第4話 観察日誌
本作は70話完結予定です。毎日5話ずつ更新します。本話は18:00投稿分です。面白ければ評価をいただけると励みになります。
夜が更けてから、エルナは三冊の帳面を机に並べた。
整理するつもりで引き出しを開けたが、取り出してみると手が止まった。三冊を横に並べた状態で、しばらくただ見ていた。薄い革の表紙。一冊目は二年前に買ったものだ。擦り切れ方が、ほかの二冊と違う。いちばんよく開いたから、表紙の角が柔らかくなっている。
蝋燭を引き寄せて、一冊目を開いた。
最初のページは二年前の春の日付だ。
「テレーズ様、初回観察。クロード様との茶会にて体調不良を訴え、退席する。観察所見:脈拍は触れた範囲で安定。呼吸は整っている。顔色の青みは化粧によるものと思われる」
あの日のことを覚えている。テレーズの手首が肘掛けに当たった瞬間、薬師の本能で脈を見た。乱れていなかった。それを書いた。「気のせいかもしれない」と思いながら、次も確認しようと思って。一回では結論は出ない。薬師は記録で考える——ソーリーの言葉を思いながら、ペンを走らせた。
次のページ。「脈拍:安定。呼吸:正常。発汗:なし——」
同じような記録が続く。三回目、四回目、五回目。慎重な言い回しの観察が積み重なっていく。三回目の余白に「偶然か?」と書いてある。今見ると、あのとき迷いながら書いたことがわかる。迷いながら書いたのに、その疑問符は今でも、答えを待っている。
「クロード様との乗馬の日。テレーズ様が当日の朝に体調不良を訴え欠席。発熱の訴えあり。ただし三日後の舞踏会では顔色良好、声量も十分」
一冊目の半ばで、記録の書き方が少し変わっていた。「体調不良」という言葉の後に、状況の注釈が増えている。クロードが関わる場面かどうか。他の社交の場と比較してどうか。エルナ自身がいつから意識的に比較し始めたのか、はっきりした日付はわからない。気づいたら、そう書くようになっていた。
ページをめくるたびに、記録は重なっていく。十回、二十回、三十回。同じパターンが繰り返される。エルナは医師ではないが、薬師として一つのことを知っている——身体は嘘をつかない。脈拍は、意志の力では制御できない。呼吸の深さも、発汗も。本当に苦しいとき、身体はそれを正直に示す。記録はその正直さを、二年間にわたって書き留めていた。
二冊目に入ると、記録の密度がさらに上がっていた。
クロードとの予定がある日に、ほぼ必ずテレーズの体調不良の記録がある。他の社交の場では——体調不良は出るが、頻度が明らかに違う。その差を見ているうちに、「偶然」という言葉が使えなくなっていった。でも、そう書くことをエルナはずっと避けていた。書いたら、その先を考えなければならない。
二冊目の終わりの方に、一行があった。
「今日で四十七回目。パターンの一貫性を確認。これは偶然の域を超えている」
この行を書いた夜のことを覚えている。ずいぶん長い時間、筆が止まっていた。「偶然の域を超えている」——それを書くことが、何を意味するか。わかっていたから、止まっていた。それでも書いた。書かなければ、薬師として観察していないのと同じだったから。薬師の誠実さは、記録の誠実さだとソーリーは言う。都合の悪いことも、記録する。それが薬師の仕事だ。
三冊目を開いた。今日の記録はまだ書いていない。
新しいページにゆっくりと書き始めた。
「三冊の記録を通覧した。症状は特定の状況にのみ現れる。医学的な慢性疾患として説明するには、パターンが整いすぎている」
書いて、一息ついた。
次の行に移ろうとして、手が止まった。「証拠」という言葉が浮かんでいた。書きたくなかった。その言葉を書いたら、次のことを考えなければならない。証拠は何のためにあるのか。使うのか。誰かを傷つけることになるのか。
エルナは窓の外を見た。夜の王都に明かりが灯っていた。
クロードへの気持ちを探した。ある——でも以前とは量が違う気がした。最初に感じていた温かさが、少しずつ薄くなっている。薄くなっていることに、今日初めてはっきり気づいた。
愛しているうちは、この記録を「証拠」として使う気にはなれない。使うべきでもない。愛情が動機でなく、何か別のものが動機になるなら——そのときは考えるかもしれない。でも今は、そのときではない。
ペンを走らせた。
「今日も脈拍は正常だった。これだけ積み重なれば、証拠になるかもしれない」
書いた瞬間、胸の中で何かが動いた。恐怖でも覚悟でもない。もっと落ち着いた、澄んだ感覚だった。でも同時に、問いが来た。愛が消えたとき、自分はどうするのか。
エルナはペンを置いた。今考えることではない。愛はまだある。だから今日は「証拠になるかもしれない」と書いて、ここで終わりにする。
三冊を引き出しにしまった。蝋燭を消す前に、今日書いた一行を読み返した。
「これだけ積み重なれば、証拠になるかもしれない」
「かもしれない」——その言葉がまだ自分を守っていた。断言ではなく、可能性として書いた。でも可能性として書いたことは、もう消えない。翌朝もそこにある。エルナは蝋燭を吹き消した。暗い部屋に月明かりが入った。何かが、一段階進んだ気がした。
翌日、侯爵邸からお茶会の招待状が届いた。テレーズも来る席だ、と書いてあった。




