覚醒の追随
コンビニバイトの朝は早い。
僕はおばあちゃんの容体が気になっていたが、いつも通りに出勤することにした。衣装ロッカーから青と白のストライプ模様の制服に袖を通す。まだ眠気が残る時間帯であった。
従業員専用の倉庫スペースは薄暗く、お菓子や飲料水が段ボールに平積みにされていた。店内のラジオはおすすめのホットスナックを紹介している。お客さんもまだらでほとんど人の気配がない閑散とした店内だが、少しでも休憩時間が長いと、24時間にわたって監視カメラを眺めていると噂されるオーナーが駆けつけてくるので気は抜けなかった。
「おはようございます。今日は品出しからお願いします」僕はバイトリーダーとして、最近になって働き始めた女子学生の佐藤美咲さんに指示を出す。彼女は華やかな笑顔が特徴的で接客も丁寧なので好感が持てる人物だった。「賞味期限が近い物は棚の前の方に並べてね。値札が更新されていなかったら教えて。それと発注した商品が来ていなかったら先方に連絡するから確認もよろしくね」
こうして、相変わらずの一日が始まった。
朝日とともに客足は増え始める。
僕は「いらっしゃいませー!」「ありがとうございましたー!」といつも通りに声を張り上げる。他にも店長のおすすめ商品や新作スイーツの購買意欲も客層を見ながら促した。
お昼どきのピークの時間を乗り越えると、僕の足はパンパンになっていた。筋肉がこわばり、しゃがむとジーンズによってふくらはぎが締め付けられるような感じがして倒れそうになる。ずっと立ちっぱなしだったせいで、血流が滞り、脚がむくんだ気がする。
「今日もお疲れ様でした」と佐藤さんが手提げのポーチを肩に掛けて帰っていく。僕は「ああ、お疲れ様さん」と無表情で返事をしながら廃棄弁当をこっそり回収しつつ溜め息を吐いた。若者は未来が明るくていいなとなんとなく思った。
店内のラジオが流行りの曲を流し終えて、若いインフルエンサーとの対談を始めた。彼は動画クリエイターとして活動しており、医学的なアプローチでは治すのに時間がかかるような難病をたったの一日で治してしまうスピリチュアル界の名医として紹介されていた。
「どうも、伊地知守です。世の中には、宗教上の理由や個人的な思想によって、現代医学の治療……医薬品や医療機器を使った治療を受けられない患者さんが、実はたくさんいらっしゃいます。僕はそのような既存の医療の手が届かない人たちを救いたいんです。そのために動画配信活動を始めました。僕が有名になることで、救えるはずの命が、一人でも多く助かってくれたらなと思います」彼はそのように語ったあと「ちなみに僕が好きな食べ物は、このコンビニ限定で発売している竜田揚げくんですね。子供の頃からずっと食べてました」と案件に繋げることも忘れなかった。
なるほど、新手の医療系インフルエンサーか。隙間産業を縫うようなアプローチだな。しかし、本当に儲かるのか? 医療法人や医療従事者との確執は大丈夫なのか? 世間からの評価はどうなんだ?
そんなことを考えながら自動扉をくぐると、容赦ない夏の日差しが肌を焼いた。湿度も高いせいで、一瞬で汗が噴き出る。僕は日陰を選んで歩きながら、外国人観光客の多い路地裏を歩く。
ふとスマートフォンを見て驚いた。
着信履歴が17件もある。全部母親からだった。
血の気が引くと同時に、別の種類の汗がこめかみを伝う。廃棄弁当を入れたコンビニ袋が、風でカサカサと鳴った。
メッセージアプリのアイコンにも未読件数が表示されている。急いで表示してみると、ずらっと並ぶ文字列が液晶画面をところ狭しと埋め尽くしていた。
「おはよう。今日もいい天気ね。起きてる?」
「返事が遅いんだけど?使わないならケータイ解約した方がいいんじゃない?」
「社会人として当たり前のことすらできないのね」
「電話しても出ないし」
「おばあちゃんのことについて話したいんだけど」
「せめて既読くらいつけたら?」
「おばあちゃん、良くなったみたい」
「私の看病のおかげですねって、病院の先生に伝えといたわ」
「家に帰ってこないでね」
「あ、でも仕送りはしなさいよ」
「社会に出るまでは居候だったんだから」
攻撃性の強いメッセージだが、内容を抽出するとおばあちゃんが良くなったという文面だ。つまり、あの呪文が効いた証拠だと考えていいのだろうか。
「医者の真似事」
初めて会った死神が伝えてきたメッセージ。
これをビジネスモデルとして採用するには医学的な根拠が乏しいし、この能力の持続可能性も不透明だ。いつ死神が見えなくなってもおかしくない。
なにせ突然発症した能力だ。
物事を始めるにしても、慎重になりたい。
だけど現状を打破しないと生きられないのも事実だ。
信号が赤に変わり、矢印が表示される。
僕は炎天下の猛暑から逃げるように歩道橋の真下に避難して待機する。道路の向かい側にある大衆居酒屋は早くも仕込みを始めていて、ガラス張りの店内からは清掃や調理をするスタッフが見え隠れしていた。
突然、バイクが後方から唸りを上げて突っ込んできた。前方には矢印に従って右折を試みる対向車両がウィンカーを出してスピードを上げている。このまま両者が交差点でぶつかれば大惨事になるだろうが、まあどちらかが道を譲ったりブレーキを踏むだろうから気にする必要もないだろう。
そんなことよりも考えるべきことは……
パアン、という乾いた音が轟いた。
風船を針で刺したような、あるいは花火の火薬玉が空中で炸裂したような、そんな音。それもほとんど予期していないタイミングで鼓膜に伝わってきたから、脳が現実の光景を処理するのに時間がかかる。
ショッキングな出来事によって、一時的に記憶が消えることもあるが、僕が認知できたのは、バイクが右折車両に撥ねられたことだけだった。その詳細、どのような角度でライダーの身体が吹き飛ばされ、どの部位がどう損傷し、被害者は反射的に受け身を取ったのかなどを観察する余裕はなかった。
ただ交差点のど真ん中に放り出されたフルフェイスの男と、粉々に砕け散ったガラス片と、横転したバイクが印象的に転がっているだけだった。
誰か、誰か助けに行ってくれよ。
そうだ、警察と救急車を呼ばなきゃ!
でもすでに通報している人がいるかもしれない。
信号が変わってしばらくすると、停滞していた車両の列がおもむろに動き出した。ここで被害者に駆け寄ったら僕自身も轢かれてしまうかもしれない。そのせいで動き出せない自分がいて悔しさだけが募った。
路面に滴り落ちる汗は、すぐに蒸発して消えていく。
事故を起こした車両の運転手が血相を変えて飛んできた。飛散しているガラス片がきらきらと光を反射させている。
遠くから救急車のサイレンの音が聞こえる。パトカーの音も後追いでやって来た。大丈夫、きっと助かるよな。そう被害者に目を向けるが、どれだけ周囲の人間に声をかけられても微動だにしていなかった。
もしかしたら、いるかもしれない。死神が。
どっちだ? 足元? 枕元?
そんなの見たくもない。関わりたくない。
こんなに怖い現場は早く立ち去りたい。
全身の細胞が、恐怖で悲鳴を上げ、足の筋肉に血液を送り込んでいるのがわかる。怖い。逃げたい。こんな情けない感情が胸の内を支配する。
一刻も早く立ち去って、呼吸を整えよう。
僕は当事者じゃないんだし。
そう思っていたのに「テケレッツのパ」と呪文を詠唱していた。何かが蜃気楼のようにすうっと消えていくのが視界の端に映った。
それでも、夢枕に立たれたら気分が良くないから。
だからあくまでも自分のために、医者の真似事なんかではなく、これをやったんだ。
「もう少しで救急車が来ますよ」
「AEDはまだですか?」
交差点のどまんなかにも関わらず、人だかりはかなり増えていた。みんながそれぞれの正義や信念を顔ににじませている。だからこそ誰も僕の奇行に気付いていない様子だった。
さて、帰ろうかな。
そう思って一歩を踏み出したら、
「あなたにも死神が見えるんですね」
知らない人に声をかけられた。
マッシュヘアー。濃いめのサングラス。白いティーシャツにジーンズを合わせたラフな格好。彼はマスクをずらして口元に浮かべた嘲笑を見せてくる。どこか聞き覚えのある声だった。
「初めまして。伊地知守です。その力を使うのは結構なんですけど、あまり多用しない方がいいと思いますよ。ほら、死神の力って、何か代償があるはずじゃないですか? ちょっとマクドナルドで話しませんか?」




