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44・ジーンという男10(第三者視点)

 それきり、ジーンがガートルードとまみえる機会はないはずだった。帝国はたとえアンドレアス皇帝やヴォルフラム皇子が死んでも、貴重な破邪の力を持つガートルードを王国へは帰さないだろうから。



 ジーンが胸に刺さった罪悪感の小さな棘に時折苦しめられる間にも、シルヴァーナ王国を……エメラインを取り囲む状況は刻一刻と変化していった。



 皇妃となったガートルードが皇族の少年に害されたのをきっかけに、新たな王配候補モルガン・ブラックモア侯爵が帝国へ派遣された。もしかしたらガートルードを取り戻せるかもしれない。女王とその姉妹は喜びに沸いた。……妊娠中のフローラ王女だけは複雑そうだったが。



 ……今になって、思う。

 あの時オズワルドの様子にもっと気を配っておけば、悲劇は防げたのかと。



 後宮から出てこないオズワルドの心中を、正確に推し量るのは難しい。だがもしジーンがオズワルドなら、強い危機感を抱いたと思う。



 弱小男爵家の次男。血統でも劣るくせに、王子しか産ませられなかった能無し。そう罵られるオズワルドがクローディア女王と別れさせられた後、どんな運命をたどるのかなんて想像するまでもない。



 二人の王子共々僻地へやられ、捨て扶持を与えられて飼い殺しにされる。それならまだ幸運な方だし、クローディア女王も元夫と息子たちにはなるべく不自由のない生活を保障しようとするだろう。

 ……別れてすぐのうちは。



 だが、見事交渉を成功させたモルガンが凱旋し、新たな王配の座につき、めでたく王女をもうけた後は、どうなるかわからない。新たな世継ぎの王女に兄王子が二人もいるのは不吉だと、その父親もろとも『病死』させられるかもしれない。



 最悪の運命をたどる前に、なんとかしなければ。

 オズワルドがそう考えても、彼に協力する者などいないはずだった。この国は女王と王女……女性で回っているのだ。



 だが、誰かが味方した。

 役立たずの能無し王配に、人ならざる強大な力を授けてしまった。

 そのことに、誰も気づかなかった。クローディア女王すら、続いて帝国で起きた皇禍こうかと呼ばれる内乱に気を取られ、夫の変化を察知できなかった。



 ジーンだって、他人のことは言えない。たらればの話ができるのは、ことが起きた後だからだ。



 あのころのジーンの関心はエメラインに集中していた。クローディア女王が新たな王配を迎えるこのタイミングで華燭の典を挙げようと、婚約者のルシアン・リリーホワイト侯爵子息が迫ってきたのだ。



 聖流の名門、リリーホワイト侯爵家。その嫡男として生まれたルシアンは治癒魔法に高い適性を示したが、魔法の才能よりも『シルヴァーナ貴族らしさ』……すなわち持って生まれた美貌を磨き、直系王女の配偶者になることだけを目指してきた男だった。



 性格や頭の中身を除けば、王女の結婚相手としてルシアン以上の相手はいない。エメラインも十八歳だ。結婚するのに早すぎる年齢ではない。



 にもかかわらず、エメラインが今まで結婚をためらっていた理由。



『結婚後は研究所を閉め、侯爵夫人としての務めに専念してください。破邪魔法の研究? 侯爵夫人ともあろう者が学問にふけるなど、はしたない。そのようなことは下々の者に任せておきなさい』



 ルシアンは妻となるエメラインに、一切の自由を認めようとしなかったのだ。高位の貴族夫人は家政を取り仕切る他、慈善事業などに精を出す程度。自ら職業を持って働くことはないので、彼の要求がことさらおかしいわけではないのだが。



 破邪魔法を究め、シルヴァーナ王家の血統の謎を解きほぐそうとしていたエメラインにとっては、牢獄へ入れと宣告されたも同然だった。



 折しも偏りすぎた男女の出生比率について、仮説が出たばかりだった。結婚は王族の義務だからやめるわけにはいかないが、これを世に出すまではと、エメラインは必死にルシアンの要求をかわしていた。



『私が侯爵家に入った後は、ジーン。貴方に私の研究を託すわ』



 そんな言葉と共に大量の資料や書物を渡されたのは、悲劇の日の数日前のことだった。もしかしたらエメラインは悟っていたのかもしれない。己の命の期限が、すぐそこまで迫っていることを。



『そのような……私が殿下の研究を引き継ぐなど、荷が重すぎます』

『もちろん私も、素直に大人しくしているつもりはないわ。ルシアンの隙を見て研究は続けようと思っているの。でもさすがに研究資料を嫁入り道具にはできないから、貴方に持っていて欲しくて』



 ふふ、と笑うエメラインになにも言えなかったのは、この人がいよいよ人妻に――本当に手の届かない存在になってしまうのだと実感したせいだ。

 けれど他人に関しては鋭いくせに自分に関してはとことん鈍いエメラインが、複雑な男心を察してくれるはずもなく。



『大丈夫よ。ルシアンが求めているのは直系王女であって、私ではないもの。侯爵夫人の務めをきっちりこなしさえすれば、私がよそでなにをしていても絶対に気づかないわ』

『……そういうのも、どうかと思うんですけど』

『貴族の夫婦なんて、そういうものよ』



 なにもかもわきまえた、諦観しきった表情――違う。そんな顔をさせたかったんじゃない。



 笑っていて欲しい。研究所で研究に耽っている時のような、ジーンや他の研究員と討論している時のような、活き活きとした顔が見たい。



 ……でもこの先、エメラインの隣で彼女を微笑ませるのはルシアンだ。

 ジーンではない。



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