステル辺境の医療顧問だ」ライナルトが続けた。声は低かった。感情は見えなかった。でも、言い切りの速さが普通ではなかった。「辺境の医療体制を整備している最中で、冬の患者が増える時期には動かせない」


「いや、何もすぐにとは言っていない。来年の春以降——」


「彼女の仕事は、辺境に必要だ」ライナルトが言い切った。それ以上の言葉は出なかった。


 リンダル男爵が「……そうかね」と言った。ヴァン子爵が咳払いをした。話題が変わった。街道の整備と、冬の物資輸送の話に戻った。ライナルトが答えた。エルナは食事を続けた。


 二人の領主が帰ったのは、夜が深くなってからだった。城館の広間が静かになった。


 エルナは広間を出て廊下を歩いた。ヴェルガーが片付けをしていた。「お疲れ様でした」と声をかけてきた。エルナは少し頷いて、廊下を続けた。


 「彼女の仕事は辺境に必要だ」——その言葉が、歩きながら頭に残った。実務的な言葉だ。でも速さが、違った。打診の言葉が終わる前に、もう答えが出ていた。エルナが何か言う間もなく遮られた。その速さは、考えた上での言葉ではない。反射的に出た言葉だ。


 反射的に——つまり、感情に近いところから出た言葉だ。ライナルトという人は、反射的に動くことが少ない。何かを決めるとき、理由を確認してから動く。それがこの人の性質だ。エルナはこの二ヶ月でそれを知っている。その人が、あの速さで言った。


 (どういう意図で、あの言い方をしたのだろう)——エルナは廊下を歩きながら思った。実務的な判断で「医療顧問が必要だから引き留めた」という解釈もある。でも速さが、それとは少し違う気がした。「必要だから」より「行かせたくない」に近い速さだった気がした。


 エルナは考えを止めた。感情の解釈を帳面に書いてもいいが、それは観察ではなく推測だ。今夜は事実だけ書く。「リンダル男爵の打診を、ライナルト様が即座に遮った。「彼女の仕事は辺境に必要だ」という言葉だった。速さが、通常の実務判断と異なっていた」——そこまで書いた。


 書き終えたとき、廊下を歩く足音がした。ライナルトだった。エルナが立っていると、ライナルトが少し足を止めた。


「先ほどは——」ライナルトが言いかけた。


「お気遣いありがとうございました」エルナはすぐに答えた。


 ライナルトが少し黙った。「それだけか」


「はい」


 ライナルトが何か言おうとして、やめた。「明日、話せるか」と言った。


「はい」


 ライナルトが去った。エルナは廊下に残った。「明日、話せるか」——続きがある。今夜遮ったことについて、何か言いたいことがある。それが明日わかる。今夜は眠る。辺境の夜は深い。ただ、眠る前にもう一行だけ書き足した。「「行かせたくない」に近い速さだった」——それが今夜の観察の結論だ。推測だが、記録した。帳面を閉じた。明日が来る。明日ライナルトが何を言うかは、わからない。でも「明日」がある。それだけが今夜確かなことだった。ライナルトが「明日」という言葉を使った。それが今夜の、もう一つの観察だ。「いつか言える」と言って、「明日、話せるか」と言った。「いつか」が「明日」になった。それはどういうことか——エルナはそれ以上考えないことにして、目を閉じた。辺境の夜が深くなっていく。明日になれば、続きがある。その事実が、今夜のエルナを眠らせた。初めて、辺境での明日の朝が楽しみに感じられた。

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