「いただきます」
「あーやっと帰ってきた、おっせーよ楓果」
飛んで来たのは、キンと高い声。
続けて聴こえたのは、
「わしらもう腹がペコがじゃ、よっぽどピザでも取らっちゃと思うたが」
どこの出身だろうか、というとんでもない訛りかた。
そして、最後には、
「早く作れ」
ぼそっ、と低く非難を飛ばす声も聴こえてきた。
声の主は、いつも教室後方で、よそのクラスからやってきて芋窪さんと喋っているギャルのお仲間さんたちである。
「おー……? なんかめっずらしいのがいるなぁ」
乱暴な声は、金色通り越してピンク色にしていらっしゃる髪を、日によって下ろしたり結えたり、今日に関しては二つ結び、芋窪さんと並んで「強い」タイプのギャル、白子さん。
「学校の子がじゃ。楓果が連れて来たがか」
とんでもない訛りかたをしていたのが、長身巨躯、別ベクトルの「強さ」を持つギャル、吊掛さん。
そして、
「……楓果のクラスの男子だろ」
低く呟いたのが、ボーイッシュな片目隠れスタイル、眼光鋭い小豆洗さんだ。
それぞれ別のクラスに在籍しながら、休み時間となると冬弥の在籍する四組にやって来る、「教室後方高嶺のギャルズ」である。
「くつろぐだけくつろいで文句ばかり垂れるでないわ。めしなら今から作るゆえ、大人しう待っておれ」
オタクに優しいギャルなんていない、ただし芋窪さんはどうやらその限りにあらず、という考えでいた冬弥である。歓迎なんてされまい、芋窪さんとつむぎちゃんが行ってしまったら、きっと相当に気詰まりな思いをすることになるだろう。
と思ったのだが……。
「ひら……、なんだっけ、ひら……、ひらなんとかくんがじゃなぁ」
「……平入です」
「ヒライリーさ、いっつもあたしらのほうチラッチラ見てるよね、なに、あたしらのこと好き? ねぇ、好きなの? ねぇ」
「いえ、あの、すみませんそんな見てるつもりはないんですが」
勧められた座布団に膝を揃えて収まるなり、左に白子さん右に吊掛さんと挟まれる羽目になった。
冬弥の鼻に、説明し難い、いい香りが届いた。自分の世界に存在したことのない芳香、……つまり、ギャルのかおりであろう。 できるだけ意識しないようにするのだけれど、……小豆洗さんがテーブルの向こう壁際に膝を立てて座って、じとっとした目で冬弥を見ていた。心中を見透かされただろうか?
「あー、あいつは気にせんが」
吊掛さんが苦笑混じりに言う。
「懐くまでに時間が要る。スイは人見知りがじゃ」
小豆洗さん、下の名前は「スイ」というらしい。なかなか珍しい名前である。
「ちなあたしはエマ。ハイカラっしょ」
「わしはエツコ。普通っしょ」
「ヒライリーもハイカラだね、リーだもんね」
「平井リーではなかじゃ」
ギャルと話をしたのは、芋窪さん相手が初めて、……そして白子エマさんと吊掛エツコさんが二人目三人目である。そもそもの話として、女子と話すことには慣れていない冬弥なのに、今日は、もうだいぶキャパオーバー。
「ええと……、あの、僕は、ヒライリーではなくて、平入です、下の名前は冬弥です。平入冬弥といいます、はじめまして」
舞い上がった結果として、四角四面に真面目くさった受け答えをした冬弥に、白子さんと吊掛さん、冬弥を挟んで左右から顔を見合わせて、くふっ、ぶはっ、とそれぞれ噴き出す。
「きゃっははははははヒライリーおもしろーい、もう、もうね、今日からリーって呼ぶね、よろしくねリー!」
ばしばしと背中を叩いて白子さんは大はしゃぎ、吊掛さんは白子さんほどビビッドなリアクションはしないまでも、敷いていた座布団から外れて横たわり、身体を丸めてヒクヒクと痙攣している。口元からは「まじめ……、まじめかぁ……」と言葉が漏れていた。
なお、小豆洗さんはずっとテーブルの向こうでスマートフォンを弄っている。ゆらゆらと立てた膝が揺れているから、たぶん、髪に隠れた耳の奥に音楽を鳴らしているのだろう。
「……あの、あの、いいですか、白子さん痛い、白子さん痛いです、……吊掛さん、あの、いいですか」
明るい女子高生の世界観、と冬弥が想像していたものの中に、いま、いる。眩しすぎて、ちょっと入れない。こういう場において自分に発言権があるとも思われないのだが……。
「お二人は、あの、……芋窪さんの、お友達ですよね。ってことは、あの……、お二人も、あと、……小豆洗さんも、ずっとこう、芋窪さんと一緒にいらっしゃる、んで、しょか」
うっかり「皆さんも本当は十五歳十六歳じゃないんですかね」とストレートな訊きかたをしそうになった。まさか芋窪さん(というかつむぎちゃん)が今日冬弥に告げたことを彼女たちが知らないとも思われないが、何よりも、人の年齢というのはとても丁寧に扱わなければいけないものだ。
白子さんも吊掛さんも、笑うのをやめた。耳の中の音楽を掻き分けて聴き取ったのか、小豆洗さんもこっちを見ている。
「……お前、どこまで知っている」
小豆洗さんの声は怖い。
「楓果がお前に何か言ったのか、それともつむぎか」
凛々しい眼差しに、今は鋭い小刀のような迫力が伴った。
「あ、あの、つむぎちゃん、が、芋窪さんがお母さんだって、言ってました……」
「へー」
白子さんが感心したような声を出して、冬弥の横顔を覗き込む。
近い。不埒な考えがあるわけではないにせよ、異性に、毛穴の見える距離まで接近されたことなんて一度もないので、緊張どころの騒ぎではない。だが、身体を逸らそうにも反対側には吊掛さんがいる。
「つむぎがそう言ゆがじゃ、そん通りが。楓果も、わしらも、もうずーとずーうっと……、んー、もう、何年になったが」
「六十……、年ぐらいだっけ? ずーっと浅川学園にいる」
白子さんの言葉に、冬弥は目を丸くした。
「開校からずっとってことですか?」
冬弥を囲んで、白子さん、吊掛さん、小豆洗さんが視線を交わし合った気配がある。
代表して口を開いたのは白子さん。
「そうだよ。あたしたちは人間じゃないからね」
極めて重大なことを、おしゃべりのトーンでぺらりと言った。
「人間じゃないけど、でも人間のカッコを上手にやって、ずーっと女子高生やってる、最近はこんな感じ、……ギャルなってどんくらい経つっけ?」
「かれこれ三十年ぐらいが。……ギャルは飽かん、自由でえいじゃ」
では、その前は……?
「スケバンやってたよ。リー、スケバンって判る?」
「ヨーヨー持うてブンブン振り回しち、隣町の男番長とタイマン張ったが。コテンパンにのしたら惚れられて往生しちょうが」
「ついこないだみたいに思うけど、あれももう四十年ぐらい前んなるかぁ……」
白子さんがちょっと切なそうに笑った。小豆洗さんは元の無表情に戻って、会話の輪から外れた。
「そのころにスマホがあったらが、平入くんにもスケバンの楓果を見せちょうが」
「エツコ、そのころ『大熊のエツコ』って言われてたんだよ」
「『大』を付けるがら大失礼がじゃ」
「あたしは『スズメバチのエマ』だったし。スイもなんかあったよなそういう二つ名な」
ぎろり、小豆洗さんが怖い目で白子さんと吊掛さんを睨んだ。
「なんだったかじゃ……、あっ」
「思い出した!」
「『シャドーアサシンのスイ』!」
「ぎゃははははかっけー! シャドーアサシンまじかっけぇ!」
「貴様らぁ!」
小豆洗さんが立ち上がって怒鳴った。
誰しも、そういう「カッコいい」過去を持っているものだ。小豆洗さんはクールに見えるけれど、スケバン時代は厨二病だったのだろうか。
「平入ッ、貴様、このことを学校で吹聴してみろ! 貴様の頭をかち割って頭蓋骨を抜き取って浅川で洗ってやるからな!」
報復がえぐい。
「騒がしいのう……、これからめしを食うところでバタバタするもんではない」
おしゃべりをしているうちに、芋窪さんが晩ごはんを完成させてくれたらしい。振り返って、「わっ」という声が出てしまった。長い髪、下ろしているままだと調理の邪魔になるからだろう、アップにして纏めて、エプロンをしている。そのエプロンの向こうには当然キャミソールとスパッツが隠れているわけだが、パッと見、その、素肌に直接エプロンをしているみたいに見えてしまったのである。
「スイは平入くんを脅すでないわ、無害な男子じゃぞ」
「うん、それは私もそう思った。平入くんは善意が服を着て歩いているような子だ」
後ろから現れたつむぎちゃんも言う。小豆洗さんがむっと唇を尖らせたが、どうやら芋窪さんに対しては素直な女の子らしい、言葉を飲み込んで、「悪かった」と冬弥に謝る。態度は怖いし言葉遣いはサバサバしているけれど、根っこの悪い子ではないというのは短い時間でも伝わってきた。白子さん、吊掛さんと連れ立って、芋窪さん母娘のお手伝いに向かう。僕も何か、と言ったのだが、つむぎちゃんに「座って待ってなさい」と言われてしまった。
どうやらこの家で、高嶺のギャルズは一緒に暮らしているのだろう。では、彼女たちのお父さんやお母さんは? ……どうも、いないようである。
「さあ、出来た。平入くん、待たせてしもうたのう……」
人数分の箸と茶碗が並んだ。ギャルズと幼女、そこに招かれて座っている男子高校生、六人分である。
囲むのは、色とりどりの夏の夕餉。
茄子と厚揚げの揚げ浸し。大葉の刻んだのと、チューブのものではないに違いないおろししょうがが涼しげな芳香を届けている。
豚肉に薄衣を付けて焼いて、どうやら甘辛いタレを絡めたもの。仕上げに白胡麻が振られている。
トマト、櫛形に切ったものにさらりと塩が振られている。
なめことわかめのお味噌汁。
麦混じりのごはん。
そして、きゅうりの糠漬け。
「平入くんを招くことをあらかじめ定めておったなら、もうちょっとこう、手の込んだものを作っておったのじゃが……」
申し訳なさそうに言った芋窪さんに、冬弥は言葉が出てこない。自身も台所に立つ冬弥には、この品数をこのクオリティで、しかも短時間で仕上げてしまえる凄まじさは理解できる。
「まあ、素材は間違いなくよい。その……、平入くんには今日、いろいろと面倒を掛けてしもうたし……、せめて気兼ねせずお腹いっぱい……」
冬弥はまだ、この場に自分がいる理由を白子さん吊掛さん小豆洗さんに告げていない。つむぎちゃんもまだ何も言っていないはずであるが、
「あっ……」
「ふーん……」
みたいな声が白子さんと吊掛さんから漏れた。
「また機械で泣いたのか」
さっき自身の過去をバラされた小豆洗さんだけは、八つ当たり的に容赦なく言う。
「なっ……、泣いてはおらぬ!」
「楓果は機械が苦手すぎるがじゃ。冷蔵庫や電灯や扇風機は慣れたと言うゆが」
「テレビさえ見ないんだからね大したもんだよね」
「電気屋に連れて行ったら失神して救急車を呼ぶ羽目になった。何百年生きてると思ってるんだみっともない」
つむぎちゃん同様、ギャルズも容赦ない。芋窪さんは真っ赤になってぷるぷる震えて目に涙を溜めている。また「えーん!」ってなったなら、せっかくのごはんが台なしになってしまうだろう。
だから慌てて冬弥はへらへら笑いを頬に浮かべあ。
「あの、ね、えっと、食べましょう、いただきます、いやあ僕お腹ぺこぺこだなあ、こんなに美味しそうなごはんをいただけるなんていつ以来のことかなぁ」
ぐん、と屈辱に基づく怒りの塊を、芋窪さんが飲み込む音がした。
「……んむ、そうじゃ。平入くんに食べてもらわねば意味がない……、冷めてしまう前に、いただきます」
芋窪さんが手を合わせていい、他の四人も倣って「いただきます」と言うので、冬弥も慌てて「だきます」ぐらいのところは追いついて言った。
いま、小豆洗さんが「何百年」と言ったな……、ということは認識していた。
のであるが、
「うわなんですかこれすごいおいしい」
つむぎちゃんが取り分けてくれた茄子と厚揚げの揚げ浸し、一口食べるなりそんな具合に馬鹿みたいな声が出てしまった。この一言で、吊掛さんが「よいこか!」とツッコんで、白子さんをツボにハメる。芋窪さんは料理を褒められたのだと判っているだろうに「素材がいいからじゃこんな簡単なもん誰でも作れるし別にそんな褒めるようなものではない」と早口に言いながら言葉と同じぐらいのスピードでお箸を動かし、つむぎちゃんは「この糠漬けは私が担当したと伝えておいていいかな」と言う。
普段は休みの日にまとめて炊いたものを冷凍しておき、レンジでチンしたごはんと、あまり手の込んでいないおかずと納豆がせいぜい。それを、静かな部屋にスマートフォンから動画の音を響かせて食べているばかり。それが、なんということか。茄子はじゅわっと甘く、それだけしょうがとし大葉が爽やかに香るし、豚肉はなんともごはんの進む美味さ、きゅうりの糠漬けも、糠漬けってこんなに豊かな食べものだったですか、へへぇお見それしました、と平身低頭したくなる味わい!
冬弥は一度の食事でこれほど満ち足りた経験はついぞ味わったことがない。
それというのも、顔を上げたところに芋窪さんたちの顔があり、声があったからだろう。




