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神宝町怪異相談 仕事のあとに残るもの ~仕事を失った人たちの、少し不思議な再出発~  作者: K3/KASANE
二時の入館記録

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後編 その台は、撤去しない


 警察には言わなかった。


 本部にも上げなかった。


 上げれば、まず録画の管理の話になる。


 暗証番号を共有していたこと。


 辞めた人間の登録を消していなかったこと。


 死角のあるカメラのまま無人営業を続けていたこと。


 順番に紙になって、順番に僕の名前が入る。


 そういう順番になるのが分かっていた、と書けば正直だが、それだけではなかった。


 僕は、来ているのが誰なのかを、たぶんもう知っていた。


 三日、待った。


 車は店の駐車場に置かず、二百メートル先のコンビニに停めて歩いた。


 事務室の照明は落とし、戸を細く開けておいた。


 一日目も、二日目も、ログには二時二分の行だけが立った。


 三日目の二時二分に、解錠音がした。


 自動ドアが開いて、閉まる。


 照明はつかない。


 半分に落ちたままの明かりの中を、足音が奥へ行く。


 トレーニングシューズではない。


 底の薄い、街履きの靴の音だった。


 人影は、マシンの列のあいだをまっすぐ抜けた。


 どこも触らない。


 給水機の前も通り過ぎる。


 フリーウェイトエリアのゴムマットに入ると、足音が消えた。


 その人は、奥のベンチ台の横に立った。


 立っただけだった。


 腰も下ろさない。


 バーにも触らない。


 携帯も出さない。


 台の足のほう、僕から見て右側に、両手を体の脇に垂らして立っている。


 顔は台のほうを向いていた。


 僕は事務室の戸の陰で、腕時計の秒針を見ていた。


 二時三分。


 二時五分。


 二時八分。


 何も起きない。


 換気の音がして、給水機のコンプレッサーが一度回って止まった。


 人が一人立っているだけで、店はいつもの夜と同じだった。


 二時十三分になったとき、その人が動いた。


 セーフティのピンを抜いて、一つ下の穴に差し替えた。


 それから消毒液のボトルを取って、ベンチの座面にひと吹きし、ペーパーで拭いた。


 ボトルを元の位置に戻す。


 ノズルの向きまで元と同じにした。


 そして、非常口のほうへ歩き出した。


 僕は事務室を出た。


 「南くん」


 その人は止まった。


 振り返るまでに、少し間があった。


 「……はい」


 南悠は、二十三歳になっていた。


 深夜のシフトに入っていたころより、痩せていた。


 この時期に薄い上着で、片手にうちの店のカードを持っていた。


 カードの表には、佐伯修の番号が入っている。


 「十四分だね」


 「はい」


 「録画を消していたのも」


 「僕です」


 言い訳をしなかった。


 うつむきもしなかった。


 こちらを見て、聞かれたことにだけ答えた。


 「あの夜のシフトを削ったのは、僕だ」


 「知ってます」


 僕は手を出した。


 南は、カードを僕の手のひらに置いた。


 指が触れて、冷たかった。


 「カードは、預かる」


 「……はい」


 それだけだった。


 南は非常口の押し棒に体重をかけて、外へ出ていった。


 冷たい風が、フロアの奥まで入ってきた。


 退館の記録が一度も残らなかったのは、南が非常口から出ていたからだ。


 非常口はフリーウェイトエリアの奥にある。


 カメラが映さない側だ。


 内側から押せば開くし、出るときにカードはいらない。


 カードは、佐伯さんのロッカーに残っていたものだった。


 うちの店では、会員が希望すれば予備のカードを一枚発行する。


 番号は同じものを使う。


 佐伯さんはそれを作っていて、月極のロッカーに入れたままにしていた。


 ロッカーの中身は、退会の手続きが終わってから遺族にお返しすることになっている。


 手続きは終わっていなかった。


 だから中身も、返していなかった。


 深夜シフトを畳んだとき、ロッカーの合鍵の管理は日勤に移った。


 そのとき、移し忘れた鍵が一本あった。


 意見箱の紙も、南だった。


 会員ではないから、申込書のファイルに筆跡が無い。


 あの台を使わないでくださいと書いておいて、毎晩、自分でその台を拭いていた。


 十四分の意味は、ログの中にあった。


 事故の日、佐伯さんはフリーウェイトエリアに入っている。


 柱の陰に入る手前までは、カメラに映っていた。


 プレートを付けて、ベルトを締めて、台に横になるところまでだ。


 一時五十九分に、映像から消える。


 次に誰かがカードをかざしたのは、二時十三分だった。


 その夜、次に入ってきた、あの会員だ。


 一時五十九分から、二時十三分まで。


 その十四分のあいだ、店には佐伯さんしかいなかった。


 毎晩消えていた録画の十四分は、その十四分と、同じ時刻だった。


 深夜のシフトがあったころ、二時に一度、フロアを一周する決まりだった。


 二時ちょうどに事務室を出て、マシン列を見て、フリーウェイトエリアまで行って戻る。


 奥に着くのは、いつも二時の三分すぎだった。


 南は一年、その巡回をしていた。


 シフトが無くなって、南は昼の短いパートに移された。


 週に二日、二時間ずつ。


 ほどなく辞めた。


 事故があったのは、それから一か月あとだ。


 南が毎晩立っていたのは、以前のシフトなら自分が立っていた十四分だった。


 佐伯さんの奥さんが来たのは、その翌週だった。


 退会の書類は、亡くなった月ぶんの会費の返金と一緒に渡すことになっている。


 控えに判子をもらう欄が二か所ある。


 奥さんは印鑑を持ってきていて、押す前に、二か所とも指でなぞって確かめた。


 入口の椅子に、中学生の男の子が座っていた。


 制服のまま、鞄を膝に抱えている。


 その上に、ノートが一冊のっていた。


 表紙の角が丸くなって、ゴムで留めてある。


 「持っていくって、聞かなくて」


 奥さんはそう言って、笑った。


 責めるようなことは、何も言わなかった。


 会費のことも、店のことも、あの台のことも聞かなかった。


 ありがとうございました、と二度言った。


 ノートは、記録帳だった。


 子どもが開いて見せてくれた。


 日付、種目、重さ、回数。


 全部、鉛筆で書いてある。


 線が引いてあって、消して書き直した数字がいくつもあった。


 最後の行は、二か月前の日付だった。


 九七・五キロ、一回。


 その下は、罫線だけが続いている。


 「百キロって、そんなに大変なものなんですか」


 奥さんが聞いた。


 僕は答えられなかった。


 重さです、と言いかけて、やめた。


 この人にとっての百キロは、重さではない。


 夫が二年かけて、二・五キロずつ足していった数字だ。


 子どもはノートを閉じて、ゴムをかけ直した。


 何も言わなかった。


 二人は自動ドアを出て、駐車場を横切り、軽自動車に乗って帰った。


 その日の午後、僕は退会の処理を、当月で入力した。


 翌月の締めに回さなかった。


 在籍数は、その月のうちに一人減った。


 本部からは、三日後に電話が来た。


 処理を戻せるかと聞かれ、戻せません、と答えた。


 始末書を一枚書いた。


 様式は事故報告書と同じところにある。


 書く欄は、事案、原因、再発防止。


 原因の欄に、僕は「店舗判断による運用の逸脱」と書いた。


 そう書けと言われたわけではない。


 ほかの書き方を、思いつかなかった。


 あの台は、撤去しなかった。


 入れ替えたほうが早い、と本部からは言われた。


 同じ型のベンチ台をもう一台入れて、備品の番号を振り直せば、記録の上ではあの台は無くなる。


 僕は入れ替えなかった。


 使われている台を、使えなくしたくなかった。


 代わりに、無人営業の時間帯だけ、セーフティの高さを固定することにした。


 十九時に、僕がピンを上から二つ目の穴に差し、ピンの頭に南京錠をかける。


 翌朝の十時に外す。


 バーが胸に触れる手前で止まる高さだ。


 その高さでは、胸まで下ろす挙げ方ができない。


 南が毎晩下げていた穴には、もうピンが入らない。


 意見箱の紙のとおりになった。


 百キロを挙げる人は、うちに三人いる。


 三人とも、夜にしか来ない。


 苦情は、その月のうちに四件来た。


 意見箱に二枚、電話が一件、本部の窓口に一件。


 使えないなら会費を下げてくれ、と書いてあった。


 もっともだと思った。


 返事は備え付けの用紙に僕の字で書いて、掲示板に貼った。


 次期改修まで、と書くのはやめた。


 当面のあいだ、と書いた。


 退会が二件出た。


 それから、僕は夜に店へ行くようになった。


 日勤の店長が、深夜に店にいる決まりはない。


 無人営業というのは、人を置かないことで成り立っている。


 人を置けば、その時間には人件費がつく。


 僕がいる二時台は、経費の上では存在しない時間だ。


 だから僕は、タイムカードを押さない。


 一時五十五分に裏口から入る。


 事務室の照明はつけない。


 フロアの明かりは半分のまま。


 マシン列を抜けて、いちばん奥まで歩く。


 二時二分に、僕はあの台の横に立つ。


 南が立っていたのと同じ側だ。


 バーには触らない。


 座面にも座らない。


 ただ立って、二時十三分まで、店の音を聞いている。


 換気の音と、給水機の音と、外の道を走る車の音がする。


 誰も入ってこない夜のほうが多い。


 入ってくる人がいた夜は、挨拶をして、フロアの端に立っている。


 佐伯さんは戻ってこない。


 南も戻ってこなかった。


 台は残っていて、高さは固定されたままだ。


 何も元どおりにはなっていない。


 その十四分に、僕は立っていた。


 誰の記録にも残らない。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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