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45・ジーンという男11(第三者視点)

『だから、ね、ジーン。お願いよ。こんなこと、貴方にしか頼めないの』



 上目遣いでそんな台詞を紡がれたら、ジーンに断れるわけがない。

 ジーンはすべての資料と書物を自宅に持ち帰り、目を通してから、魔法金庫にしまった。内容を完全に理解するのには時間がかかるが、ただ機械的に覚えるのなら一読するだけでじゅうぶんだ。



 エメラインから返して欲しいと言われない限り、金庫から取り出すつもりはなかった。研究所から去り、気軽に会えなくなってしまった彼女の代わりに、彼女の記した文字を読む。……そんな惨めたらしい真似はしたくなかった。



 そして、あの日。

 運命の、あの夜。



 オズワルドが開いた家族だけの晩餐会に、エメラインは婚約者のルシアンではなくジーンを伴った。従者としてではあるが、まるでエメラインに家族と扱ってもらえたようで……これが彼女との最後の思い出になるのかもしれないなんて、馬鹿みたいに酔いしれていた。



 本当に最期になるなんて、思わなかった。



『……ジー、ン、……逃げて。そして……知らせて。ガートルードに……』



 託された指輪を使い、ただ逃げた。ひたすら逃げた。エメラインの最期すら見届けず。彼女の願いを叶えるため、それだけを免罪符代わりに握り締めて。



 逃げた。

 逃げた。

 逃げた。



 地を這って。泥をすすって。厳戒態勢の王都を抜け出すため、スラムを潜り抜けて。



 逃げて。

 逃げて。

 逃げ続けて。



 途中で野生の天馬ペガサスに遭遇し、魔力と引き換えにテイムが叶うという幸運に恵まれてからは、帝国目指してただ空を駆けた。



 幸運は重なり、魔力が尽きる前にソベリオンの皇宮にたどり着き、ガートルードとの対面を許された。もはやエメラインの無念を晴らしてくれるのは、その口実になってくれるのは彼女しかいないのに。



 あろうことかガートルードは強力な魔獣を……魔獣の王と呼ばれるモノを侍らせていた。シルヴァーナ女王となるべき、誰よりも清らかであるべき少女が。



 しかもジーンの説得にもろくに耳を貸さず、挙兵もためらう始末。最後の直系王女、女神の愛し子と噂されるガートルードが僭王打倒の檄を飛ばせば、女王の復権を待ちわびる国内貴族はもちろん、シルヴァーナの恩を受けてきた諸国からの援軍も望めるものを。



 ……いや。



『貴様が今、そうやってのうのうと生き延び、厚かましい御託を恥知らずにも並べ立てていられるのは、我が女神が尊い御身を捧げられたおかげだ。僭王せんおうの凶行を間近で目撃しながらすごすご逃げた、負け犬の分際で、我が女神にこれ以上の献身を強いる権利があるとでも?』



 すべては、言い訳だ。



『貴様がしているのはただの八つ当たりだ。主君を見捨てて逃げざるを得なかった、取るに足らぬと侮られていた王配にしてやられた悲憤を、己より幼い姫御子にぶつけているのだから』



 そう、ジーンは八つ当たりしていた。今も昔も。ガートルードに……エメラインに愛され、守られる少女に。



『その上で、貴殿に関してはそこの御仁に同意する。目の前で主君を喪った不幸には同情するが、貴殿の言動は、己のやるせなさと憤りを『王族の義務』という名分のもと殿下にぶつけているようにしか見えん』



 同国人のジーンなどより、他国の騎士の方がよほどガートルードという少女を理解していた。



『殿下は我が帝国にとっても私にとっても大恩あるお方。たとえ殿下の姉君の遺志を託された者であろうと、殿下のお心を傷つけるのなら、貴様は私の敵だ』



 ガートルードに救われた少年皇帝は、ガートルードを女王に押し上げることで得られる莫大な利益よりも、彼女の心の安寧を取った。



 ふしだらな姉王女の身代わりで嫁がされた哀れな姫君は、自分の力で敵地にも等しい帝国の人々との縁をつなぎ、彼らの心を射止めていた。だからガートルードが窮地に陥った時、彼らは迷わず彼女を救おうと立ち上がったのだ。……かつてジーンがエメラインに忠誠を誓った時のように。



『ねえジーン、『情けは人の為ならず』って知ってる?』



 二度と戻らない、輝かしい日々の中、エメラインとの雑談がよみがえる。



『ガートルードが教えてくれたの。本で読んだ、遠い遠い東の果ての国のことわざなんですって。どんな意味だと思う?』

『……人の為にはならない、というのですから、下手に情けをかけるのはその者のためにならない、という意味では?』

『私もそう思ったのだけど、違うんですって。人に親切にしておけば、いつかその恩は巡り巡って、自分が困った時に助けてもらえる、という意味だそうよ』



 ……その通りだった。



 帝国への逃亡の間、オズワルドに指名手配されたジーンを売ろうとする者はいても、助けようとしてくれる者はいなかった。研究所の仲間たちすら。……当たり前だ。ジーンは誰かを利用したことしかなかったのだから。



 ガートルードはジーンが助けを求めていい……誰かに利用されていい存在ではなかった。

 そもそもエメラインはガートルードに伝えて欲しいとは言ったが、彼女にオズワルド打倒の旗印になって欲しいとは言わなかった。優しいエメラインが、国のため帝国へ捧げられた幼い妹にそんなことを願うわけはないとわかっていて。



 ジーンは利用したのだ。

 エメラインの遺言を。

 自分が生き延びていい理由として。



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