第16話 三本の計画
本作は70話完結予定です。毎日5話ずつ更新します。本話は7:00投稿分です。面白ければ評価をいただけると励みになります。
ダルトン伯爵邸に戻ったのは夕方だった。
カティが玄関で出迎えた。「お帰りなさいませ。お父様が書斎にいらっしゃいます。夕食の前に一度、お顔を出せとおっしゃっていました」
「わかった」
自室に荷物を置いて、手を洗って、それから書斎に向かった。扉をノックすると「入れ」という声がした。
アレン・ダルトン伯爵は、机の上の書類に目を通していた。エルナが入ると書類を脇に置いた。「顔色がいいな」
「そうですか」
「最近より、ずっとよい。座れ」
エルナは父の向かいの椅子に座った。書斎の棚には古い本が並んでいる。子供の頃から変わらない部屋だ。幼い頃、ここでよく本を読んでいた。父が書類仕事をしている横で、床に座って読んでいたことを覚えている。本棚の一番下の段には、エルナが子供の頃に読んだ薬草の図鑑がまだ残っていた。背表紙がすり切れている。薬師を目指したいと言ったとき、父はその図鑑を渡してくれた。文句も言わず、ただ渡した。その人だ。
「話があります」
「聞こう」
「三つ、あります」
父が少し眉を上げた。「三つ」
「順番に話します」
エルナは整理した通りに話した。感情を入れずに、事実だけを伝える。それが今の自分にできることだ。
最初に、二年間の記録のこと。テレーズの観察日誌を薬師ギルド長に見せたこと。ギルドとして公式意見書を出せる可能性があること。そのために、別の薬師が実際にテレーズを観察する機会が必要だということ。その機会は、次の社交の場で作れる見込みがあること。
父はすぐに口を挟まなかった。ただ聞いていた。書類から目を離して、エルナをまっすぐに見ていた。
「次に、愛情が消えたこと。正確には、先日の花茶会で確認しました。テレーズという人物が意図的に動いていると確信した瞬間に、消えました。今はもう、婚約者に対してその感情がありません」
父の顔が、少しだけ動いた。何かを抑えているような、表情の変化だった。
「……そうか」
「はい。感情の話は以上です」
「……わかった。続けなさい」
「最後に、辺境伯からの薬師派遣打診です。ソーリーさんから今日話を聞きました。ライナルト辺境伯から、薬師一名を最低一年間、辺境の医療拠点に派遣してほしいという正式な依頼です。私が適任と判断されています。婚約の問題が解決した後であれば、受ける方向で検討したいと思っています」
父がしばらく黙った。書斎の中が静かだった。外から夕方の鳥の声がかすかに聞こえた。窓の外の空が、橙色から薄紫に変わり始めていた。
「……よく、整理したな」
「手順が見えた方が、落ち着いて動けます」
「それはそうだ」父が少し考えてから言った。「婚約の件は、公式な手続きを経ることになれば、我が家として正式に動くことになる。ヴェルニエ侯爵家との交渉も必要になるだろう。それは覚悟の上か」
「はい。記録の評価が出た段階で、改めてご相談します。今日はまず、動いていることをお伝えしたかった」
「わかった」父が頷いた。「辺境の件だが——ライナルト伯は信頼できる方だ。派遣されるなら、安心できる先だと思う」
「そうなのですね」
「ご縁がある。詳しくは後で話す」父がそれ以上は言わなかった。「急がせるつもりはない。ただ、状況が変わったら、すぐに教えなさい」
「はい」
夕食の支度ができた、とカティが声をかけてきた。二人で食堂に移動する前に、父がエルナに言った。「よく、話してくれた」
エルナは少しの間、父の顔を見た。それだけの言葉だったが、十分だと思った。今の自分には、大げさな励ましより、静かに受け取ってもらえることの方が大事だった。
食堂に向かいながら、頭の中で三本の計画を確認した。公式意見書の手続き。婚約解消の申請。辺境への返答。それぞれに順番があって、それぞれに必要なことがある。
①別の薬師がテレーズを観察する。②ギルドの公式意見書が発行される。③婚約解消の正式申請を行う。④辺境行きを受諾する。
四つを並べてみると、見通しがついた気がした。どれも一人でできる話ではない。ギルドの力が必要で、父の力が必要で、制度の力が必要だ。でも——一人でできない、ということは、一人で抱える必要もない、ということだ。
それが今日、改めてわかったことだった。一人で全部を解決しようとしてきた二年間が、少しずつ変わり始めていた。変わっていいのだ、とエルナは思った。一人で抱えることが誠実さではない。
夕食の間、父は詳しい話には触れなかった。他愛のない話をして、食事を終えた。それでよかった。全部を今日中に決める必要はない。今夜は、話したことで十分だ。
自室に戻って、エルナは手帳を開いた。今日整理したことを改めて書き出した。順番と、それぞれに必要な行動と、大体の時間感覚。書いてみると、混乱していた頭が落ち着いた。感情で揺れていた部分が、手順の問題に変わった。手順の問題なら、解ける。それが確認できれば十分だった。
窓の外は完全に暗くなっていた。蝋燭の火が揺れて、手帳の文字を照らしている。明日は診察の日だ。次の社交の場は来週だ。それまでに、別の薬師への同席依頼を整える必要がある。一日に一つずつ、前に進む。それが今できる最善だった。




