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やりがいの、燃えカス  作者: K3/KASANE
やりがいの、燃えカス

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8/16

第4話「本気の、証拠」

時間ができた時にも随時更新します!

ぜひお楽しみに!


 苦しいのは、本気だからだ。そう思えば、苦しさにも、意味があった。


 モニターの光で、目の奥がじんじんする。

 時計は、午前四時。

 手元のタイムシートは、もう何枚目かわからない。


 俺は、自分に言い聞かせる。

 苦しくない仕事なんて、本気じゃない。

 定時で帰る連中は、本気じゃないから、帰れるんだ。

 俺は帰らない。だから、本気だ。


 よし、と思う。

 筋が通った。


 ——いや、通ってるか?


 寝てる連中、と言ったすぐあとで、帰る連中、に言い換えたのは、なんでだ。

 たぶん、寝てる、だと、俺が今いちばん欲しいものを口にすることになるからだ。

 眠い。

 吐くほど、眠い。


 でも、その違和感に気づきかけた瞬間、俺は別の理屈を、上から被せる。

 今、楽になりたいって思うのは、心が弱ってるからだ。

 弱った心の言うことを、聞いちゃいけない。

 ここで楽な方に逃げたら、辞めることになる。

 辞めるってことは、逃げるってことだ。

 逃げるってことは、夢を裏切るってことだ。

 好きで、始めたんじゃないか。

 好きでやってるんだから、つらいなんて言うのは、贅沢だ。


 好きで、やってるんで。


 その一言を唱えると、不思議と、震える手が、少しだけ止まる。

 お守りみたいなものだ。

 効いてるのか、麻痺してるのかは、もうわからないけど。


 机の隅に、栄養ドリンクの空き瓶が、三本。

 四本目を開ける。

 味がしない。

 最近、何を飲んでも、味がしない。


 燃え尽きるのを、俺はずっと、勲章だと思っていた。


  ◆◇


 昼過ぎ、スタジオの空気が、いつもと違った。

 代表の鏑木さんが、上機嫌だったからだ。


「高瀬くん、見たか。これ」


 差し出されたタブレットに、業界のニュースサイトが映っていた。

 うちのスタジオの、新作の宣伝記事。

 目玉カットが、でかでかと載っている。


 その、目玉カット。

 雨に濡れたヒロインが、振り向く一瞬。

 髪の一本一本に、街灯がにじむ。


 俺が、描いた。

 三晩、寝ないで、詰めた。


 記事の、クレジット。

「総監督・鏑木怜、渾身のカット」。


 俺の名前は、どこにもなかった。


「すごい反響でな。さすが俺の指示だって、みんな言ってくれてる」


 鏑木さんは、自分の手柄みたいに、笑っていた。

 いや、みたいに、じゃない。

 自分の手柄に、していた。


 俺の喉から、何か出かかった。

 あれ、俺が——三晩、寝ないで——。


 言わなかった。


 言ったら、どうなる。

 空気が、悪くなる。

 手柄を横取りされたと、騒ぐ若手。

 たぶん、そういう目で、見られる。

 鏑木さんは、こう言うだろう。

 「お前、そんなにちっぽけな男だったか」と。


 だから俺は、口を閉じて、代わりに、別の理屈を、自分に配った。

 総監督の名前で、世に出るなら。

 それは、作品のためだ。

 作品が評価されたんなら、描いた俺だって、報われたことになる。

 そう、報われたんだ。間接的に。すごく、間接的に。

 名前なんて、ちっぽけなものだ。

 名前にこだわるやつは、二流だ。

 好きで、やってるんで。


 理屈を並べれば並べるほど、必死さだけが、増していった。

 誰も責めてないのに、俺だけが、ずっと、自分を弁護していた。


「……ありがとうございます。光栄です」


 俺は、そう言った。

 声が、自分の声に、聞こえなかった。


  ◆◇


 給料日だった。

 明細を、開く。


 先月と、同じ額。


 先々月、鏑木さんは言った。

 来月から、お前を原画に上げる。給料も上げる。期待してるぞ、と。


 先月も、言った。

 もうちょっとだ、もうちょっとで体制が整う。そしたら、な。


 今月も、何もなかった。

 原画の話も。

 給料の話も。

 まるで、最初から、そんな約束、なかったみたいに。


 俺は、明細を、二つに折った。


 催促は、しなかった。

 催促する奴は、お金のために働いてると思われる。

 俺は、お金のためじゃない。

 好きで、やってるんで。


 ——その理屈で、また一つ、自分を黙らせた。


  ◆◇


 夜、実家の母から、着信があった。


 体調はどうか。ちゃんと食べてるか。仕事は、つらくないか。


 俺は、明るい声を、作った。


「平気だよ。今ね、原画やってるんだ」


 嘘だった。

 まだ動画マンだ。原画なんて、約束だけで、何も上がってない。


「あんたの描いた絵、テレビで見られる日が来るかねえ」


 母が、嬉しそうに笑う。

 俺は、それに、もう一つ嘘を重ねた。


「すぐだよ。順調だから、心配しないで」


 電話を切って、俺は、天井を見上げた。


 退路を、また一本、焼いた気がした。

 順調だと言ってしまった以上、もう、つらいとは言えない。

 原画だと言ってしまった以上、もう、動画マンに戻れない。

 嘘が、俺を、前に縛りつける。

 前というか、ここに。

 逃げ場のない、ここに。


  ◆◇


 深夜、コンビニの帰り。

 神宝町の、路地裏。


 古いビルの一階に、灯りがついていた。

 半分開いたシャッターの奥で、白髪の老人が、ひとり、絵を描いていた。

 画材の匂いが、漏れてくる。


 俺が立ち止まったのに気づいて、老人が、顔を上げた。


「アニメの人かい。よく、夜中に歩いてるね」


 名乗ってもいないのに、そう言われた。

 顔色で、わかるんだろう。


「ええ、まあ。動画、やってます」


「ふうん」


 老人は、筆を止めずに、ぽつりと聞いた。


「あんた、いつ自分の絵、描いてるの」


 俺は、答えられなかった。


 毎日、絵は描いている。

 何千枚も、描いている。

 指の関節が、痺れるくらい、描いている。

 でも、それは全部、誰かの作品の、誰かの指示の、誰かの名前になる絵だ。

 俺が、いる絵じゃない。

 俺が、いない絵だ。


 自分の絵を、最後に描いたのは、いつだ。

 学生の頃は、毎晩、描きたいものだけ、描いていた。

 あの頃は、誰にも頼まれてなかったのに、勝手に、夢中だった。


 思い出せなかった。

 いつから、描かなくなったのか。


「……時間が、なくて」


 やっと、それだけ言った。


 老人は、こちらを見もせず、自分のキャンバスに、線を一本、引いた。

 迷いのない線だった。

 誰の指示でもない、その人だけの線。


「時間ってのはね、なくなるんじゃない。誰かに、あげちゃうんだよ」


 俺は、何も返せなかった。


  ◆◇


 スタジオへ、戻った。

 午前二時。誰もいない。


 俺は、また、誰かのカットを、開く。


 でも、その前に。

 俺は、机の引き出しから、私物のタブレットを出した。


 久しぶりだった。

 仕事に使うやつとは、別の。

 俺の、俺だけの。


 起動すると、描きかけの一枚が、出てきた。


 誰の指示でもない絵。

 締め切りのない絵。

 クレジットも、宣伝も、関係ない絵。


 ただ、俺が、描きたくて描いた、一枚。


 見ているうちに、なぜだか、目の奥が、熱くなった。

 ニュースサイトに載った、あの渾身のカットより、ずっと下手だ。

 線も荒い。色も足りない。塗りも、途中で止まっている。


 でも、見ていて、味がした。

 味のしない毎日の中で、これだけが、ちゃんと、味がした。


 これは、俺の絵だった。

 誰の指示でもない。

 誰の名前にもならない。

 手柄を取られようのない、たった一つの、俺。


「……これだけは、誰にも渡さない」


 俺は、そう、つぶやいた。


 久しぶりに、味のする息を、吸った気がした。

 タブレットを、抱くように、机に置いて。

 俺は、また、誰かのカットに、向き直った。


 この徹夜こそ、本気の証拠だ。

 そう、もう一度、自分に言い聞かせて。


  ◆◇


 翌朝。


 机の上から、私物のタブレットが、消えていた。


最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

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