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神宝町怪異相談 仕事のあとに残るもの ~仕事を失った人たちの、少し不思議な再出発~  作者: K3/KASANE
返却期限

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第1話 返ってこない本


 返ってこない本は、図書館では珍しくない。


 引っ越し、入院、離婚、それから死。


 理由はだいたいそのどれかで、督促はがきは三回で止まる。


 三回出して返らなければ、あとは事務の話になる。


 弁償か、除籍か。


 紙の上で本を一冊「いないこと」にして、棚の番号を詰める。


 わたしは、その作業が嫌いではなかった。


 本には帰る場所がある。


 返却とは、本を戻すだけの作業ではない。


 借りた人の時間を、本来あるべき場所へ戻す仕事だと思っていた。


 だから、その一冊が気になったのは、返っていないからではなかった。


 返っていないのに、失われていないからだった。


 四月の書架整理で、わたしは自然科学の棚の下段から『星を見る人』を抜いた。


 背表紙は焼けていて、天の埃を払うと指の腹が灰色になった。


 奥付は昭和五十年代。


 うちのような町の図書館では、こういう本は二十年も動かない。


 裏見返しには、紙の貸出カードが入っていた。


 今はシステム管理になっているから、紙のカードが残っている本は少ない。


 古い記録と、昔の利用者の名前。


 誰かがここで本を借りた証拠だ。


 いちばん下の行に、日付が二つ並んでいた。


 貸出 一九九八年四月十二日。


 返却期限 一九九八年五月十二日。


 返却欄は、空だった。


 わたしはカウンターへ戻って端末を叩いた。


 移行データにも同じ本が残っていて、状態欄の表示は「貸出中」。


 二十一年前から、そのままだった。


 念のため除籍簿を出した。


 この本は、二年前にも、三年前にも、五年前にも除籍候補になっていた。


 しかし、三回ともリストから消えている。


 理由欄には、前任者の字で短く書かれていた。


 「現物あり」


 つまりこの本は、毎年どこかから帰ってきていた。


 誰にも返却処理されないまま、同じ棚へ。


 館長に話すと、老眼鏡を外して長い間黙っていた。


 「返却の処理はできんな」


 「できませんか」


 「できん。返却には、返した人の名前が要る」


 館長は貸出カードを見た。


 「カードの名前は……たぶん、もう生きとらん」


 それから少し考えて、真顔で続けた。


 「うちは延滞料を取らんからな。この本は二十一年ぶん、何も返してないことになる」


 わたしは少し遅れて笑った。


 館長も少し遅れて笑った。


 図書館の書式には、こういう本を置く欄がなかった。


 その日は本を仮の棚へ移した。


 場所を書き、時刻も記録して、閉館後の確認もした。


 翌朝、本は自然科学の棚に戻っていた。


 同じ位置に、同じ向きで。


 背表紙の焼けた面が、きちんと外を向いている。


 わたしはもう一度、本を移動した。


 今度は写真も撮った。


 翌朝、また戻っていた。


 その時、初めて最終ページを開いた。


 奥付の余白に、鉛筆で一行あった。


 『まだ返せていません』


 消しゴムを使った。


 紙を傷めないように、力を入れずに。


 消えたのを確かめて、本を閉じた。


 翌朝、同じ場所に、同じ字があった。


 筆圧まで同じだった。


 館長が電話をかけたのは、その日の午後だった。


 町の外れ、駅から歩いて十分ほどのビル。


 その十階にある相談屋だという。


 図書館が民間の拝み屋へ連絡する日が来るとは思わなかった。


 けれど館長は、受話器を置いて言った。


 「本のことは、司書が調べる。本じゃないことは、あの人が調べる」


 数時間後に来たのは、黒いスーツを着た細身の男性だった。


 四十を越えたくらいに見える。


 名刺には、


 「気づかせ屋 慈恩」


 とだけ書かれていた。


 慈恩さんは手を洗ってから、本を受け取った。


 表紙を撫で、背を確認して、それから開かずに膝へ置いた。


 「これ、怒ってませんね」


 「怒るんですか。本が」


 「ありますよ。捨てられた本とか、破られた本とか」


 慈恩さんは少し笑った。


 「でも、これは違います」


 そして、最後のページを開いた。


 鉛筆の文字をしばらく見る。


 「これは、ただ待ってます」


 わたしは貸出カードを差し出した。


 「最後の借主は、この人です」


 山岸修一。


 二十一年前に借りた人。


 慈恩さんはカードを受け取り、光へ透かした。


 「水野さん。この本が待っているのは、最後に名前を書いた人じゃありません」


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