甘言の契約
「あ、あの。初対面なのに奢ってくれてありがとうございます」
僕はダブルチーズバーガーの包みを開きながら、はにかむような笑みを浮かべてみせた。新作のマックシェイクの容器は結露していて、僕の額からは対象的に汗が引いていた。冷房が効いているだけでも十分に居心地がいい。
「お気になさらず。こんなものはした金ですよ」
そう伊地知守はプレミアムローストコーヒーを啜る。プチパンケーキの箱を開けて蜂蜜をかけ始めた。プラスチックのナイフでカットしていくのを見ながら僕は口を開いた。
「あの、死神の能力についてですが、何かご存知なんですか? 例えば、副作用だったりとか」
「おそらく同じ知識しかありませんよ。枕元にいる死神は祓ってはいけないってことくらいです。約束を破ったら風邪を引くとか言われていますが、何かしらの比喩でしょう。これだけの力を使っておいてペナルティがその程度では釣り合わないですから」
「同意見です。しかし、伊地知さんはこの力を商業利用していますよね。医療の手が届かない患者を救いたいと言う発言を耳にしました。そんなことをして大丈夫なんですか?」
「あなたも死神から言われませんでしたか? 医者の真似事をやってみないかと。僕はそれに従っているだけですよ。これは神の御意思です。この行為がもし正しくなかったとしても、それは僕を唆した神が悪い。違いますか?」
ふむ、と同調しつつ、ダブルチーズバーガーに噛みつくと、肉の旨味とチーズの塩気が脳みそを直撃した。ジャンクフードは合法的な麻薬だなと思ってしまう。マックシェイクを口に運ぶと、今度はちょうどよい甘味が口の中を支配した。
「僕は初めて同業者に会いましたよ。それまでは、この力を持っているのは僕だけだと思っていたくらいです」伊地知はパンケーキにバターを塗ってから口に運んだ。ゆっくりと咀嚼しながら、ふうと溜め息を吐く。「あなたはどんなご職業に就かれているのですか? 僕たちは、選ばれた側の人間ですよね」
「ええ、まあ、フリーターをやってます」
「稼げているんですか? お給料には満足していますか? この資本主義社会において、能力があるのに発揮しないのは怠慢と同義だと思いますが?」
「まあ、夜勤のシフトを入れればそれなりに稼げたりもしますよ。爪に火を灯すような生活だから稼げているとは言えないけど」
「失礼ですが、需要と供給は意識されていますか?」伊地知はサングラスのつるに指で触れて、口元をマスクで覆い隠してから声を潜めて言った。「ぶっちゃけコンビニ店員なんて誰にでもできる職業じゃないですか。そんなものは適当な外国人や学生にでもさせておけばいい」
僕は「そんなことはないだろ!」と言い返したかったが、彼の言葉がなぜか正論に聞こえてきて、確かに資格も学歴もいらないし、面接さえパスできれば誰でも働けるなと納得してしまった。それでも職業差別をされているようでいい心持ちではなかったが。
「もちろんコンビニ店員にも社会的な需要はあります。働き手は必要ですからね。ですが、需要に対して供給量が多すぎる。だから薄給なんです」
もういいや。ご飯を奢ってくれたことには感謝するが、それでも自慢話や嫌味を言われ続けるのは割に合わない。早くこの場を立ち去るために、僕は食事のペースを上げた。
「そこで提案があります。大手動画投稿サイトで人気のコンテンツ『起業の虎』に志願者として出演してもらえませんか? この動画は、各企業の社長が志願者の熱意やビジネスモデルに共感した場合に限り、投資という形で出資を行うクラウドファンディング番組です。もちろん出演できるように裏で根回しはしますよ。交通費も支給されますし、どうですか?」
「伊地知さんは僕に、起業して社長にでもなれと言いたいんですか? 悪いですが興味ないですよ」
「違います。あなたは社長になれる器なんかじゃありません。きっと浅いビジネスモデルと綺麗事を並べ立てて罵倒されて終了でしょう。ですが、それでいいんです。僕が社長側の席に座って、あなたに全額出資してストーリーを作ります。あなたには僕の下で働いてもらいたいんです」
「伊地知さん。こんな勧誘をされて、はい、いいですよ。なんて言う人がいると思いますか? もう帰らせてもらいますよ」
「本当に、それでいいんですか? 今のままくすぶって、コンビニ店員として人生を終えていいんですか? もちろん職業に貴賤はありませんよ。しかし僕たちには死神が見えるし、祓うことだってできる。この力を世の中のために役立ててみたいとは思いませんか?」
確かに伊地知の言うとおりだった。
家賃を滞納し、母親からは罵倒される毎日。こんな暮らしからは脱却したい。一度は生活に困窮して死のうとした身だ。なりふり構ってはいられないのだ。
「わかりました。しかし僕がその動画に出る必要はありますか? 普通に雇ってくれればよくないですか?」
「もちろんそれでも全然いいですよ。しかし顧客は商品の価値以上に物語性に共感して消費行動を起こす生き物です。ここでまたひとつ大きな物語を描きたいんです。その方が売り上げに直結するし、より大きな利益が得られる」
「伊地知さんには十分な大義名分がありますよね。現代医療の手が届かない患者を救いたい。それでいいじゃないですか。それ以上に何を望むんですか?」
「僕がリーチできている視聴者は、都市伝説やオカルトが好きな人がボリューム層です。しかし『起業の虎』に出演すれば新規層への宣伝にも繋げられる。よりマーケットの規模を広げられる。そんな大きな舞台で、あなたには道化を演じてもらいたいんです。ただし、僕とは他人同士という設定でお願いしますよ」
道化って。伊地知さん、あなたねえ。
僕がそう言いかけたところで、伊地知は、
「これは前払い金です。受けていただけますね」
札束を机の上に置いた。
茶色いトレーの横に、平然と。
僕にはそれが、ダブルチーズバーガーやマックシェイク、プチパンケーキにプレミアムローストコーヒーと同列に並べていい代物ではないように思えた。紙幣の厚さは洗濯バサミでぎりぎり挟めるくらい。今の僕には喉から手が出るほど欲しい金額。
「わかった。だけど、道化を演じるつもりはないからな」
すぐにお金を回収してから、目を細めて威嚇してみせる。敬語も使わないで宣戦布告。伊地知にはきっと仔猫が毛を逆立てて、飼い主に向かっていくくらい滑稽な姿に見えていただろう。それでも僕にとってはこれがプライドを守るための最後のちっぽけな反抗だった。




