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仮病だと知っていましたよ、殿下。あなたを愛していた頃から。今は愛していないので、失礼します  作者: ヲワ・おわり


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第58話 王都では

 その夜、ライナルトに呼ばれたのは日が沈んでからだった。


 執務室に入ると、大きな机の上に書類が広げられていた。地図と、数字が並んだ帳簿と、エルナが先週提出した医療拠点の現状報告書だ。「座れ」とライナルトが言った。椅子は二つ用意されていた。対面ではなく、机の角を挟んで横に並ぶ形で置かれていた。作業をするための配置だ。


「医療拠点の課題を整理したい」ライナルトが言った。「あなたから見て、今何が足りていないか」


 エルナは少し考えてから答えた。「三つあります。一つ目、冬前の薬草の補充です。今の在庫では、冬の三ヶ月分を確保できません。特に抗炎症系の生薬が不足しています。二つ目、隔離スペースです。今回の対応で、感染の疑いがある患者を分けられる場所が村に必要だとわかりました。集会所の一角では、長期使用に向いていません。三つ目、フリスとの診察の頻度です。今は週に一度ですが、冬に入ると急患が増えます。週に一度では対応が遅れることがあります」


 ライナルトが帳簿を見ながら聞いた。「薬草の補充は費用がかかるが、どの程度か」


「先日、必要品目と量をまとめた書面を作りました。ヴェルガー様にお渡ししましたが」


「見た。そちらはもう手配している」


 エルナは少し止まった。「……すでに動いていたのですか」


「出した書面に問題があれば聞く。なければ動かす。それだけだ」


「ありがとうございます。では——隔離スペースについては、集会所に隣接する小屋を改修すれば使えると思います。フリスとも話しています。費用と規模については、大工に確認が必要です」


「ヴェルガーに大工の手配を頼む。フリスと相談して、必要な仕様を書面でくれ」


「わかりました」


「診察の頻度については、フリスはどう言っている」


「まだ直接確認していません。フリスの診察の予定もあるので、一方的に増やすわけにはいきません。相談の上で提案する予定でした」


「話してみてくれ。費用の問題は別で解決する」


「はい」


 二人はしばらく作業を続けた。ライナルトが地図に書き込み、エルナが数字を確認する。村の東側の採掘場の位置、川の流れ、集会所の建屋の場所——地図を見ながら、隔離スペースの改修案を一緒に確認した。燭台の光が書類を照らしている。外は風の音がしていた。冬が近い。木が揺れる音がする。城館の夜は早く、廊下を歩く人の音もなかった。


「上流の採掘場については、引き続き管理が必要です」エルナは地図の一点を指しながら言った。「川の状態が変わったとき、すぐに水源を切り替えられるよう、代替の取水点を確認しておきたい」


「それは春の課題にする。冬の間は採掘を停止している。雪解けの前に確認する」


「わかりました。記録しておきます」


 ある時点で、ライナルトがペンを置いた。「一つ聞いていいか」


「はい」


「王都では、どんな仕事をしていたのか」


 エルナは少し間を置いた。仕事の話から、個人の話に移った。地図と帳簿から離れた問いだ。この人が仕事の外のことを聞くのは、珍しかった。


「ギルドでの診察と……婚約者の家に関わる仕事を、していました」


 ライナルトが少し黙った。地図に戻ろうとして、止まった。「婚約者の家の、とは」


「婚約者の幼馴染の方の体調管理を頼まれていました。医師の診断では慢性疾患ということになっていたので、薬師として関わっていました」


「それは」ライナルトが少し言葉を選ぶような間を置いてから言った。「薬師の仕事か」


 エルナは少し止まった。「……今思えば、違ったかもしれません」落ち着いた声で言えた。感情が入らなかった。「でも当時は、それが自分の役割だと思っていました。婚約者の立場で、求められたことをしていました」


「聞きすぎたか」


「いいえ」エルナは答えた。「今は、関係のないことです。婚約は解消されました。その後のことは、王都で片付いています」


 ライナルトが少し目を細めた。「片付いている」


「はい。そちらの話は、もう遠いことになっています」


 作業に戻った。ライナルトが地図に書き込む音が続いた。エルナは数字を確認しながら、少し前の自分の答えを振り返った。「今は関係のないこと」——本当にそう思えている。テレーズのことを話して、感情が動かなかった。怒りもなく、悲しみもなく、ただ事実として、ある期間のことを伝えた。


 この人には、少し話してもいい——エルナはそう思った。責めない。詮索もしない。「聞きすぎたか」と確認する人だ。この城館に来てから、そういう形で自分の過去に触れてくれた人は、いなかった。まだ全部ではない。でも今夜の話は、丁度いい量だった。


 執務室を出たのは、燭台の火が半分ほど短くなった頃だった。廊下は暗く、足音だけが響く。城館の夜は深い。帰り道を歩きながら、エルナは今夜の話を整理した。仕事の話と、少しだけ個人の話。それが今夜起きたことだ。記録するべき出来事として、帳面に入れる。それがエルナの習慣だった。今夜も、記録する。今夜「婚約者の話」をして、感情が動かなかったこと——それも、記録するべき一行だ。過去が本当に過去になったとき、それは帳面の中に静かに残る。王都のことは、今はそういう場所にある。ここの仕事が、今の現実だ。

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