表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
仮病だと知っていましたよ、殿下。あなたを愛していた頃から。今は愛していないので、失礼します  作者: ヲワ・おわり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/70

第10話 扇の陰の微笑み

本作は70話完結予定です。毎日5話ずつ更新します。本話は21:00投稿分です。面白ければ評価をいただけると励みになります。

 花茶会は、初夏の花を飾った明るい会だった。


 薔薇と芍薬が壁際に飾られ、テーブルには春摘みの茶が出ていた。令嬢たちが思い思いの席に着き、話し声と茶の香りが混じる。窓から初夏の光が差し込んで、部屋全体が明るかった。こういう会は好きだ、とエルナは思った。場が明るいと、観察が楽になる。


 エルナは端の席に落ち着いて、向かいの令嬢と最近の音楽会の話をしていた。


 テレーズは今日も体調が悪そうだった。到着してすぐにクッション付きの椅子を勧められ、周囲の令嬢たちがお茶を注いでくれた。胸元に手を当てながら、それでも微笑んで会話に参加している。クロードは今日は別の用事があり来ていないが、あとでテレーズから報告が届くだろう。


 エルナは今日、ここに来る前から決めていたことがあった。今日は「最後の観察」をしようと思っていた。なぜそう思ったのかはわからない。ただ、なんとなく——今日で何かが変わる気がしていた。薬師の勘と言えばいいのか。積み重なった記録が、何かを知らせているような気がした。


 会が半分ほど進んだころ、向かいの令嬢が「エルナさん」と声をかけてきた。


「クロード様と最近、どこかお出かけになりましたの?」


「少し前に、散策を」


「あら、それはよかったわ。最近クロード様がテレーズさんに付き添うことが多いって聞いていたから、婚約者様はどうされているかと思って——」


 令嬢の視線が横にずれた。「あら、テレーズさんが……」


 会の中心に目が向いた。テレーズが「少し……」と胸に手を当てている。


「大丈夫かしら」「無理しないで」と令嬢たちが集まり始めた。


 その瞬間。


 エルナが何気なくテレーズを見た。


 テレーズが白い扇をゆっくり開いた。


 扇の陰から——エルナだけが見える角度で——テレーズが微笑んだ。


 一秒にも満たない瞬間だった。


 その微笑みは、「病弱な令嬢」のものではなかった。可憐でも、憂いでも、疲れでもない。何かを知っていて、それを楽しんでいるような——そういう顔だった。「あなたは知っているでしょう」と言うような、確認するような顔だった。


 エルナは、その微笑みを受け取った。


 手の中のカップが、冷たく感じた。


「(意図的だった)」


 確信が来た。驚きはなかった。二年間の観察記録が示していたことを、これで確認した。それだけのことだ。だから、怒りも悲しみも、すぐには来なかった。薬師として観察してきた結果が、これだ。正確だった。記録は正しかった。


 ただ——同時に、別の何かがはっきりした。


 エルナは自分の中を確認した。クロードへの気持ちを探した。


 ない。


 さっきまであったものが、この一秒の間に、音もなく消えた。怒りで消えたのではない。悲しみで流れたのでもない。ただ静かに、なくなった。残滓もない。その清々しさに、エルナは少し驚いた。怒りが来ると思っていた。悲しみが来ると思っていた。でも来たのは、静けさだけだった。視界が澄んだような感覚——それだけだった。


 これが「愛が消えた」ということか、とエルナは思った。思ったより、静かだった。思ったより、清明だった。


 その後の会がどれくらい続いたのか、後半の記憶がほとんどない。テレーズが誰かと笑っていた。クッキーが回ってきた。誰かが刺繍の話をしていた。エルナはいつも通りに会話をして、いつも通りに笑った。令嬢としての動作は、もう自動的にできる。悲しみも怒りも感じなかった。ただ静かだった。その静けさが、今日の内側の状態だった。


 馬車に乗ったとき、日は西に傾いていた。


 エルナは膝の上に手を置いて、窓の外を見た。王都の街並みが流れる。いつもの景色だ。橙色に染まり始めた空に、鳥が一羽飛んでいた。馬車の揺れが、いつもより穏やかに感じた。


「(愛していた気持ちが、消えた。それだけは確かだ)」


 確認した。驚かなかった。


 視界が澄んでいた。長いあいだ、何かが霞んでいたのかもしれない。今は、それがなかった。ものの輪郭がはっきり見える気がした。テレーズのこと、クロードのこと、二年間の記録のこと——全部が、今日の一秒の中で整った。整ったというのが正確な言葉かもしれない。解決したわけではない。でも、向き合う準備ができた。


「(では、始めましょう)」


 そう思った瞬間に、帳面を取り出した。


 新しいページを開き、日付を書いた。


「花茶会。テレーズ様より、扇の陰から微笑みあり。エルナだけに向けたもの。意図的であることを確認した」


 一行空けた。


「今日をもって、確信する。そして——愛が消えた」


 書いてから、一度止まった。二年間で初めて書く言葉だった。「愛が消えた」——こんなに簡単に書けてしまうのか、と思った。でも書くべき事実だから、書いた。薬師の記録は、都合の悪いことも書く。それがエルナの誠実さだった。


 それだけ書いて、次のページをめくった。白紙のページが待っていた。


 エルナは一つ深く息を吐いて、ペンを持った。


「では、始めましょう」


 そう書いて、帳面を閉じた。第一章が終わった、とエルナは思った。第二章が、今日から始まる。馬車がダルトン伯爵邸への道を進んでいた。窓の外の夕暮れが、少しずつ濃くなっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ