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仮病だと知っていましたよ、殿下。あなたを愛していた頃から。今は愛していないので、失礼します  作者: ヲワ・おわり


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第11話 翌朝の記録

本作は70話完結予定です。毎日5話ずつ更新します。本話は7:00投稿分です。面白ければ評価をいただけると励みになります。

 花茶会の翌朝、エルナは夜明け前に目が覚めた。


 窓の外はまだ薄暗かった。部屋の中が、夜と朝の間の、青みがかった静かな光に満ちていた。布団の中でしばらく天井を見ていた。目が覚めた理由を考えた。心配事があると早く目が覚めることがある。でも今日は違う。不安でも緊張でもなく、ただ自然に目が開いた。


 昨日のことを思い返した。花茶会。テレーズの白い扇。扇の陰からの一秒の微笑み。あの顔は、「病弱な令嬢」のものではなかった。何かを知っていて、それを楽しんでいるような——そういう顔だった。


 その微笑みを受け取った瞬間、愛が消えた。


 今朝もその確認が続いている。愛がない。悲しくはない。ただ、視界が澄んでいる。昨日と同じ清明さが、今朝もそのままある。


 起き上がって、引き出しを開けた。


 三冊の帳面を机の上に並べた。今日は、最初から読み返す。二年間の記録を、今の目で見る。


 蝋燭に火をつけて、一冊目を開いた。最初のページの日付は、二年前の春だ。


「テレーズ様、初回観察。クロード様との茶会にて体調不良を訴え、退席する。観察所見:脈拍は触れた範囲で安定。呼吸は整っている。顔色の青みは化粧によるものと思われる。本日は確定的な判断を保留。引き続き機会を見て確認する方針とする」


 当時の自分が、どんな気持ちでこれを書いたか。迷いながら書いた。「確定的な判断を保留」という言葉が、その迷いを正直に示している。知ることが怖かったのではない。知ってしまったら次のことを考えなければならない——そのことが、まだ準備できていなかった。


「第五回観察。脈拍安定。呼吸正常。体調不良の主訴あり、身体所見に異常認められず。今回で五回目の同パターン確認。偶然の域か要検討」


「第十二回観察。同一パターン。今回はクロード様との乗馬の予定日。前日から体調不良の申告あり。当日欠席。同週の別の社交には問題なく出席。顔色も声量も、翌日には通常に戻っていた」


「第十九回観察。発熱の訴えあり。しかし体温は実測できていない。額を触れた限り、熱感は認められなかった。ただし確認の機会が短く、断言できない点に注意」


 ページをめくるたびに、記録が積み重なっていく。一回、五回、十回、二十回。慎重な言い回しが少しずつ変わっていく。「か?」「と思われる」「確認要」——そういう留保が、十五回目あたりから減っていく。観察が確信に変わっていく過程が、記録の文体の変化として見えた。二年間の自分の思考が、文字に記録されている。その変化を見るのは、奇妙な感覚だった。


 二冊目に入ると、記録がさらに密になっていた。


「第二十八回観察。クロード様との同行が発表された翌日、体調不良の報告。脈拍安定。呼吸正常。発汗なし。本日の体調不良は、身体的な原因を示す所見を伴っていない」


「第三十二回観察。パターンの一貫性を確認。クロード様との予定がある日に、ほぼ必ず体調不良の報告がある。偶然としては頻度が高すぎる。このパターンを、一つの傾向として記録する」


 この三十二回目の一行を書いたとき、何かが変わった。「偶然か?」から「偶然ではない」に変わった瞬間がここだ。書いてから、しばらく筆が止まったことを覚えている。でも書いた。書かなければ、薬師として観察していないのと同じだったから。


 三冊目を開いた。


 直近の記録がある。扇の観察。ハンカチへの切り替え。「診察を断る」という繰り返し。昨日の花茶会の前日まで——全部ここにある。


 エルナは三冊を閉じた。窓の外が、少しずつ明るくなっていた。朝の光が差し込んで、机の上の帳面を照らしている。三冊が並んでいる。最初の頃のものが一番擦り切れている。何度も開いてきた証拠だ。


「(これだけ、ある)」


 改めて思った。二年間の記録が、三冊の帳面に詰まっている。読み返す間、感情は揺れなかった。ただ——事実として、これだけある。これだけの記録が、二年間かけて積み重なっている。


 問いが立った。では——これは証拠になるのか。一人の薬師の観察日誌が「証拠」として認められるためには、何が必要なのか。エルナには法の知識がない。医療記録の証拠能力については、制度を知っている人間に相談する必要がある。


 一人の観察だけでは、主観的な記録として否定される可能性がある。複数の視点が必要かもしれない。あるいは、ギルドが正式に関与することで、記録に公的な重みが加わるかもしれない。エルナにはわからない。でも——わからないなら、知っている人間に聞けばいい。それが次の一手だ。


 帳面を引き出しに戻した。今日はギルドに行く日だ。ソーリーがいる。ギルド長は医療記録のことも、薬師ギルドの制度のことも、よく知っている。相談できる。相談していい——そう思えることが、今の自分には大事だった。


 一人で抱えていた二年間が、今日から少し変わる気がした。変わること——それが、今は怖くなかった。


「(ソーリーに、見せよう)」


 決めた。カティを呼んで朝の支度を頼んだ。今日は普段より少し早くギルドに向かう。帳面は持っていく。記録は、ここにある。次は、それをどう評価するかだ。ダルトン伯爵邸から薬師ギルドへの道は、よく知っている。歩いて二十分ほど。いつもの道だ。

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