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仮病だと知っていましたよ、殿下。あなたを愛していた頃から。今は愛していないので、失礼します  作者: ヲワ・おわり


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第3話 夜会の対比

本作は70話完結予定です。毎日5話ずつ更新します。本話は13:00投稿分です。面白ければ評価をいただけると励みになります。

 ヴェルニエ侯爵邸の大広間は、夜になると別の顔を見せた。


 昼間は静かな来客の場だが、夜会の夜には何十本もの蝋燭が灯り、高い天井が黄金色に輝く。絹のドレスが行き交い、宝石が揺れ、グラスの触れ合う音が重なる。招待状には「非公式の集い」とあったが、広間に集まったのは六十人を超えていた。どこかで音楽が流れていて、その上に会話の声が幾重にも重なっている。


 エルナはその夜会に、一人で出席した。


 入り口で名を告げ、グラスを受け取り、顔見知りの令嬢たちに会釈をする。五年間繰り返してきた動作だ。今ではどこにも引っかかりがない。見知った顔を見つければ声をかけ、花の話や季節の話をして、にこやかにその場を保つ。社交界の動きはもう身についていた。


 クロードがどこにいるかは、すぐにわかった。


 広間のやや奥、椅子に腰かけたテレーズの傍らに立っていた。テレーズが何かを話し、クロードがうなずいて返す。周囲の人々が自然にその二人の周りに集まっていた。婚約者はエルナだが、その空間にエルナの場所はなかった。


「エルナさん、お一人ですの?」


 知り合いの令嬢、サラが近づいてきた。


「ええ、少し遅れてしまって」


「クロード様は今夜もずっとテレーズさんのそばにいらっしゃるわよ。……大丈夫? 婚約者なのに、いつも一人で」


 エルナは微笑んだ。「テレーズ様はお体が弱いですから、クロード様が気にかけるのは当然のことです」


「あなたって本当に心が広いのね」


 心が広い。エルナは内心でその言葉を繰り返した。そうかもしれない。違うかもしれない。ただ、怒るためのエネルギーが今は残っていないだけかもしれない。でも、それを言う意味はなかった。サラは好意で言っている。好意は受け取れる。今夜はそれで十分だ。


 しばらくして、クロードがこちらに気づいた。目が合うと安心したような顔をした——婚約者が来ていることを確認した、という顔だ。


「エルナ、来てくれたんだな。大丈夫か?」


「はい、もちろんです」


「テレーズが今日は少し調子が悪くて。もう少し付き合ってやりたいのだが、エルナのことはわかっているだろうな」


「どうぞ、ごゆっくり」


 クロードがうなずいて、また戻っていく。


 その背中を見ながら、エルナはグラスを口に運んだ。ワインは少し渋かった。それでも飲み干した。


 五年前に婚約したとき、クロードは礼儀正しく誠実な人だと思っていた。今もそれは変わっていない。悪意はない。優しさも本物だ。ただ——その優しさの向く先に、いつからか自分がいなくなっていた。気づいたのはいつだったか。一年前か。それとも、もっと前からずっと、そうだったのか。エルナにはわからなかった。わからないまま、こうして夜会に来ている。


 広間の端に移動して、壁を背に立った。


 テレーズが扇を広げていた。白い扇で口元を隠しながら、クロードに話しかけている。エルナはその動きを無意識に目で追った。薬師として観察する癖は、どこでも出る。


 呼吸のパターン:乱れていない。肩の上下が規則的だ。胸が苦しければ体が自然と前に丸まる。でもテレーズの背筋は伸びたままだ。本当に体調が悪いときとは、動作の質が違う。声も通っている。遠くからでも笑い声が聞こえてくる。


 エルナは視線を外した。


 その考えはもう何十回も頭に浮かんでいた。浮かぶたびに「でも確証がない」と棚上げにしてきた。棚上げにできているうちは、まだ何かが残っているからだ、と思っていた。


「エルナさん、一人なの?」


 別の令嬢が寄ってきた。「クロード様は今夜もテレーズさんのそばで……あなた、寂しくない?」


「夜会を楽しんでいます。こうして皆さんとお話しできる機会ですから」


「そうなの。……あなたって変わっているわね、いい意味で」


 令嬢は去っていった。変わっている——そうかもしれない。婚約者に放置されて平然としていることが「変わっている」と映るなら、自分はかなり変わっているだろう。あるいは、変わっているように見せることが上手くなっただけかもしれない。どちらでも、結果は同じだ。


 広間の中央でクロードとテレーズが話している。周囲の人々がその二人に自然に目を向けていた。「お似合いね」という空気が、言葉なく漂っていた。婚約者のエルナは、その輪の外にいた。


 今夜ここで何人の人が「エルナが可哀想」と思っているだろう、とエルナは考えた。同情は好意の一種だ。でもその同情の中に、正確に物事を見ている人間は一人もいない。


 テレーズが扇を閉じる瞬間、視線がこちらに向いた。一瞬だけ。確認するような、それだけの視線だった。エルナは表情を変えずに、グラスを口に運んだ。気づいているか確かめているのか。あるいは、ただの偶然か。エルナにはまだ判断がつかなかった。


 帰りの馬車の中で帳面を開いた。今夜の記録を書き、最後に一行書き足した。


「今夜もクロード様の隣にはいなかった。もう驚かなくなった。驚かない自分が、少し怖い気がする」


 夜の王都が窓の外を流れていく。灯りがいくつも見えては消えていく。次の夜会でも、きっと同じことが繰り返される。そして自分はまた、端に立って観察しているだろう。帳面を閉じ、膝の上に置いた。それが今の自分の立ち位置だ。

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