第1話「好きで、やってるんで」
時間ができた時にも随時更新します!
ぜひお楽しみに!
徹夜明けの蛍光灯は、太陽より、まぶしい。
窓の外が、もう白い。
ブラインドの隙間から、夜勤明けの始発みたいな光が、机の上に、一本、落ちている。
俺は、最後の一枚を、撮影台に置いた。
動画、上がり。
明け方の四時半に始めた中割りが、いま、終わった。
ライトボックスの上で、線が、つながっている。
原画と原画のあいだの、誰も褒めない一秒未満。
その隙間を、俺は、ひと晩かけて、埋めた。
キャラが、首を、かしげる。
原画には、傾きかけと、傾き切った絵だけがある。
そのあいだの、ためらいも、勢いも、ぜんぶ、動画マンが描く。
誰も、俺の名前を、覚えない仕事だ。
でも、これがないと、絵は、動かない。
俺がいないと、現場は、回らない。
そう思える瞬間だけ、この身体が、まだ、燃えていると、わかる。
完成、と口の中で言う。
声は、出ない。喉が、砂っぽい。
味のしない栄養ドリンクを、一気に飲んだ。
甘いはずだ。瓶に、そう書いてある。
でも、舌には、ぬるい鉄みたいな味しか、残らない。
空き瓶を、机の縁に並べる。
今夜で、三本目。
昨日の二本と、おとといの三本の、隣に。
手が、すこし、震えていた。
ペンを握りすぎた手だ。
握ったまま、開けない。
たぶん、腱鞘炎ってやつなんだろう。
病院に行く時間が、夢を追ってる人間には、ない(それ、夢の追い方として正しいのか)。
◆◇
ドアが、開いた。
鏑木さんだ。
五十一。総監督、を自称している。
灰色のロングカーディガンを、マントみたいに羽織って、社長は、フロアに入ってきた。
「おう、高瀬。生きてるか」
「生きてます。動画、上げ切りました」
声が、勝手に、高くなる。
電話に出るときと、社長に報告するときだけ、俺の声は、ワントーン高い。
たぶん、しっぽを振ってるんだと思う。
犬の自覚は、ある。
鏑木さんは、撮影台に、ぬっと顔を寄せた。
線を、見ている。
俺は、息を、止めた。
法廷で結審を待つ被告って、こんな気持ちなんだろうか(被告になったことはない)。
鏑木さんの指が、一枚を、つまみ上げる。
光に、透かす。
長い、沈黙。
ライトボックスが、じ、と、低く鳴っている。
「……お前の線、生きてるよ」
ぼそ、と言った。
◆◇
生きてる。
その三文字で、ひと晩の疲れが、ぜんぶ、報われた気がした。
錯覚かもしれない。
でも、錯覚でも、効く。
燃えカスみたいな顔の奥で、いちばん熱いところに、火が、点った。
「お前みたいな線、なかなか出ないんだ。動画マンには、もったいない」
「ありがとうございます」
頭が、勝手に、下がる。
もったいない、なんて言葉、もらえる人間は、この業界に、何人いるんだろう。
少なくとも、地元で公務員やってる兄貴には、一生、言われない言葉だ。
「あの、鏑木さん」
言ってしまえ、と思った。
褒められた、いまなら、言える。
「次のカット、原画、やらせてもらえませんか」
手の震えを、太ももの横で、握りこんで、隠した。
◆◇
鏑木さんは、ふっと、笑った。
怒っても、いない。
困っても、いない。
俺の頭を、ぽん、と一回、叩いた。
「焦るな。お前は、まだ伸びる。ここはな、家族なんだ。家族なんだから、順番に、ちゃんと回ってくる」
「……はい」
「俺は、お前の絵を、ちゃんと見てる。見てるから、安心しろ」
いつ、という言葉は、なかった。
来月、とも、来年、とも、言わなかった。
でも、見てる、と言われた。
それで、十分だった。
十分だと、自分に、言い聞かせた。
はい、と頷く声は、また、ワントーン高かった。
◆◇
鏑木さんが、奥の部屋へ消えてから、俺は、机の引き出しを開けた。
給料明細が、一枚、入れっぱなしになっている。
封も、半分、開いたまま。
数字を、見る。
手取りの欄。
俺は、それを、じっと見た。
見て、すぐ、引き出しを、閉めた。
別に、なんでもない数字だ。
部屋の家賃の、引き落とし額。
あれと、ぴったり、同じだっただけ。
偶然だ。
偶然に、決まってる。
好きなことで食えてる時点で、勝ち組なんだから(誰に勝った)。
残りで、何を食ってるのか。
考えると、味のしないドリンクの本数が、答えになりそうで、考えるのを、やめた。
◆◇
スマホが、震えた。
机の上で、青白く、光る。
画面に、出ている。
「実家」。
母さんだ。
たぶん、また、帰ってこいの電話だ。
次男なんだから、好きにしろって、口では言いながら、月に一度、必ずかけてくる。
俺は、画面を、見ていた。
ただ、見ていた。
出れば、「元気か」から始まって、「ちゃんと食べてるの」で終わる。
元気だと、嘘をつく。
食べてると、嘘をつく。
嘘を、五分。
その五分が、いまの俺には、重い。
着信は、しばらく鳴って、切れた。
不在着信が、ひとつ。
俺は、上京するとき、自分で、退路に火を点けた。
「好きなことで生きる」と、玄関で、言い切った。
父さんは、何も言わなかった。
あの沈黙を、俺は、まだ、燃やし続けている。
いま、電話に出て、弱音を吐いたら。
あの火が、ただの、燃えカスになる。
だから、出ない。
出ない、という選択を、俺は、毎月、している。
◆◇
昼前、笠原さんが、出社してきた。
ひとつ上の、原画の人だ。
この会社で、唯一、まともに、飯に誘ってくれる。
「高瀬、お前、まさか、また泊まり?」
「上げ切ったんで。きりが、よかったんで」
「顔、やばいよ。燃えカスみたいな色してる」
笠原さんが、眉を、寄せる。
「最近さ……寝てる?」
俺は、笑った。
たぶん、ちゃんと、笑えていた。
「寝てますよ。たまに、息止まってますけど」
「それ、寝てないだろ」
「好きで、やってるんで」
言ってから、思う。
「好きで、やってるんで」——この六文字を、俺は一日に何度、盾みたいに使うんだろう。
好きだから、徹夜していい。
好きだから、安くていい。
好きだから、震える手で、味のしないドリンクを、飲んでいい。
その盾は、誰に向けて、構えているんだろう。
たぶん、いちばん前に立っているのは、俺自身だ。
笠原さんは、何か言いかけて、やめた。
代わりに、自販機で買った缶コーヒーを、俺の机に、置いてくれた。
俺は、私物のタブレットを、起動した。
業務とは、関係ない。
夜中の休憩に、一秒ずつ、自分のために描いている、個人の作品。
まだ、誰にも、見せていない。
いつか、これを、と思っている。
画面に、線が、息をしている。
社長に褒められた線と、たぶん、同じ線だ。
これだけは、ちゃんと、俺のものだった。
◆◇
明細を、財布に、しまおうとした。
立ち上がって、ロッカーの前に行く。
壁際に、灰色のロッカーが、並んでいる。
それぞれの扉に、名前のシールが、貼ってある。
いちばん端。
先月、辞めた、遠野さんのロッカー。
名前のシールが、剥がされていた。
遠野さん。
俺に、最初に、トレス台の使い方を教えてくれた人。
ある日、来なくなって、それきり、誰も、その名前を口にしない。
送別会も、なかった。
まるで、最初から、いなかったみたいに。
シールの、剥がし跡だけが、残っている。
四角く、白く、糊の影が、灰色の扉に、焼きついて。
俺は、その剥がし跡を、見た。
遠野さんの名前を、思い出した。
この会社で、まだ覚えているのは、たぶん、俺だけだった。
それなのに俺は、剥がし跡へ、指を伸ばさなかった。
見なかったことにして、財布を閉じた。
明細を握った手が、また、震えた。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
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