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仮病だと知っていましたよ、殿下。あなたを愛していた頃から。今は愛していないので、失礼します  作者: ヲワ・おわり


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第62話 それだけだろうか

 翌日の診察の帰り道、エルナは廊下でライナルトとすれ違った。


「時間があるか」ライナルトが言った。


「はい」


 執務室ではなく、廊下の突き当たりの窓際に二人で立った。ライナルトが外を見た。辺境の空に雲が広がっている。雪の前の空の色だ。


「昨日の話で、一つ確認がある」ライナルトが言った。


「はい」


「「信頼できる、それだけだ」と答えた。あの答えは——正確だったかどうか、自分で考えていた」


 エルナは一瞬止まった。昨日の間を思い返した。確かに、あの答えは少し早かった。何かを選んだような間があった。「……正確ではなかった部分があるということですか」


「記録を信頼していることは、本当だ。しかし「それだけだ」という部分が、正確かどうかわからない」


 エルナはライナルトを見た。この人が「わからない」と言うのは、珍しかった。何かを決断するとき、事実を確認するとき、この人は迷わない印象があった。報告を受けて即断する。問いを出して確認する。「わからない」という言葉は、この人には似合わないように聞こえた。でも今、言っている。


「正確でなかった部分は、どういうことでしょうか」エルナは聞いた。


 ライナルトが少し間を置いた。窓の外を見たまま、答えた。「……うまく言えない」


 それだけだった。「うまく言えない」という言葉の後、ライナルトが窓から目を離してエルナを見た。その目が、少し違った。何かを言おうとしている。でも言葉が出てこなかった。


「答えていただく必要はありません」エルナは答えた。「昨日の答えで、十分です」


「いや——」ライナルトが少し止まった。「いつか言える。今日ではないかもしれないが」


「「いつか」」エルナが繰り返した。


「そうだ」


 短い沈黙があった。廊下に風が入る音がした。外の雲が動いていた。


「わかりました」エルナは答えた。「いつかで、構いません」


「……あなたは、待てる人だ」ライナルトが言った。


「記録を続けることも、待つことの一種です。すぐに答えが出るとは思っていません」


「そういう人だ」ライナルトが少し言った。それ以上の言葉はなかった。


 ライナルトが少し頷いた。「仕事がある」と言って去った。


 廊下に残ったエルナは、窓の外の雲を見た。「いつか言える」——その言葉が残った。「言えない」ではなく「いつか言える」だ。言おうとしている何かがある。言葉が見つからないのか、場面が違うのか、まだわからない。でも「いつか」という言葉には、続きがある。


 薬草庫に戻りながら、エルナは昨日の「それだけだ」と今日の「うまく言えない」を照合した。二つの答えは矛盾している。「それだけだ」と言ったが、「それだけ」ではない何かがあると今日認めた。それはつまり——エルナは考えを止めた。そこから先は、今の自分が確認するべきことではない。


 帳面を開いた。「ライナルト様、昨日の「信頼できる、それだけだ」が正確ではなかったかもしれないと言及。「うまく言えない」「いつか言える」——この言葉は記録する。この人が「うまく言えない」という場面は、今日が初めてだ」と書いた。


 夕方、薬草庫から出ると廊下でヴェルガーが待っていた。何か言いたそうにしていた。「エルナ様」とヴェルガーが言った。「少し、よろしいですか」


「はい」


 ヴェルガーが少し声を落とした。「……辺境伯が、あなたのことを特別に見ていると、私は思っています」


 エルナは言葉を探した。「特別、とは」


「長年お仕えしていますが、あのような様子は見たことがありません。申し訳ありません、余計なことを——」


「いいえ」エルナは答えた。「聞かせてくれて、ありがとうございます」


 ヴェルガーが少し安堵した顔をして、去っていった。エルナは廊下に残った。


 今日だけで、二つのことが起きた。ライナルトが「うまく言えない」と言った。ヴェルガーが「特別に見ている」と言った。二つとも、エルナが予測していなかった言葉だ。


 特別に見ている——それを、どう受け取ればいいのか。「雇用関係だ」という答えが、一番安全だ。一番正確に思える。でも今日、ライナルトが「それだけではなかった」と言った。「雇用関係だ、それだけだ」ではなかったかもしれない。


 考えすぎだ、とエルナは思った。帳面に書いて整理しよう。帳面を開けば、頭が整理される。それがエルナのやり方だ。薬草庫に戻った。今日の診察の記録から書き始める。ライナルトの話は、その後だ。


 今日のことを全部書いた後で、エルナは少し止まった。「特別に見ている」——ヴェルガーはそう言った。この人が長年仕えてきた人が、「初めて見る様子だ」と言った。それは、どういうことだろう。「雇用主が薬師を評価している」という意味ではない、と——そこまで考えて、止まった。今夜はここまでだ。帳面を閉じた。外の風が、冬を運んでいた。明日も仕事がある。それが今夜の終わり方だった。どんな夜でも、明日の仕事に戻る。それだけだ。でも今夜の「いつか」という言葉は、帳面を閉じた後も残っていた。いつか——それがいつかは、まだわからない。でも「いつか」という言葉が、今夜のエルナには少し温かかった。辺境の夜の中で、その言葉だけが灯のように残った。

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