セイは姓名の「姓」
吊掛さんの雄大な身体が、夏の濃い色の空によく似合っていた。
二人をここまで乗せてきた古びた電車が、うぉー……ん、と唸り声を上げながら、更に山深くへと走り去っていく。片面だけのホームに小さな駅舎を備えた小駅に降り立ったのは吊掛さんと冬弥だけ。
吊掛さんは走り去る電車に向けて重い前髪に隠れた双眸の陰から、いとおしげな眼差しを向けていた。電車の音が山の奥に消えてしまってから、
「遠いとこ付き合ってくれがじゃ、ありがとうな」
冬弥の髪に大きな手を置いた。
住まいのある浅川よりも標高があるからだろう、風はからりと軽いが、光線はとても強い。冬弥は吊掛さんの作ったくっきりとした影の中に、閉じ込められているような気がした。
さりとて、浅川を出て一時間半。吊掛さんに連れられるまま電車に揺られて、乗り継いで、辿り着いたこの場所が、どこであるかは全く判然としない。でも、そろそろ問うてもいいだろう。
「ここ、どこですか?」
だってこれは、「デート」らしいので。
吊掛さんはニッと笑って白い歯を覗かせ、ホームに立つ、錆の浮いた駅名標を指差す。
「せいしょうじ 清勝寺」
と書かれていたが、つまるところそれは何の答えにもなっていないのだった。
○
三日前、芋窪さんの家で過ごした夜は、冬弥が人生で重ねてきたあらゆる夏のハイライトを掻き集めても足りない色彩と音楽だった。
この夏、いや、これから先、これまで通りの夏が来るならば、きっとそのたび噛み締めて思い出すのだろう。そんな想像した冬弥は、まだひと噛みだってする前に、谷戸の奥の屋敷に住むおばあちゃんに驚かされることとなったのである。
「デートをしましょう」
吊掛さんからのメッセージ。
バイトが終わって、ベンチでやっと落ち着いていたところだったのに、俄かに心臓が跳ねてしまった。
「おばあちゃん孝行だと思って、付き合ってもらえたら嬉しいです」
彼女たちを見るとき、誰一人としておばあちゃんだなんて思わないだろう。正体を知った冬弥でさえそうである。それなのに「デート」「おばあちゃん孝行」なんて言葉を使われてしまっては、どう受け止めたらいいのやら。
何の支度もしなくていいから、と言われて迎えた約束の日、約束の時間に浅川駅に着いて、現れた吊掛さん、黒のタンクトップにグレーのシャツとジーンズ、大きなリュックサック。
「こがな日陰じゃあ暑うがじゃ、どこか日陰におったがえいがに」
相手がおばあちゃんであれ、大きなツキノワグマであれ、人生初めてのデート。若干の緊張を催し、服選びにも気を遣い、……と言っても学校に行くときと違うのはシャツの色だけ、という格好で浅川駅の北口に突っ立っていた冬弥の手を、吊掛さんが引いて、日陰へと連れて行く。
「はぁ……、僕は背があんまり高くありませんから、目立つところにいないとって思ったんです」
「まじめかぁ。そぉがな白い顔して。平入くんはあんま身体が強うないがじゃろ」
「まあ……、ご覧のとおりです」
吊掛さんは大きなリュックから水筒を取り出して、きんきんに冷えた麦茶を注いでくれた。
「こいから、ちょおとばかし電車が乗って出掛けるが。切符はわしが出しちょうげ、平入くんはただついて来てくれちゃあえい」
「え、そ、そんな悪いですよ、僕もバイトしてますしちゃんと」
「えいがえいが。言うたがん、『おばあちゃん孝行』がじゃ。平入くんぐらいの坊やが、一緒におうてくれがるだけで十分に孝行がじゃ」
不思議なことに、これほどアクの強い赤州弁でありながら、冬弥には吊掛さんの言っていることがすんなりと理解できるのだ。実のところを言うと、昨日の夜から「吊掛さんの言葉を何度も訊き返しちゃうことにならないだろうか」と、少しばかり不安を抱いていたのである。
「パソコンで音楽、それは、あれがな、DTMっつうあれがな」
「あ、ご存知ですか」
「もちろん、自分で作りゃがらんが。でも、大したもんが。わしらも楽器は色々触ってきたが、自分で音楽を作ろうなんがことは思わらんがじゃあ」
「みなさん楽器できるんですか、そっちのほうがすごいですよ。僕は楽器一個も出来ないですもん」
「楽器弾けんで曲作りゆほうがすげいがじゃ」
電車に揺られ、会話は弾む。どうしてだろうと考えてみるに、これはやはり、吊掛さんがおばあちゃんだからではないだろうか……、なんて仮説を立てたくなる。
天保年間生まれの彼女からすれば、冬弥なんて本当に取るに足らない小さな生きものであるはずだ。しかし彼女は冬弥とデートをするにあたって、冬弥の身体を気遣い、麦茶を水筒に入れてきて、……「おばあちゃん」の自覚で孫に付き合わせているという実感を伺わせる。
彼女の言葉はまっすぐに冬弥に向かうものだ。冬弥がするべきは、彼女の言葉がどれほど難解であろうと耳を傾けて受け止めるという、ただそれだけ。言葉を尊重しようという意識が冬弥の側に知らず備わっているから、彼女がいかな強い方言で喋っても、きちんと手のひらに載せて胸に染み入らせることができるのだろう。
冬弥の緊張はあっという間にほぐれ、西に向かって進む電車は幾つかのトンネルを越えた。冬弥たちの住む浅川は都心の人間からすれば「あんなところ東京ではない」と貶まれる街であるが、そこから更に一時間も電車に乗れば、それこそどこに吊掛さんの縁戚のような熊の潜んでいるかという山に両足を突っ込むことになる。峠をトンネルで超え、県境を跨ぎ、久しぶりに車窓に街らしい賑わいが戻ってきたところで、
「降りるがじゃ」
と吊掛さんは立ち上がった。
「ここで乗り換える。ほれ、あっちの『初鉄』に乗るがじゃ」
初鉄、初めて聞く路線であった。「のりかえ 初雁電鉄 鴻野山・初雁・岩城方面」なんて案内は出ているが、どの駅名も冬弥に馴染みはない。ただ、ICカードで精算して出た先に切符売り場があって、有人の改札を抜けると、簡易的な上屋とベンチがあるだけの小さくて短いホームに、やはり小さくて短く見える電車がちょこんと停まって、発車を待っているところだった。
上半分を葡萄茶色に、下半分を白に塗り分けたその車両は、なんというか、その……。
「ボロがじゃ」
「まあ……、そうですね」
吊掛さんは冬弥の返答に、満足げに頷いて、車内に入る。
入ってみて、驚いた。冷房がかかっていない。窓が全部空いていて、天井の扇風機が首を降っているが、それはなまぬるい風をかき混ぜるぐらいの役にしか立っていない。
二両しか繋いでいない車両の車内は、見る限り地元の人ばかりのようだ。
「……岩城ゆき、発車します……」
くぐもったアナウンスと、ジリリリリン、と発車ベルが鳴って、ドアが閉まる。
古びた電車が走り出すなり、
……ぐぶ、ぐぐぐ、ぐおぉーおーん……。
そんな唸り声が床下から響く。まるで何か、石臼で粉でも挽いているのかとでも思うような、大きな振動を伴う轟音。あるいは、大きな熊が床下にいて、この電車を担いで動かしているのではないかという妄想すら、現実味を帯びて感じられるような……。
「こいがな、わしの姓じゃ」
吊掛さんは、激しい音の中で言った。冬弥の聞く彼女の言葉としては、初めて意味の理解できないものだった。
◯
吊掛さん、……吊掛エツコさんは、名もなき熊として江戸時代初期に生まれたそうである。
もう少し具体的に見れば、それは寛永年間のことであったようだ。江戸時代最大と言われる「寛永の大飢饉」が一六四〇年から一六四三年までにわたって起きている。異常気象による旱魃や虫害、結果として大量の餓死者を出した。
人間にとっての飢饉は、山に住む生きものたちにとっても無関係ではいられない。山中で満足な餌が獲れなければ食べものを求めて里に降りてきて、人間と不幸な遭遇、どちらかあるいは双方の死という悲劇が招かれることは言うまでもない。
他方、人間の空間から食べものがなくなれば、人間もまた、熊の領域に乗り込んできて、食べものを巡る争いが起きる。
彼女はそうした争いの中で人によって母を奪われた子熊であった。
母は目の前で人間に殺された。
一方、彼女は「まだ子供がじゃ」「育ってからまた狩りに来ればえいが」……人間たちのそういうやりとりを当然聞き取ることはできなかったが、殺されることはせずに済んだ。
母は人間たちに連れて行かれ、鍋の具となり喰われ、何人もの命を救った。彼女は貧しい山に取り残され、それでも、一人だけであればどうにか、人間の食えぬ木の芽などからどうにか栄養を得て、食い繋ぎ、生きることが出来た。
生きた。
生きた。
生きられる限りに生きた。
熊の身として彼女は、いつしか「思考」ということをし始めるようになった。いや、思考そのものはあらゆる動物が当然のように行う、彼らは本能においてのみ判断をしているわけではない。ただ彼女は、思考を習慣づけて自分の機能として定着させ、大きな身体に比して小さいものでしかない脳を、それでも隅々まで活用することである種の哲学めいたものを得るに至った。長い年月を生きた猫がその身の器を超えた知と霊力を有する猫又となるように、彼女は途方もなく長い命と霊力を持ち思考する熊、「霊熊」となったのである。
無論、全ての熊がそうなるわけではない。母を殺されたことが原因というわけでもない。おそらく彼女は、他の熊より少しだけ賢く、本能にのみ基づく行動をしなかった、……環境が彼女にそれを許さなかった、という理由が大きい。人間と遭遇したことは何度もあるが、彼女は人間を食わなかった。食ったところでな、という気持ちは、母を食った人間と同じになってしまうことを疎んだからか、それとも、思考によって「どうせ骨と皮ばっかりがじゃ」という結論に容易く至ってしまったからか。
よく、人を襲う熊が「味を覚えた」などと言われるが、あれは単に「覚えた」だけであって、人の肉や臓器が格別の美味というわけではない。あの食い意地の張った人間たちが飢えに追い詰められても、滅多なことでは互食しないことからも明白である。彼女は、人を食うことはなくとも人の味を定義できるぐらいの思考を帯び、それは時間を重ねることで更に研ぎ澄まされていく。
かつて山には、森には、今とは比べものにならないほどの霊気が満ちていた。彼女のようにその霊気を身に宿し、元の生きものと違う生きものとの形を自在に行き来出来るようになった存在は、いまほど稀有というわけでもなかった。里に暮らす人の側が、山や森の霊的な要素を畏怖尊崇していたこともまた、彼女たちのような存在を成立させるための補強材料となったようだ。
気付いたときには彼女は、熊の枠に収まらぬ存在と化していた。つるつるとして弱々しい肌、戦うため、身を守るための爪も牙もなく、ゆえにこそ群れて生きなければならぬ人間。弱いがゆえに狡猾さを磨き、群れの中で立ち回る方法論に長けた人間の姿を模ることが出来るようになったのである。
彼女は人里に紛れ込み、人の言葉を覚え、人の在りかたを真似た。真似るという言葉は学ぶという言葉の語源である。彼女は非常に上手くそれをやりこなした。また、もとが熊だけに女としては非常に大柄で力が強いものであったので、あれこれと仕事をしては重宝がられ、そうすれば人間の輪の中で食事をすることにもなった。人間の食の豊かさを知り、山に住みながら人と交わり、しかし、長居はすることなく峠を超えて別の里と山とを行き来して、……そういう流転する熊として暮らし始めた。
彼女が拠点を江戸に移したのは、太平の世もすでに末期に入った天保年間、天保の大飢饉と呼ばれる深刻な飢饉のあったのころである。
天保の大飢饉は、一揆、打ちこわし、市民の逃散などに見られるように、社会に大きな動揺をもたらすこととなった。大阪で大塩平八郎の乱が起きたのもこのころである。
熊女の野次馬根性……、里暮らしの中でいつからか「エツ」という名を帯びていた彼女は、そう述懐する。
なお、エツは「越」と書き、彼女が山や峠を越えて、あるいは境界線を跨いでやって来ることから、里の人間がそう呼んでくれたものだ。彼女はその名を気に入った。越境を意味する名を持つ自分が、人々の、社会の、大きく揺れて流動する時期に、その世相を渦の只中に腰を据えて見たならどんな心持ちがするのだろうか? 彼女は混乱する江戸へ行き、……そこで自身の同類と出会う。
権力の上と下が画然と分けられた江戸の、「下」にて蠢く人々の中で彼女なりの観察に勤しんでいたエツを見て、声を掛けたものがあった。
「あんた、人じゃあないね」
着物を、蓮っ葉を超えて淫らな風情に着こなした小柄な娘だった。無論、エツもまた一目見て彼女が人間ではないことを察知した。エツのことを見る彼女の目には、爛々とした輝きが宿っている、……喜びや興奮、また好奇、微かな恐れなどがないまぜになった眼差し。
「あたしはエマ。大洞稲荷の狐様だ」
「エツじゃ。……大ボラ稲荷? 稲荷に狐がおるゆうが、そもそもが大ボラじゃ」
くっくっくっとエマは愉快そうに笑った。
「そうさ。あたしはその稲荷の近くに住んでただけの、ただの狐さ。でも、人間どもがさぁ、あたしのしっぽをありがたがって、毎日のように供えものを持って来るもんだから、こっちも人間がありがたくってさ。気付いたときにはこうなってたって話よ。あんたはずいぶんでっかいねぇ」
「赤州は津森山の熊がじゃ」
「えっ。……えっ、熊……、熊さん。あっ、さ、さようでいらっしゃる、いやはや、あの、ええ、こいつぁどうもご立派なことで……。じゃーあたしはこのへんで……」
エマの襟首を掴んで逃さず、一緒に食事をした。訊けば彼女もまた、「人間たちが右往左往してるとこ見たくってさぁ」という理由で遠くの稲荷からわざわざ江戸まで出てきたのだという。
意気投合したエツとエマ、熊と狐の女二人は、人間たちの群れが、大きなうねりとなり、新しい時代を切り拓いて行く様子を、時にその輪の中でもみくちゃになり、またあるときは引いたところから眺めて、大いに楽しんだという。
「大したもんがじゃ」
と言ったエツに、
「だねぇ。人間ってのは、見てて飽きないもんだ」
このときすでに二百年ほどを生きた後である二人は、なお飽き足らず人間の中に身を置き、その群れの流転を眺め続けていくことになる。
新しい世の中が来た。
一八七五年、明治政府が「苗字必称義務令」を発令。
この少し前に「平民苗字許可令」が出て、権力の「下」の人々も苗字を名乗ることが許されていたが、一方で、今度は権力の側が平民の整理のためにことごとく苗字を持つことを定めたのである。
「エツはどうするの」
「エマは決めたがじゃ」
「うーん……、あってもいいよとは思うけどなぁ、『なきゃダメ』って言われると、なんかそれで付けるのもシャクなんだよなぁ」
エツも同感であった。
そもそも自分たちのような人間の外の存在は、この法令を素直に守る必要はないのである。結局二人は姓なきもの、名実ともに人間ではない存在としていましばらく生きることを選んだ。人から名を尋ねられ答えるときには、「赤州」とか「大洞」とか昔いた地の名を便宜的に用いてお茶を濁し、それでとりたてて問題を感じることはなかった。
のであるが、一八九〇年のある日、エツは突然、こう宣言したのである。
「わしの姓は、吊掛にするがじゃ」




