表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
やりがいの、燃えカス  作者: K3/KASANE
やりがいの、燃えカス

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/17

第3話「家族なんだから」

時間ができた時にも随時更新します!

ぜひお楽しみに!


 「家族」って言葉を、こんなに安く聞いた職場を、俺は他に知らない。


 月曜の朝礼で、鏑木さんは言う。

 締め切り前の深夜にも、言う。

 誰かが辞表を出した日にも、笑って言う。


「俺たちは、家族だからな」


 家族なら、給料の遅配を、許してくれる。

 家族なら、休日出勤を、喜んでくれる。

 家族なら、倒れても、迷惑をかけて、と謝ってくれる。


 便利な言葉だ。

 タダで、人の忠誠を、買える。


 俺はそれを、知っている。

 知っていて、まだ、ここにいる。


 退路は、もう、焼いた。

 前の会社を辞めるとき、啖呵を切った手前、いまさら「しんどい」とは言えない。

 言えないから、笑う。

 好きで、やってるんで、と。


  ◆◇


 笠原が倒れたのは、その日の、午後三時だった。


 原画の机に、突っ伏すように。


 タップ音が、ひとつ、止まった。

 あいつのペンが、紙の上で、止まった音。

 スタジオに、二十人ぶんの作業音が鳴っているのに、なぜか、その一つの欠落だけが、耳に刺さった。


 最初、寝ているのかと思った。

 徹夜明けの三日目だ。

 誰だって、落ちる。

 俺だって、昨日、便所で十分、気を失っていた。


 でも、揺すっても、起きなかった。


「笠原さん。笠原さん」


 肩を叩く。

 返事が、ない。

 顔が、紙みたいに、白い。

 俺たちが毎日、命を削って線を引いている、あの作画用紙と、同じ色。


 俺の手が、先に動いた。

 ポケットの、スマホ。

 ロックを外す指が、腱鞘炎で、こわばっている。


「——救急車、呼びます」


 画面に、指を、置いた。


 その指を、止めたのは、鏑木さんの声だった。


「待て待て、高瀬」


 笑っていた。

 困ったような、それでいて、優しいような顔で。


「大げさにするなよ」


  ◆◇


「ちょっと寝てるだけだろ。徹夜明けなんだから」


 鏑木さんは、笠原の机の横に、しゃがんだ。

 倒れた背中を、ぽんぽん、と叩く。

 起こすためじゃ、ない。

 あやすみたいに。


「笠原もさあ、根性なくなったよなあ」


 ため息。

 でも、口元は、笑っている。


「昔の俺なんか、四日くらい寝なかったぞ。情熱があればさ、人間、案外、死なないんだよ」


 情熱が、足りないだけだ。


 そう、言った。


 倒れて、返事もできない人間に向かって。

 その人の、白い顔を、見ながら。


 俺は、スマホを、握ったままだった。

 画面の、緑の受話器マークが、光っている。


「呼ぶなよ」


 鏑木さんが、立ち上がる。

 俺の肩に、手を置く。


「救急車なんか呼んだら、笠原が、可哀想だろ。大事にされて、恥かいてさ。あいつのプライド、考えてやれよ」


 優しい声だった。

 優しい声で、最低なことを、言っていた。

 肩に置かれた手は、あたたかい。

 あたたかいのが、いちばん、たちが悪い。


  ◆◇


 そのとき、俺の皮膚が、ざらついた。


 うまく、言えない。


 腕の、内側。

 うなじの、あたり。

 砂を、薄く、塗られたみたいに。


 寒いのとも、痒いのとも、違う。


 体のほうが、先に、嫌がっていた。

 頭が、追いつく前に。


 これは、おかしい。

 絶対に、おかしい。


 人が、倒れている。

 顔が、白い。

 なのに、誰も、救急車を呼ばない。


 俺の指は、まだ、画面の上にあった。

 押せば、いいだけだった。

 たった、一回。


 押せなかった。


 ざらついた皮膚の下で、何かが、俺に、囁いていた。

 ——波風を、立てるな。

 ——家族の、恥に、なるな。


 それが、俺の声なのか、誰かの声なのか。

 もう、分からなかった。


  ◆◇


 結局、笠原は、別の同僚が、車で病院へ運んだ。

 こっそり、裏口から。

 救急車じゃ、なく。

 近所の目が、あるから。

 スタジオの前に救急車が停まったら、「ブラック」だと、噂が立つから。

 人ひとりの命より、噂のほうが、重いらしい。


 俺は、運ぶのを、手伝わなかった。


 鏑木さんに、呼ばれたからだ。


「高瀬」


 代表の席。

 モニターには、俺が描いた、今日のカットが、映っていた。


「お前のこの線さ、いいよなあ」


 画面を、指でなぞる。


「この、手の震えてる感じ。芝居が、生きてる。お前にしか、描けない」


 褒められた。

 たった、それだけで。

 胸の奥が、勝手に、温かくなる。

 ざらついた皮膚が、すうっと、引いていく。

 単純な犬だ、と、頭の片隅で、誰かが嗤う。

 でも、止められない。

 この人だけは、俺の線を、本当に、見てくれる。

 給料は遅れる。休みはない。同僚は消える。

 なのに、絵だけは、ちゃんと、見てくれる。

 その一点が、鎖になって、俺の足首に、また、巻きつく。


「な、高瀬」


 鏑木さんが、俺の肩を、抱いた。


「お前だけは、分かってくれるよな。俺の、やりたいこと。この会社の、夢。——家族、だからさ」


 肩を抱かれると、なんで俺は、逃げる足じゃなくて、頷く首が先に動くんだろう。


「……はい」


 俺は、頷いていた。


 さっきの違和感が、嘘みたいに、溶けていた。


  ◆◇


 翌朝。

 社内チャットの、連絡が、来ていた。


 今日のスケジュール。

 各班の、担当割り。


 俺は、笠原の名前を、探した。

 あいつ、大丈夫だっただろうか。

 何班に、戻ってくるんだろう。


 探して、気づいた。


 笠原の名前が、ない。


 昨日まで、あったはずの、担当表。

 原画・笠原、と書いてあった、その一行が。

 まるごと、消えていた。


 欠席、でもない。

 休職、でもない。


 ただ、最初から、いなかったみたいに。


 俺は、過去のチャットを、遡った。

 笠原が「了解です」と打った、その吹き出しすら。

 誰かが、消していた。

 管理権限を持っているのは、ひとりしか、いない。

 俺は、それが、誰かを、知っている。

 知っていて、何も、言わない。


 名前が、消える。

 倒れた人間の、名前が。

 一晩で。


 ぞわり、と、また、皮膚が鳴った。


  ◆◇


 昼休み。

 俺は、外に出た。


 神宝町の、路地裏。

 日の当たらない、自販機の前。


 ポケットの中で、それを、握った。


 白い、名刺。

 「慈恩 気づかせ屋」。


 あの、老画家が、くれたやつだ。

 電話番号だけが、刷ってある。


 かければ、いいのか。

 かけて、何を、言えばいいのか。


 うちの会社、家族なんです。

 でも、家族の名前が、消えるんです。

 それって、おかしいですよね。


 ——好きで、やってるんで。


 言い慣れた台詞が、勝手に、頭に浮かぶ。

 誰に対する盾なのか、もう、分からない。


 俺は、名刺を、握ったまま、かけなかった。

 ポケットに、戻した。


 まだ、だ。

 まだ、俺は、家族を、裏切れない。


  ◆◇


 その夜だった。


 スマホが、震えた。

 知らない番号。

 でも、メッセージの、主の名前は、知っていた。


 笠原だった。


 病院から、別のスマホで、送ってきたらしい。

 短い、一行。


『高瀬、君も早く逃げな』


 俺は、それを、何度も、読んだ。

 画面の明かりが、暗い部屋で、やけに白い。


 逃げな。

 逃げな、って。


 倒れて、名前まで消された人間が。

 最後に俺に、それだけを、送ってきた。

 自分の心配じゃ、なく。


 既読を、つけた。


 つけた、その瞬間だった。


 社内チャットに、通知が、灯った。

 鏑木さんの、吹き出し。


『明日、徹夜できる人ー?(笑)』


 (笑)。

 人の名前が、消えた、次の日に。

 (笑)。


 俺の指は、もう、動いていた。


『はい、いけます』


 打ってから、気づいた。


 考える前に、打っていた。

 頷く首と、同じだった。


 送信。


 吹き出しが、画面の、右側に、並ぶ。


 その俺の文字を、見つめていたら。


 手の震えが、止まらなく、なった。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ