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仮病だと知っていましたよ、殿下。あなたを愛していた頃から。今は愛していないので、失礼します  作者: ヲワ・おわり


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第25話 空振りの問い

本作は70話完結予定です。毎日5話ずつ更新します。本話は21:00投稿分です。面白ければ評価をいただけると励みになります。

 クロードが訪ねてきたのは、翌日の午前だった。


 エルナはギルドにいた。昼の休憩に入ったところで、受付のギルド員が「ヴェルニエ殿下がいらしています」と知らせてきた。


 少し意外だった。クロードがギルドを訪ねてくることは、これまでなかった。でも表情に出さなかった。「案内してください」と言って、応接用の小部屋に移動した。部屋に入りながら、エルナはなぜクロードがここに来たのかを考えた。仕事の話ではないだろう。社交の話でもない。ギルドに来る理由があるとすれば——何かを確認しに来た、ということだ。誰かに頼まれて来たか、あるいは自分自身が気になって来たか。どちらにしても、エルナには言うべきことが今はない。


 クロードが入ってきた。いつもの礼服ではなく、外出向けの落ち着いた衣装だった。


「急に訪ねてすまない」


「いいえ。どうぞ、座ってください」


 二人で向かい合って座った。テーブルの上には何もない。エルナは背筋を伸ばして、クロードを見た。


 五年間の婚約者だ。でも今のエルナの目には、そうではない距離感でクロードが見えていた。クロードは悪い人間ではない。誠実な人間だ。ただ——優先することが違う人間だった、ということが今ではわかっていた。誠実さと、誠実の向き先は別のことだ。エルナに誠実でなかったからといって、クロードが悪い人間だとは思わない。ただ、自分の婚約者としては合っていなかった、というだけだ。


 クロードが少し間を置いてから言った。「最近、調子はどうか」


「おかげさまで、問題ありません。ギルドの仕事も順調です」


「そうか」クロードが頷いた。「仕事が忙しそうだと聞いたので、少し心配していた」


「ご心配をおかけしてしまいましたか。でも、普段通りに働いています。薬師の仕事の性質上、ある時期は集中して取り組むこともあります。でも特別なことは、何もございません」


 クロードが少し考えてから言った。「何か……困っていることはあるか」


 エルナはその問いを聞いた。


 何か困っていることはあるか——その問いに、エルナは少しだけ考えた。今この瞬間、困っていることはあるか。手続きは進んでいる。父が動く準備をしている。ソーリーが意見書を準備している。順番通りに進んでいる。困っているというより、順番が来るのを待っている、という状態だ。困ったことが一つもない、というのが正直なところだった。


「いいえ、何も」


 エルナは穏やかに答えた。嘘をついていない。今この瞬間、本当に困っていることは何もない。


「そうか」クロードが少しほっとしたような顔をした。何かを確認できた、という顔だ。でも何を確認したかったのかは、エルナにはわからなかった。


「テレーズは……最近どうですか」エルナが聞いた。自然な流れで聞けた。感情のない問いだった。


「相変わらず体調が万全ではないが……なんとかやっている」クロードが言った。「心配をかけてすまないな、いつも」


「そんなことはありません。殿下が気にかけていらっしゃることは、ずっとわかっていました」


 クロードが少し、何か言おうとして止まった。それから「それならよかった」と言った。「……また何かあれば、言ってくれ」


「はい。ありがとうございます」


 クロードが立ち上がった。エルナも立ち上がった。


「では、失礼します」


 その言葉は、自然に出た。エルナは自分でも少し驚いた。クロードに「失礼します」と言った。別れるときの言葉として、一歩退く言葉として。五年間、そう言ったことが——あっただろうか。婚約者だから「では失礼します」とは言わなかった。どこかに「対等ではない」という感覚があったかもしれない。でも今日は、自然に出た。


 クロードが少し止まったような気がした。でもすぐに「ああ、ご苦労」と言って出ていった。


 部屋に一人残ったエルナは、椅子にもう一度座った。


 何も困っていることはない——それは正確な答えだ。クロードが確認しに来たということは、誰かに頼まれたか、あるいは自分自身が気になったか、どちらかだ。どちらでも、今日は何も言う段階ではない。手続きが正式に動き始めてから、必要なことが伝えられる。今日は「何も」が、正確な答えだった。


 昼の休憩が終わる時間になった。エルナは立ち上がって、診察室に戻った。今日の午後も患者が三人いる。それをきちんとやる。手続きのことは、今日が終わってから考えればいい。


 廊下を歩きながら、「では、失礼します」と言ったことを、もう一度思い出した。自然に出た言葉だった。別れの言葉として。かつて愛していた人に対して。何かが変わった。言葉の選び方が変わった。感情の重心が変わった。それが今の自分の状態を、一番正確に示していた。次に会うときも——おそらく、同じように言えるだろう。そしてその後は、会わなくなる。それが、今動いている手続きの行き先だ。


 その夜、クロードはテレーズに報告した。「エルナは特に何も困っていないと言っていた。普通にしていた」と。テレーズが「そうなの。それなら安心した」と言った。その顔は、安心していなかった。「普通にしていた」という言葉が、テレーズの不安の中で別の意味を帯びた。普通にしていた——だから怖い、とテレーズは思った。

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