表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無窮のヴィタルマナ  作者: 誤日脱日
PR
6/17

第六話「アウローラ=イェスニー」

「……これ以上話すのは危険だ」

ヴィタルマナ特区に帰省した天日(アメノヒ)。アナスタシアと共に訪れた屋台街で、男達に絡まれる一人の女性と出会う。

 オリジンから、およそ〇・一パーセントの確率で生まれる突然変異種――ヴィタルマナ。

 「久視細胞」と呼ばれる特殊な細胞を持ち、免疫力と再生能力において、オリジンを遥かに凌駕する。

 極めて長寿であり、シミュレーションでは、少なくとも千年以上の寿命を持つと推定される。現在確認されている最古の個体は一〇四歳と公開されているが、その外見は、二十代のそれと見分けがつかない。

 その存在が世に知れたのは、別世界秩序アナザー・ワールド・オーダーから、わずか五年後のことだった。

 きっかけは、とある小さなメディアが報じた情報番組――「年齢の割に、あまりにも若い人がいる」という、ただそれだけのチープな話題である。

 しかし、その珍妙な噂はソーシャルネットを通じ、瞬く間に拡散した。各地で年齢にそぐわぬ若さの人々が取り沙汰され、なかには外見と実年齢の乖離があまりに著しいために「地球外生命体だ」などという馬鹿げた推測が、大真面目に論じられる始末だった。

 収拾がつかぬと見た世界評議会は、西暦二一三五年、ついにヴィタルマナの存在を公開する。同年に実施された特定調査では、世界中で約一五〇万人のヴィタルマナが確認された。


 西暦二一三八年。中東リージョンで、ヴィタルマナによる武力蜂起が起きる。首謀者は「偏見に満ちたこの世界を、変えたかった」との声明を残した。

 このテロを受け、翌年、世界評議会は「ヴィタルマナ人権法」を施行。各都市の近郊に、「ヴィタルマナ特区」の建設が始まった。

 まだ幼いヴィタルマナを抱える親たちは反対運動を起こしたが、世論は次第に賛成へと傾いていき、すべてのヴィタルマナは血縁から引き剥がされ、特区への移住を強いられた。当時の差別は、古の魔女狩りさながら、今日とは比較にならぬほど苛烈だったという。


 ヴィタルマナ特区は、前時代の生活インフラが残された地域を土台に建設された。居住区と商業区はコンパクトに整理され、その外周には工業地帯と農場が広がっている。

 一次産業と二次産業は、ヴィタルマナの主要な労働だ。世界中で消費される食料や資材の八割以上を、このヴィタルマナ特区が支えている。もっとも、大部分はオートメーション化されており、その実、暇を持て余す者も少なくない。

 ヴィタルマナの経済は、コミュニズムに近い。

 人権法によって過剰な資産の個人所有が制限されている以上、働こうが怠けようが、生活に大きな差は生まれにくい。そんな世界にあって、寝る間を惜しんで働く天日(アメノヒ)は、ヴィタルマナのなかでも、極めてマイノリティな存在だった。


 品種改良の途上にある「きのこ」については、天日(アメノヒ)の後任が、市場に卸すまで責任をもって研究を続けてくれることになった。

 引き継ぎを終えた天日(アメノヒ)は、無理を言って、丸一日だけ自由な時間をもらっていた。

 しばらく見納めになる特区を、歩いておきたかった。知人に、せめて挨拶くらいはしておこうと思ったのだ。

 帰省には、復帰したばかりのアナスタシアが同行していた。

 名目は、護衛。だがその実は、監視だろう。天日(アメノヒ)は気にも留めていなかったが、ボルトは、ばつの悪そうな顔でそれを説明していた。


 ヴィタルマナ特区には、オリジン区画ではもう見ることの叶わない、レトロな町並みや歴史的建造物がいくつか残されている。その風情を求めて足を運ぶオリジンも、実のところ少なくない。

 なかでも天日(アメノヒ)のお気に入りは、屋台街だった。

 古典のテキストでしか見かけぬ文字を模したネオンサインが、闇夜に滲む。

 何百年、あるいは何千年と語り継がれてきたアジアン料理の匂いが、あたり一帯を席巻している。タイムスリップという概念がまだ息づいていた時代であれば、まさにそう呼ぶにふさわしい――そんな錯覚を与えてくれる場所だった。


 天日(アメノヒ)は、ちらりとアナスタシアの横顔を窺った。

 普段は鉄仮面のごとく感情の一片も零さない彼女が、屋台から屋台へと、忙しなく視線を泳がせている。「目移り」という言葉がこれほど似合う瞬間を、天日(アメノヒ)は他に知らなかった。

「アナスタシアさん、あれなんてどうですか?」

 ひしめき合う屋台のひとつを、指差した。

「蛙肉を使った料理です。ケミカルフードで、わざわざ蛙肉なんて再現しませんし――鶏肉みたいで、美味しいですよ」

 天日(アメノヒ)は、両手で蛙の大きさや動きを表現してみせる。

 からかってやろうという邪な気持ちは、なかった。だが、彼女の人間的な一面に触れてみたい――そんなわずかな好奇心がよぎったことは、認めざるをえない。

「カエル――聞いたことは、ありますが」

 アナスタシアが眉を寄せた。オリジン区画では、お目にかかることもない生き物だろう。

 能動的な教育システムへ移行して以来、必要のない情報を学ぶ機会は限られている。天日(アメノヒ)は胸ポケットからグラスデバイスを取り出し、アナスタシアへ渡した。

 彼女はそれを掛けるなり、案の定、目を見開く。レンズには、蛙の図鑑データが映し出されていたはずだ。

「こ、これを、食べるのですか」

「大丈夫です。皮を剥いで調理してしまえば、見た目は他の肉とそう変わりませんよ。僕、ちょっと買ってきます。あそこのベンチで待っていてください」

「は、はあ」

 なし崩しに了承を取りつけ、天日(アメノヒ)は人混みを掻き分けて屋台へ向かう。当のアナスタシアは、デバイスから目を離せずにいるようだった。


 夕食どきとあって、通りはごった返していた。

 蛙の唐揚げでもあればと近寄ってみたが、予想に反して、並んでいるのは串刺しの丸焼きばかり。蛙初心者が口にするには、いささかハードルが高い。

 天日(アメノヒ)は諦め、他を当たることにした。

 この街ならではのものが見つかればいいが――と、何気なく路地裏を覗き込む。


 暗がりに、人だかりが見えた。

「――下がりなさい!」

 女性の声だった。目を凝らすと、一人を数人が囲むように群がっている。腕を掴まれ、それを振りほどこうとする女性の仕草が見えた。

 どうやら、様子を窺っている場合ではなさそうだ。

 そう思ったのが先か、体が動いたのが先か。確かめる間もなく、天日(アメノヒ)は駆け出していた。


「やめろ」

 女性と男たちのあいだへ割って入る――つもりだった。

 だが、突如として視界が回転した。天地がひっくり返り、激しい衝撃が背中を貫く。

 手前の男に組み止められたのだと、すぐに察した。体重をかけられ、地面に抑えつけられている。

 人並み程度に体は鍛えてきたつもりだが、格闘技の類には、ただの一度も触れてこなかった。我ながら情けない、と天日(アメノヒ)は思う。

 見上げた視線の先に、ネオンの陰に表情を奪われた、女性の顔があった。

「その方をお離しなさい。用があるのは、(わたくし)でしょう」

 女性の声は凛として、気品に満ちていた。どこか、聞き覚えのある声だった。

「お嬢様がおとなしくご同行くだされば、すぐにでもそういたしましょう。我々とて、事を荒立てたくはない」

 彼女を取り囲む男の一人が応じる。その落ち着き払った態度を見るに、単なる路地裏の悪漢と切り捨てるのは危うい――直感が、そう告げていた。

(わたくし)が、あなたがたに協力することはありません。何度もお伝えしたはずです。どうして――何故、あのようなことを。大勢の明日を奪ってまで……」

 堪えた涙が、声に滲んでいる。

 天日(アメノヒ)は藻掻いて立ち上がろうとするが、圧倒的な力の差が、それを許さない。

「お嬢様のやり方では、変わるものも変わりませぬ」

「いいえ――必ず、その時は来ます。歴史が証明してきた事実を、疑ってはなりません。その時を、待つのです。(わたくし)たちには、その時間がある」

「相変わらず、悠長なことを仰る。ならば、この今を捨てろと、そう仰るのですか」

「何を、急ぐことがあるのですか。たとえそれで成し得たとしても、流した血の量だけ、怨嗟は長く、そして深く刻まれる。そうして、出口のない螺旋に、再び呑み込まれるのです。それを雪ぐのは、未来に生きる者たち。――何故、それが解らないのですか」

 潤んだ声が、怒気を纏った。空気が震え、深い沈黙が場を横切る。

「――そう理想論ばかり並べられましても、困りますな。我々とて、お嬢様の影響を受けているのですよ……」

 別の男の声が、その沈黙を破った。

「理想論? そう仰るならば、なおのこと。あの者の征く道が、いかにそれとかけ離れているか――解っているはずです。さあ、お離しなさい!」

 女性の声色が、さらに一段、凄みを増した。

 風に揺れる雑草さえ、彼女に呼応しているように思えた。


 その言葉に動揺したのか、天日(アメノヒ)を押さえつける男の腕が、わずかに緩んだ。その隙を縫って、腕を振り解く。男が仰け反った刹那に立ち上がり、女性の前へ躍り出た。


「……これ以上話すのは危険だ」

 男が足を擦り、場に緊張が走る。

 男たちが、順々に構えをとった。

「すみませんが、少々手荒くいかせてもらいますよ!」

 先ほどまで天日(アメノヒ)を押さえつけていた男が、飛び込んでくる。

 天日(アメノヒ)はとっさに腕を上げ、自らを盾とするように、女性の前へ立ち塞がった。そのとき――男たちの後方から、風を裂く音がした。


 空中で体が弧を描き、回転の遠心力をそのまま踵に乗せて、男の顎を刈り取った。鎌のごとき軌道が、夜空に懸かる三日月と重なる。

 ガードする間すら、与えない。鈍い音とともに、男の体が地面へ崩れ落ちた。影は、すらりと天日(アメノヒ)の前に降り立つ。


「誰だ、貴様!」

「国防庁アジアリージョン司令部所属。アナスタシア=タナトス少尉」

 例によって過不足のない名乗りを終えるより早く、アナスタシアは構えをとっていた。

 肩幅に足を開き、重心を深く沈める。両手を顔の前へ掲げ、右の拳を軽く握る。素人目にもわかった――長い鍛錬の果てに体へ刻まれた、美しい型だ。

 サイバネティック・フレームが起動し、全身の神経に燐光が走る。光が衣服を透かし、闇へと漏れ出した。

 先日の作戦で瀕死の傷を負った彼女もまた、ボルトと同様――否、全身に移植手術を受けていた。話には聞いていたが、天日(アメノヒ)が実際に目にするのは初めてだった。

 闇に浮かぶその姿は、どこか神々しさすら帯びている。


 男たちの陣形が、動いた。アナスタシアを囲むように、散開する。

 沈黙を切り裂いたのは、ナイフを手にした男だった。

 駆け寄るなり、アナスタシアの胸部めがけて、真っ直ぐに突き出す。素人の動きではない――だがアナスタシアは、わかっていたと言わんばかりに、体幹をわずかに捻った。

 男のナイフが、空を裂く。

 その手首へ、手刀が落ちた。

 衝撃で指が開き、ナイフが宙に舞う。ほぼ同時に、膝が男の鳩尾へ突き刺さった。

 声にならぬ呻きを漏らし、男は路面に這いつくばる。


「やる――だが」

 リーダー格らしき男が、短い合図を送った。

 残る者たちが、一斉に飛びかかる。

 アナスタシアも動いた。むしろ自ら距離を詰め、最も近い敵の懐へ滑り込む。反応するより速く、アナスタシアの手刀が、一人目の首の側面を打ち抜いた。

 頸動脈への一撃。

 男が膝から崩れる。

 その体がまだ地面に届かぬうちに、アナスタシアの視線は、もう次の標的へ移っていた。

 二人目が、拳を振りかぶって突進してくる。

 アナスタシアは紙一重で顎を引き、拳が頬を掠めた。

 すかさずその腕を掴み、体を翻す。相手の勢いを利した足払い――一回り大きな体が宙へふわりと浮き、背中からアスファルトへ叩きつけられた。

 だが、息をつく暇はない。

 左右から、二人が同時に迫る。

 挟撃。右から来る拳は顔面を、左から来る蹴りは脇腹を狙っている。

 二人の呼吸は、ぴたりと揃っていた。


 インパクトの瞬間――アナスタシアが、消えた。敵には、そう見えたはずだ。

 真上へ、跳んでいた。

 二人の攻撃が、空白の一点で交差する。アナスタシアは空中で体を捻り、両足を左右へ振り分けて、二つの顔面を同時に蹴り抜いた。――激しい衝撃音が、路地裏の壁に反響する。


 着地。再び、構えをとる。

 呼吸のひとつすら、乱れていない。一連の攻防は、瞬きほどの間の出来事だった。

 結局、残ったのはリーダー格の男だけだった。


「『サイバネティック・フレーム』か。――実戦では、なかなかどうして。強化スーツでもなければ、どうにもならんな」

 言葉とは裏腹に、男の手はすでに腰へ伸びていた。

 ナイフが閃き、アナスタシアめがけて投擲される。と同時に、男も走り出した。陽動と本命を重ねた、一手。

 そのナイフも、首の傾きだけで躱す。だが、男もそれは織り込み済みだった。

 意識が逸れた、一瞬の隙。死角から、渾身のストレートを放つ――。

 しかしそれさえも、アナスタシアには届かない。パリング。そこからワン、ツーの素早いカウンターが、男の顔面を打ち抜いた。首が鞭のようにしなり、体勢が崩れる。

 アナスタシアは体を旋回させ、追い撃ちの蹴りを放った――が、路地裏に響いたのは、風切り音だけ。

 男も、粘った。

 紙一重で、それを躱す。しかしその顔に余裕は微塵もなく、鼻からは、一筋の赤い線が零れていた。


「――仕方ない」男が、袖で血を拭う。「俺が時間を稼ぐ。撤退しろ――急げ!」

 地に伏していた仲間たちが、よろめきながらも立ち上がり、散り散りに駆け出す。男たちの情けない足音が、遠ざかっていった。


 リーダー格の男が、再びアナスタシアへと仕掛ける。

 不格好なタックル。ダメージを与える意図ではない――時間を稼ぐための、抱きつきだった。

 アナスタシアの腕に絡みつき、動きを封じようとする。

 彼女はその腕を振りほどき、腹部へ鋭い膝蹴りを叩き込んだ。

 男の体が、くの字に折れる。

 垂れた頭部、そのこめかみへ、追撃のハイキックが刺さった。

 空気が、裂けた。

 男の体が横殴りに吹き飛び、壁へ背を打ちつけてから、崩れ落ちる。


「……っ」

 男のこめかみから、黒い血が伝い落ちている。それを手で強引に押さえ、男はゆっくりと立ち上がった。

 ふらつきながらも周囲へ視線を巡らせ、仲間が引いたことを確認すると――最後のナイフを投げつけ、踵を返して走り出す。

 そのナイフがアナスタシアに傷を刻むことは、なかった。だが、その隙を縫って、男は逃走した。

 遠ざかる影。追えば、追いつけるだろう。それでも、アナスタシアは追わなかった。

 アナスタシアの全身を巡る燐光が、静かに収束していった。


「お怪我はないですか」

 声は、いつもの温度に戻っていた。

「大丈夫です。すみません――助かりました」

 アナスタシアは天日(アメノヒ)を一瞥すると、視線を女性へ移した。

「助けていただいて、ありがとうございました」

 銀色の髪に、ネオンの色が移ろう。天日(アメノヒ)はその横顔を見て、あの夜の記憶を手繰り寄せた。

「確か――アウローラ=イェスニーさん。でしたよね」

 女性が、不意を突かれたように目を見開く。灰色の瞳が天日(アメノヒ)を捉え、戸惑いの色へと変わった。

「ええ、こうしてお顔を拝見するのは初めてですが、覚えております。重ねてお礼申し上げます」

 彼女が深く頭を下げると、銀髪が肩から零れた。

 天日(アメノヒ)は少し間を取るために服に付いた砂埃を払った。そして声を落として言った。

「――少し、お話を聞かせてくれませんか」

 アウローラが、顔を上げた。その瞳からは戸惑いが消え、代わりに、何かが宿っている。問われることを――語るべきことを、知っている眼差しだった。


 短い沈黙。

 ネオンサインが明滅し、路面の水溜まりに、色彩が揺れた。

「――解りました」

 アウローラはそう言って、静かに頷いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ