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43・ジーンという男9(第三者視点)

 まだ三歳の幼い王女が人前に出てくることはない。その人となりを知るのは家族と、ごく身近に仕える使用人くらいだ。



 だがガートルードに関しては、誰が言い出したのかは知らないが、ひそやかにささやかれている噂があった。



『ガートルード殿下はまだ言葉を発されないらしい』

『たいそうお美しいが、笑うことも泣くこともないとか』

『朝から番までずっと座ったまま、侍女が促さなければ立ち歩くこともなさらないそうだ』

『なんと……それでは生きた人形ではないか……』



 先代女王ブリジット夫妻がガートルードを連れ、シルヴァーナ神殿へ赴いたのは通例でもあるが、本当の目的は女神シルヴァーナにガートルードの成長を祈るためだったのではないかと推察されている。

 ガートルードさえまともに生まれてくれば、ブリジットも王配も死なずに済んだのではないか。悲劇の事故以来、たった一人生き残ったガートルードに『疫病神』と心ない言葉をぶつける者もいる。



 ジーンはそんなふうに思ったことはない。

 事故は事故だ。確率と可能性の問題に過ぎない。生きていれば誰もが巻き込まれる可能性があり、先代女王夫妻はたまたまその確率を引き当ててしまっただけだ。



 ならば、面識もない幼い王女のどこが好きになれないのか。

 はっきり言葉にはできない。ただ、エメラインが自分自身より気にかけている王女が、その慈愛に応えないのが癪だったのかもしれない。



 事故以降、ガートルードは自力で動き回るようにはなったものの、自分の宮に閉じこもってばかりなのだという。先代女王の喪が明けてもずっと。



『ガートルードは目の前でお母様とお父様を亡くしたのだもの。心の傷が癒えるまで時間がかかるのは当然だわ』



 エメラインはあくまで優しく、末の妹を見守っていた。時にはガートルードの宮に泊まり込み、相手をしてやることもあった。エメラインとて、新女王クローディアを支えるために山積みの公務をこなす身。決して暇ではないのに。



 エメラインの口からガートルードの名が出るたび、ジーンの胸はちくりと痛んだ。それはエメラインの婚約者、リリーホワイト侯爵家の嫡男ルシアンと遭遇する時とは、まるで違う痛みだった。



 だから――ソベリオン帝国から王女を差し出すよう要求され、妊娠してしまったフローラ王女の代わりにガートルードが自ら立候補したと聞いた時は、強い自己嫌悪に襲われたのだ。



 ガートルードがいなければ、帝国に差し出されるのはきっとエメラインだった。エメラインの破邪魔法の知識は門外不出だが、だからと言って世継ぎの王太女ドローレスを差し出すわけにはいかないからだ。



 当時、エメラインがかつて恐れていた通りの事態が起きつつあった。



『……ジーン。私はお母様に破邪魔法の手ほどきを受けた時から、ずっと考えていたの。もしも王家に王女が生まれなくなったら……王子しか生まれなくなったら、シルヴァーナ王国はどうなるのかと』

『だって、多少の偏りはあっても、基本的に男女の出生比率は一対一よ。それがシルヴァーナ王家に限って九割以上の確率で女児が生まれる……それが七百年もの間ずっと続いているなんて、どう考えてもおかしいわ』



 即位と同時に王配オズワルドを迎えた女王クローディアは、早くも二人の子に恵まれた。しかし二人はどちらも王子……破邪の力を受け継ぐ王女ではなかった。



 まだ若い女王夫妻の間には、まだまだこれから子が生まれる可能性は高い。

 だが二人続けて生まれた王子たちの存在は、女王の治世に濃い陰を落とした。



 もはや女王と王配には王子しか生まれないのではないか。ならばいっそ、女王には別の高貴な王配をあてがい、今度こそ王女を産んで頂くべきではないか。



 貴族たちの声は大きい。遠からずクローディア女王はオズワルドと別れ、新たな王配を迎えざるを得ないだろう。

 だが、たとえ新たな王配との間に首尾よく子を授かったとしても、その子が生まれてくるのは早くて二年後だ。さらに言えば、王女である保証はない。



 クローディア女王に世継ぎの王女を産めない可能性が出てきた状況下で、姫将軍としても絶大な人望を誇るドローレス王太女の価値は相対的に上がった。

 ドローレス王太女はなにがあろうと国外へ出すわけにはいかない。ならば苦渋の決断でエメラインを差し出す。ガートルードがいなければ、そういう結論にいたったはずだ。



 ガートルードはジーンの存在など知らない。当然、ジーンが自分にどんな感情を抱いているかも知らないし、知りたいとも思わないだろう。



 けれどジーンの中では、ガートルードはフローラ王女の身代わりであり、エメラインの身代わりでもあった。エメラインはよけいにその思いが強かったのだろう。ガートルードが輿入れするまでのわずかな間、公務のほとんどを中止し、可能な限りそばにいた。ジーンは率先してエメラインの代わりに公務をこなし、ガートルードが帝国へ出立するその日は、遠くから馬車に乗り込む王女を見送った。



 エメラインと同じ色彩をまとうガートルードは想像よりさらに小さいが、生気と気品に満ち溢れた美少女だった。不思議と手を差しのべてやりたくなる空気をまとっており、エメラインが気にかけるのも頷ける。



『あれほどのお方を、帝国へやらねばならぬとは……』

『人形など、とんでもない。祖母君によく似たお美しいお方ではないか……』



 見送りの貴族たちが漏らすつぶやきに、ジーンもその時ばかりは全面的に同意したのだ。



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