表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
やりがいの、燃えカス  作者: K3/KASANE
やりがいの、燃えカス

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/16

第6話「鈴蘭の、線香」

時間ができた時にも随時更新します!

ぜひお楽しみに!


 線香が一本、まっすぐ立っていた。揺れているのは、俺のほうだった。


 夜の九時。神宝町の駅前。

 「珈琲 鈴蘭」。


 住所は、聞かなかった。

 名刺の電話に、初めて、自分からかけた。


 二十八年、生きてきて、初めてだった。

 助けを、自分から、求めたのは。


 誰かに迷惑をかけるくらいなら、一人で抱えて潰れるほうが、まだ、ましだと思って生きてきた。

 弱音を吐くやつは、好きでやってないやつだ、と。

 どこかで、そう、思っていた。


 その俺が、指が震えるのを、もう片方の手で押さえながら、十一桁を、押した。

 呼び出し音が、三回。

 切ろうとした、四回目で、繋がった。


 名前を名乗る前に、向こうが、言った。

 今夜九時、珈琲 鈴蘭で、と。

 それだけ、だった。


 扉を押すと、雨の匂いが、後ろで切れた。


 古い柱時計が、ことり、ことり、と鳴っている。

 ほかに、音はない。

 深夜の作業部屋に似た静けさだ。

 あの部屋では、いつも、息が、詰まった。

 なのに、ここは、なぜか、息が、できた。


 奥の、窓際の席。

 男が、ひとり、座っていた。


 糸目。

 痩せた身体。

 白い顔。

 血の気の薄い指が、煙草を、くるり、くるりと、回している。


 歳は、わからない。

 五十にも、四十にも、見える。


 テーブルの真ん中に、白い小さな皿。

 その上に、線香が、一本。


 男は、俺が向かいに腰を下ろすのを待ってから、その線香に、マッチで、火を点けた。


  ◆◇


「気づかせ屋、ですよー」


 男は、それだけ言った。

 名刺を、確かめもしない。

 俺の顔も、ろくに、見ない。


「……高瀬です。アニメの、動画を、描いてます」


「あー、はい、はい」


 うなずきも、しない。

 感心も、しない。


 白檀の、甘い匂いが、細く、立ちのぼった。


「あの、それ」


「ぼくの癖です。話を聞く前に、立てるんですよ」


 なぜ、とは、聞かなかった。

 聞いている場合じゃ、なかった。

 胸の中で、一週間、煮詰まっていたものが、出口を、探していた。


 男は、コーヒーを、一口、飲んだ。

 そして、俺の右手を、見た。


 ペンだこ。

 爪の脇の、ささくれ。

 夜なべで荒れた、絵描きの手だ。


「いい手ですねえ」


 男が、言った。


「……は」


「ずいぶん、描いてきた手だ」


 褒められた、はずなのに。

 なぜか、その手を、テーブルの下に、隠したくなった。


  ◆◇


 堰が、切れた。


 しゃべっていた。


 鏑木のこと。

 俺が、夜中に一人で描いた絵を、データごと、消したこと。

 「会社のものだろ」と、笑ったこと。


 俺が抗議したら、あいつが、目を、潤ませたこと。

 声を震わせて、悲しいよ、家族だと思ってたのに、と言ったこと。

 まわりが、あいつを、心配したこと。

 いつのまにか、俺が、後輩を追い詰めた先輩に、なっていたこと。


 残業のこと。

 タイムカードを切ってから、机に戻る、毎晩のこと。

 「やりがい搾取って言葉、嫌いなんだよね」と、あいつが、笑いながら言ったこと。


 消えていった、同僚のこと。

 ある日、席が、片付いていたこと。

 名前すら、誰も、口にしないこと。

 まるで、最初から、いなかったみたいに。


 俺は、まくし立てた。

 唾が、飛んだ。

 声が、裏返った。

 みっともない、と頭のどこかで思いながら、止まらなかった。


 男は、うなずきも、しない。

 目も、見開かない。


 ただ、聞いていた。


「ええ」

「ええ」

「ええ」


 相槌だけ、打つ。

 慰めも、説教も、ない。

 可哀想に、とも、言わない。


 線香の煙が、まっすぐ、立っている。

 風のない店の、空気を、細く割って。


 俺は、いつのまにか、ぜんぶ、吐き出していた。


  ◆◇


 最後に、俺は、言い切った。


「あいつが悪いんです。全部、あいつが」


 言って、すこし、楽になった。

 ずっと、そう言いたかった。


 誰かに、そうだ、お前は悪くない、と、言ってほしかった。

 それを聞きに、ここまで、来たのかもしれない。


 男は、煙草を、灰皿の縁に、置いた。


「あー、はい、はい」


 糸目のまま、男は、初めて、まっすぐ、俺のほうを、見た。


 糸のように細い目の、奥が、見えた気がして、背中が、すこし、冷えた。


「……で、高瀬さんは、いつから、好きで、やってるんです?」


 俺は、顔を、上げた。


「は?」


「残業ですよー。タダの。いつから、好きで、やってるんです」


 俺は、すぐには、答えられなかった。


「いつから、って」


「最初は、誰かに、言わされたんですか。それとも」


 男は、煙草を、また、指で、回しはじめた。


「自分で、言いはじめたんですか」


  ◆◇


 好きで。


 その言葉が、喉の奥に、引っかかって、降りていかない。


 好きで、やってるんで。


 俺の、口癖だった。


 誰に何を言われても、そう答えてきた。

 給料が安くても。

 終電を、逃しても。

 絵を、消されても。


 好きで、やってるんで。


 笑って、そう言えば、誰も、それ以上は、踏み込んでこない。

 俺自身も、それ以上、考えなくて、済む。


 鏑木の言葉じゃ、ない。

 あいつに、言わされた言葉でも、ない。


 俺が、俺の口で、何百回も、言ってきた言葉だ。


 盾だった。

 搾り取られていることを、見ないための、盾。


 好きでやってるんだから、しょうがない。

 好きでやってるんだから、文句は言えない。

 好きでやってるんだから、燃え尽きても——本望だ。


 その盾の裏に、俺は、自分を、隠してきた。

 搾り取る側にとって、これほど、都合のいい言葉は、ない。

 好きでやってる人間からは、いくら奪っても、罪に、ならないから。


 鏑木は、それを、知っていた。

 俺が、自分で自分を、安く値付けしていることを。

 だから、絵を消しても、笑っていられたんだ。

 もともと、俺が、タダで差し出していたものだから。


 あいつが俺を燃やしたんじゃない。俺が、好きだからって、自分で薪をくべてたんだ。


 怒りが、行き場を、失った。


 鏑木に向けていた指が、ゆっくり、自分のほうへ、戻ってくる。


 俺の手首には、誰がはめたのでもない、鎖が、巻かれていた。

 鏑木が締めた鎖じゃ、ない。

 俺が、毎晩、好きだからと言いながら、自分で、締め直してきた鎖だ。


  ◆◇


 男は、答えを、言わなかった。


 そうだ、とも。

 違う、とも。


 ただ、糸目のまま、線香の煙を、見ていた。


 俺が、自分で言葉にするのを、待っているみたいだった。


 どれくらい、黙っていただろう。

 柱時計が、ことり、と、鳴った。


 やがて、男は、伝票を、指先で、つまんだ。

 俺の分まで、握って、立ち上がった。


「燃え尽きるのは、本気の証拠じゃ、ないですよー」


 それだけ、置いた。


「本気の人は、ちゃんと、燃料を、惜しみます。長く、燃やすために」


 俺は、何も、返せなかった。


 立ちのぼる、一本の線香。

 その向こうで、糸目が、ほんの少し、細くなった。


 答えは、くれなかった。

 くれたのは、問いと、煙の匂い、だけだった。


 俺は、ずっと、答えをもらいに来たつもりだった。

 お前は悪くない、と。

 でも、この人は、ひとつも、慰めてくれなかった。

 ただ、俺が、ずっと目を逸らしてきた一点に、線香の先を、向けただけだ。


  ◆◇


 店を出ると、雨が、上がっていた。


 濡れたアスファルトが、街灯を、にじませている。

 空気が、洗われて、すこし、冷たい。

 肺の奥まで、吸い込んだ。


 ポケットの中で、スマホが、震えた。


 鏑木だった。


 「明日、いつもの時間な(笑)」


 いつもなら、俺も、笑って返した。

 了解です、好きでやってるんで、と。


 その「(笑)」を、初めて、笑えなかった。


 指が、返信の上で、止まる。


 線香の匂いが、まだ、指先に、残っていた。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ