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仮病だと知っていましたよ、殿下。あなたを愛していた頃から。今は愛していないので、失礼します  作者: ヲワ・おわり


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38/70

第38話 嘘の終わり

本作は70話完結予定です。毎日5話ずつ更新します。本話は13:00投稿分です。面白ければ評価をいただけると励みになります。

 クロードがテレーズの部屋に入ったのは、午後だった。


 テレーズはソファに横になっていた。侍女が「殿下がいらしました」と告げた瞬間、テレーズは素早く体を起こした。身だしなみを整えた。クロードが来た。また来てくれた——そう思った。でもすぐに、扉を開けたクロードの顔を見て、何かを察した。


 いつもと違う顔だ。心配の顔ではない。何かを持ってきた顔だ。何かを確認しに来た顔だ。決めてきた顔だ。


 クロードは封書をテレーズの前のテーブルに置いた。


「これを読んでくれ」


 テレーズは封書を見た。「薬師ギルド——」という文字が見えた。体の中で、何かが動いた。でも顔には出さなかった。


「読んでくれ」クロードがもう一度言った。


 テレーズは封書を開けた。中の文書を取り出した。読んだ。一行ずつ、丁寧に読んだ。読みながら、頭の中が静かになっていくのを感じた。「身体所見を示していない」「複数の薬師によって確認された」「記録の信頼性、異議なし」——文字は正確に並んでいた。曖昧な表現は一つもない。薬師ギルドの公印。三人の署名。これを「間違いだ」と言い張るためには、相当な根拠が必要だ。根拠は——ない。読み終えた後、文書をテーブルに戻した。手が少し震えていた。


「……これは」テレーズが言った。声はほとんどいつもと変わらなかった。「ギルドが間違えているのよ。私、ちゃんと体調が悪いから。薬師さんが、たまたま調子の良い日にしか見ていなかったのかもしれないし——」


「複数の薬師が署名している」クロードが言った。「三人が独立して確認した、と書いてある。一人の間違いではない」


「でも——記録はエルナさんが書いたものでしょう? エルナさんが私のことを嫌いだから、悪く書いたのかもしれない。薬師だって間違えることはあるわ。私、今日も体が重くて——」


「テレーズ」クロードが静かに言った。声に力があった。「なぜ、複数の薬師が、こう言うのか。理由を教えてくれ」


 テレーズが黙った。


 クロードがテレーズを見ていた。その目が——いつもと違った。心配の目ではなかった。求める目だった。答えを求める目だった。この目は今まで向けられたことがない目だ、とテレーズは思った。クロードはいつも、テレーズの言葉を信じてきた。テレーズが「苦しい」と言えば心配し、「大丈夫」と言えば安心した。その繰り返しを、クロードは信じてきた。でも今日の目は違う。手に書類がある。「信じてほしい」では済まない目だ。


「……クロード様」テレーズが声を変えた。少し細くした。「信じてくれないの? 私のこと、信じてくれないの?」


「答えてくれ」クロードが言った。「なぜ、こう言うのか」


 テレーズが口を開きかけた。何か言おうとした。「私は本当に体が弱くて、エルナさんが嘘をついているのよ」という言葉が来かかった。でもその言葉を出した瞬間に、クロードの目がどう変わるかが——見えた気がした。信じない目になる。「やはりそうか」という確認の目になる。今のクロードは、もうその言葉を待っていない。答えを待っている。


 言葉が出なかった。


「なぜ」クロードが繰り返した。声に怒りはなかった。ただ、疲れたような、静かな問いだった。「なぜ、エルナはこの記録を二年間書いたのか。なぜ、ギルドがこれを発行したのか。なぜ——こういうことになったのか。答えてくれ」


 テレーズの目に、涙が出た。


 今度は、引き出したのではない。出てきた。自分でも止めることができなかった。今まで演技で出してきた涙と、今日の涙は、違う種類のものだった。今日の涙は——崩れていく自分を、自分で見ている涙だった。嘘が崩れていく。積み重ねてきたものが、今この瞬間、一枚ずつ剥がれていく。それを止める言葉が、何もない。


「クロード様——」テレーズが言った。声が震えた。「ごめんなさい」


 それしか出なかった。


 クロードが書類を取り上げた。椅子から立った。テレーズを見た。その目の中に、怒りは見えなかった。それが——怒りより重かった。怒りなら、テレーズには対処できた。でもクロードの目の中にあるのは、静かな確認だった。答えが出た、という確認。そしてそれが「遅すぎた」という確認。


「わかった」クロードが言った。静かな声だった。怒りではない。何か、固まった声だった。「今日は失礼する」


 扉が閉まった。廊下の足音が遠ざかった。それも消えた。


 テレーズは一人残った。泣いていた。演技ではなく、泣いていた。崩れた、と思った。クロードの目が変わった瞬間に——全部が変わってしまった。


 何年もかけて作ってきたものが、今日の午後に終わった。「体が弱い」という物語が、今日終わった。クロードが信じてくれていた物語が。そのことが、テレーズには悲しかった。失ったものがある、という感覚が、今初めてはっきりとあった。それが何かは——まだわからなかった。でも確かに、何かが今日終わった。


 どうすればいいか、今のテレーズにはわからなかった。何かをする、という感覚が、この部屋から消えていた。窓の外の光が斜めになっていた。夕方が近い。侍女が扉の外にいるだろう。でも今は、誰も呼びたくなかった。一人でいる必要があった。一人でいなければならない気がした。

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