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仮病だと知っていましたよ、殿下。あなたを愛していた頃から。今は愛していないので、失礼します  作者: ヲワ・おわり


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第28話 侯爵夫人の来訪

本作は70話完結予定です。毎日5話ずつ更新します。本話は13:00投稿分です。面白ければ評価をいただけると励みになります。

 翌日の午前、侯爵夫人が突然やってきた。


 エルナが自室で薬草の調合記録を整理していると、侍女が「ヴェルニエ侯爵夫人様がお見えです」と告げた。エルナは少し間を置いた。来るだろうとは思っていた。申請書を受け取った翌日に来るとは、少し早かったが——それだけ急いでいる、ということだ。


「応接間にご案内して。私もすぐに行く」


 鏡の前で髪を整えた。服は今のままで十分だ。特別に着飾る必要も、粗末に見せる必要もない。いつも通りが、今日には一番合っている。廊下を歩きながら、呼吸を確認した。速くなっていない。落ち着いている。


 応接間の扉を開けた。


 侯爵夫人は立っていた。座っていなかった。それだけで、この来訪が礼儀ではなく圧力のためのものだとわかった。椅子に座って待つのが来客の作法だ。立ったまま待つのは、優位を示すためだ。


「お越しいただきありがとうございます。どうぞ、お座りください」


 エルナは夫人に言って、自分も椅子に座った。夫人がゆっくりと腰を下ろした。向かい合った。


 侯爵夫人は、昨日の応接間で見た印象と同じ人だった。背筋が伸びていて、衣装が整っていて、声に力がある。社交の場を長く歩いてきた人間の佇まいだ。でも今日は、昨日より目の奥が動いていた。昨日は外形を保っていた。今日は、内側のものが表に出かかっている。それが「急いでいる」ということの表れだと、エルナは思った。


 侯爵夫人の目が、エルナをまっすぐに見ていた。値踏みするような目ではなく、試すような目だった。この娘は揺れるか——そう見極めようとしている目だ。エルナはその目を、正面から受け止めた。


「昨日、ダルトン卿から書類をいただきました」夫人が言った。声は穏やかだったが、奥に力があった。「エルナさん、あなたは本当に申請するつもりなのですか」


「手続きは父が進めております。私からは何も申し上げることはございません」


「それはわかっています。でも——あなたの意思を聞きたい。書類はお父様が出された。でも、これはあなたのことでもある」


 エルナは少し考えた。夫人の言葉は正しい。これはエルナのことでもある。でも、だからといって、ここで意思を語る必要があるかどうかは別の話だ。


「申請書は、正式な手続きに従って提出されております。それ以上のことは、手続きの中で判断されることと思います」


「手続き、手続きと」夫人が少し眉を寄せた。「あなたはずいぶん……冷静ですね」


「侯爵夫人様のお時間をいただいておりますので、正確に申し上げるようにしております」


 夫人がエルナを見た。エルナは視線を外さなかった。外す理由がなかった。


「クロードは——うちの息子は、あなたのことを大切に思っています。それはわかりますか」


 エルナは少し間を置いた。


「……はい。そのことは、わかります」


 嘘をついていない。クロードが自分を大切に思っていた——それは事実だと思う。ただ、その「大切」の向きが、エルナが必要とする方向ではなかった。それも事実だ。


「ならば——考え直すことはできないのですか? 五年間の婚約です。今更、こういう形で終わらせることが、本当にあなたの望むことなのですか」


「手続きは父が進めております」エルナは同じ言葉を、同じ穏やかさで繰り返した。「私からは何も申し上げることはございません」


 夫人が少し押し黙った。


 この娘は動かない——夫人の目にそういう認識が生まれたのを、エルナは感じた。揺らす余地を探してきた。でも今のエルナには、揺らす余地がない。愛情がなくなった日のことを知らないから、夫人はまだ探しているのだと思う。でも、もう揺れる理由がない。二年間の記録が、その確信を作った。


「エルナさん」夫人がまた言った。今度は声が少し柔らかくなっていた。攻め方を変えた。「一つだけ聞かせてください。あなたは——クロードのことが、嫌いになったのですか?」


 エルナはその問いを聞いた。


 嫌いかどうか——それを今ここで答えることが、正しいかどうかを考えた。夫人はその答えを、手続きの中で使おうとしている。嫌いではないと言えば「なら撤回できる」と言うだろう。嫌いだと言えば「感情的な理由だ」と言うだろう。どちらに答えても、夫人の手の中に入る。


「その質問に対する答えは、手続きとは関係がございません」


 夫人が微かに目を細めた。エルナを見る目が、少し変わった。揺れる余地を探していた目が、揺れないことを認識した目になった。


 沈黙が続いた。どちらも何も言わなかった。でも空気は動いていた。夫人がまだ何かを諦めていないことが、伝わってきた。


 少し間があって、夫人がまた口を開いた。今度は声が柔らかくなっていた。攻め方を変えたのだと、エルナにはわかった。


「……一つだけ、最後に聞かせてください」夫人が言った。「エルナさん。あなたは——クロードのことが、好きではなかったのですか?」


 エルナはその問いを、静かに受け取った。


 応接間の窓から光が差し込んでいる。外では風が木を揺らしている。夫人の目が、答えを待っている。この問いに答えることが、何を意味するか、エルナにはわかっていた。好きだったかどうか——その答えを、エルナは持っていた。ただ、それをここで言うべきかどうかは、別の問いだった。

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