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やりがいの、燃えカス  作者: K3/KASANE
通行券

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15/17

後編 ありがとうございました

全部が現実の話


 私は券を受け取った。


 電源の落ちたブースでは、券を通す機械も死んでいる。


 私は紙をただ手に持っていた。


 田端さんは前を向いたままだった。


 「間違えた」


 それだけ言った。


 「昔の癖でな」


 それから、握っていた小銭を私の手のひらへ落とした。


 数えるまでもなく、一区間ぶんちょうどの額だった。


 何か言おうとしたが、言葉になるより先に窓が上がった。


 車は静かに動きだした。


 私は窓から体を出して目で追った。


 出口の道は、少し先で二つに分かれる。


 下れば町へ入る。


 もう一方は料金所の脇をまわって、また高速へ戻る側だ。


 赤い光は、後ろのほうへ入っていった。


 降りたのではない。


 引き返したのだ。


 そこまで見届けて、私はやっと寒さを思い出した。


 手のひらの小銭が、体温を吸って温くなっていた。


 翌朝、上がる前に、尾形の机の引き出しを開けさせてもらった。


 休憩室の長机に、券を並べた。


 二十枚近くあった。


 日付順に置いていくと、飛び飛びになった。


 三日おいて、二日おいて、また三日。


 私は事務室から、去年の勤務表の綴りを出した。


 一年前の、私たちの班の表である。


 田端稔の行の、夜の勤務の印がついた日をたどり、それから机の上の券の日付をたどった。


 同じだった。


 一枚もずれていなかった。


 田端さんは、辞めた日の勤務表のとおりに家を出ている。


 毎晩ではなかったのだ。


 同じ班の同じ表を、二人ともまだ持っていただけだった。


 私は券を集めて、そろえた。


 そこで手が止まった。


 どの券も、右上の角が、ひと折りしてある。


 紙の端を三角に折って、爪でしごいた跡だった。


 どれも同じ大きさだった。


 一年前まで、券を受け取るとその角を折ってから束ねる人が、ここにいた。


 数える必要も、分ける必要も無い。


 ただそうするのだ。


 どうして折るんですかと、一度だけ聞いたことがある。


 田端さんは笑って、手が勝手にやってしまうのだと言った。


 もう直らんよ、と。


 この紙には誰の名前も残らないと、私はついこのあいだ思ったばかりだった。


 折り目のついた紙は、名前より雄弁だった。


 次の私の夜勤は二日あとだった。


 その夜も三番は閉めて、私は一番のブースで、明かりを点けたまま待った。


 二時を十分過ぎたころ、ヘッドライトが来た。


 車は三番のほうへ寄っていきかけて、途中で止まり、向きを変えて一番へ入ってきた。


 窓が下りた。


 「通してくれ」


 田端さんは前を向いたまま言った。


 「券は出す。金も出す。それでいいだろう」


 私は手を出さなかった。


 田端さんも券を出さなかった。


 エンジンの音だけが屋根の下に残った。


 「面接はな」


 やがて、田端さんが言った。


 「何度か行ったよ」


 「駄目でしたか」


 「年を書く欄がある」


 それだけ言って、また黙った。


 ハンドルを両手で持ったままだった。


 「警備のところでは、夜勤ができるかと聞かれた。できると言った。次の日に電話が来て、今回は縁が無かったと。それが去年の春だ。それから十いくつ受けて、数えるのはやめた」


 「家には、言っていないんですか」


 「言っとらん」


 田端さんは、ワイパーのレバーを意味も無く指ではじいた。


 「辞めた日にな、言うつもりだったんだ。玄関で靴を脱ぐ前に言おうと思っとった。そうしたら女房が晩飯の話をしてな。その日は言わなかった。一度逃すとな、次はもっと言えん。三日目には、もう言えんようになっとった」


 「一年ですよ」


 「一年だ」


 「ETCは、使わないんですか」


 「明細が家に来る」


 田端さんは、そこで初めてこちらを向いた。


 「いつ、どこを通ったかが、全部出る。現金なら、何も残らん」


 聞かないでおくべきだったと、あとで何度も思った。


 「田端さん。どこへ行っとるんですか」


 田端さんは前へ向き直った。


 「行き先はいらんのよ。出ていく用事さえあれば」


 私は券と小銭を受け取った。


 何万回も言ってきた言葉が、そのときは出てこなかった。


 田端さんは窓を上げて、行った。


 次の休憩の日に、私は所長のところへ行った。


 閉めたレーンの話はしなかった。


 来年度のことを聞いた。


 本当に一本も残らないのか。


 所長は書類の束を揃えて、もう一度揃え直した。


 「出ないよ」


 「誰が決めたんですか」


 言うつもりのなかったことが口から出た。


 所長は顔を上げて、しばらく私を見ていた。


 「本社から紙が来る。俺はそれを読んで、人数を書いて、返す。書いた人数のとおりに、来年ここは動く」


 所長は書類を引き出しへ入れて、閉めた。


 「決めた人間の顔を、俺も見たことがないんだ」


 私は礼を言って部屋を出た。


 腹を立てる先が無いというのは、こういうことなのだと思った。


 私は田端さんを責められなかった。


 その次の私の夜勤にも、車は来た。


 朝には桟の上に、角をひと折りした券と、ちょうどの小銭が置かれていた。


 私はそれを引き出しにしまった。


 妻には、まだ言っていなかった。


 十月に話が出て、年が明けて、二月になった。


 家へ帰れば妻がいて、湯呑みを出して、テレビの話をする。


 そのあいだじゅう、私は言えるところを探している。


 ここで言おうと思う場所は一晩に何度もあって、そのたびに次でいいと思う。


 次は、もっと言いにくい。


 私は田端さんに、何も言えなかった。


 言えば、自分の分まで白状することになる。


 尾形が来たのは、その週の終わりだった。


 「深津さん、知ってますよね」


 顔に出てますよ、と尾形は言った。


 私が黙っていると、自分の手を見てから言った。


 「不法侵入ですよ。記録に残さないと」


 尾形は正しかった。


 閉めた場所へ入るのは、通っていい道を通るのとは違う。


 私は止めなかった。


 止める言葉が無かった。


 尾形は机へ戻って、いちばん下の引き出しを開けた。


 報告の紙を出すつもりだったのだと思う。


 中には券の束があった。


 尾形はしばらくそれを見ていた。


 それから、引き出しを閉めた。


 「あれ、角が折ってあるじゃないですか」


 こちらを見ずに、尾形は言った。


 「あんなの、機械にはできないですよ」


 次の朝、引き継ぎのノートを開くと、尾形の字で一行だけ書いてあった。


 三番、異常なし。


 その下は空けてあった。


 「僕、来月で辞めます」


 初めて聞いた。


 「決まってたんです。年が明けてすぐに」


 「そうか」


 「言おうとは思ってたんですけどね」


 尾形は帽子のつばを直した。


 「一度逃すと、言いにくくて」


 三月の最後の夜が、一般レーンの最後の営業日だった。


 その夜、私は閉める予定だったレーンを、一つだけ開けた。


 三番である。


 電源を入れると機械が低く唸った。


 夕方から小雨で、屋根の下の光が濡れた路面へ落ちていた。


 尾形はその日、夕方までの勤務だった。


 上がる前にコーンを並べ、それから三番の手前の一本だけを端へ寄せた。


 車が一台通れるだけの幅が空いた。


 尾形は何も言わなかった。


 私も言わなかった。


 傘を差して、駐車場のほうへ歩いていった。


 一時をまわると、車はほとんど来なくなった。


 それでも二台か三台は通って、私は券を受け取り、金額を告げ、釣りを渡し、頭を下げた。


 誰もこちらの顔は見なかった。


 二時を十分過ぎたころ、坂の下からライトが上がってきた。


 車は速度を落として、いつものように三番へ寄ってきた。


 そこで、止まりかけた。


 ブースに明かりが点いている。


 人が立っている。


 車は半分ほど進んで、また止まり、それから動いて、窓の高さの合う位置に停まった。


 私は窓を開けて、手を出した。


 運転席の窓が下りた。


 田端さんは私の顔を見て、それから、通行券を差し出した。


 右上の角が、ひと折りしてあった。


 私は受け取った。


 券を機械に通し、表示に出た金額を告げた。


 田端さんが小銭を出した。


 数えるまでもなく、ちょうどだった。


 私はそれを受け取り、券を、穴の開いた箱へ落とした。


 何万枚も落としてきた音がした。


 それから、私は頭を下げた。


 「ありがとうございました」


 何万回言ったか分からない言葉を、私はその日いちばん丁寧に言った。


 そのあとに、一言だけ足した。


 「――お疲れさまでした。田端さん」


 田端さんは、しばらく動かなかった。


 ワイパーが一度だけ動いて、止まった。


 田端さんは前へ向き直った。


 「おう」


 それだけだった。


 窓が上がった。


 どこへ行くとも言わなかった。


 私も聞かなかった。


 車は坂を上がって、引き返す側の道へ入っていった。


 赤い光が雨に滲んで、消えた。


 そのあと、三番へは一台も来なかった。


 四時に電源を落とした。


 田端さんの職は戻らない。


 私の窓も、今夜で終わりだった。


 朝、私は家へ帰った。


 台所で、妻が湯を沸かしていた。


 私は上着を脱いで、椅子に座って、言った。


 「今日から、私のレーンはなくなるんだ」


 「知ってた」と妻は言った。


 湯呑みは、はじめから二つ出ていた。


 数日後、取り払われる前に、私は一度だけ料金所へ寄った。


 私は誰もいなくなったレーンに向かって、もう一度だけ頭を下げた。


 「ありがとうございました」


最後まで読んでくださって、ありがとうございました。


よかったら、★やブックマークで、この話を残してもらえると励みになります。


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