外から来る孤独
芋窪さんたちが遭遇した列車銃撃には「伊乃花トンネル列車銃撃事件」という名前が付けられている。過去を見ても最大の列車銃撃事件だった。
死者五〇人以上、死傷者一三〇人以上。芋窪さんが「夕立の音」に喩えた機銃掃射は二度、三度と繰り返された。人間によってばら撒かれた銃弾が、人間を殺戮したのだ。
「あのとき、あやつらが来ておらなんだら、……つむぎも到底ここにはおるまいの」
帰りのバスでひと停留所戻り、トンネルの東側出口近くにある小さな甘味処に入った。浅川市民ならば全員が遅くとも小学校入学までに登頂を経験する「明用山」の登山口の一つが付近にあり、その行き帰りの客をあてこんだ店らしいが、最も繁盛するのが毎年八月五日、伊乃花トンネル列車銃撃事件の慰霊日だという。公式の慰霊碑があるのはこちらだが、芋窪さんとつむぎちゃんが吊掛さんたちと出会ったのが、トンネルの向こう側だったらしいのだ。
「まあ、不幸中の幸いと言うべきだろうね」
スプーンに寒天とバニラアイスを絡めたものを乗せて、幸せそうに頬張ったつむぎちゃんは笑う。
「あのとき既に、私の身体は人間ではなくなりつつあったようだ。だから失血死を避けることができた。楓果の泉の水を飲まされたからだろう。あと、私は楓果の話だと何度かはいはいをして泉に落ちていたらしい、さぞかしたっぷりと飲んでいたのだろう」
それはちょっと、乱暴な話ではある。つむぎちゃんは、何度も危ない目に遭っていたのだ。
「水島も、もっとガブガブ飲んでいたらよかったのだけどね」
彼女の付け加えたその言葉に、何と返せばいいのか冬弥には言葉を考えつかなかった。
「……吊掛さんと白子さんは、どうして?」
芋窪さんが教えてくれたところによれば、あの二人も疎開を考えていたのだという。
白子さんは縁のあった男性のほとんどを兵隊に取られ、吊掛さんは熊の身でありながら荒事は好まず、二人で当初は東京の片隅に身を潜めていた。しかし三月の東京大空襲で焼け出され、そこから移動して浅川へ。そして八月を迎え、浅川空襲で二度目の大規模な空襲に遭う。二人ともすっかり参ってしまって、でも、「田舎暮らしは嫌だなぁ。戦争が終わったらさっさと東京に戻って来たいよ」という白子さんの希望もあって、獣の姿で山に隠れ住み、終戦まで我慢をすることにしていたらしい。
住んでいたのが伊乃花トンネルの近く。
自由の効かない世の中ではあったが、「せめて電車の音のする場所に居たいがじゃ」という吊掛さんのリクエストがあったそうだ。ところが、やっとちょうどいい穴を見つけ、熊と狐が身を寄せ合って暮らし始めた直後に、銃撃事件が起きた……。
芋窪さんが、懐から古びた時計を取り出した。細い鎖のつながった、懐中時計というやつだろう。蓋はひしゃげて、きちんと閉まらなくなっている。開いたところの文字盤もガラスも煤けている。時計は正午過ぎを指していた。
「エツコが、客車の中から拾うて来てくれたのじゃ。水島が誰ともあやつにはわからなかったはずじゃが、残る念のようなものを感じ取ったと申しておったのう。それを、エマが、……あやつはほうぼうの、色々な知り合いがおって、手先の器用な職人もおったゆえ、直せるかぎり治して、つむぎと妾のところまで届けてくれたのじゃ」
病院の人々の頑張りもあって芋窪さんの傷はみるみるふさがり、つむぎちゃんの小さな身体も回復の軌道に乗って、迎えた八月十五日。
この日も晴天だった。三十度を超える厳しい残暑の中、芋窪さんのラジオは、あの放送を捉える。
ラジオから、粉飾されたものではない事実が聴こえてきたのは、初めてのことだったように思う。あるいは、それも錯覚だっただろうか?
芋窪さんがそれを聴きながら、どんなことを思ったか。それを想像することは、八十一年後に高校生をやっている冬弥にも出来る。しかし、どんな言葉にしたとしても、芋窪さんの気持ちを代弁することにはならないだろう。
その日の夕方、白子さんたちは言った。
「人間のせいで散々な目に遭ったねぇ、あんたたちも、あたしたちも」
「けど、もうわしらは人間からぁ離れらんがじゃ。名も知らがん、何処かの貴な樹霊よ、あんたもそうがじゃ」
吊掛さんの言葉が、日々に少しずつ育っていくつむぎちゃんを念頭に置いたものであることは明らかだった。芋窪さんはその時点でもう、つむぎちゃんを手放して生きて行くという選択肢を失っていた。母と娘でなかろうと、彼女の目の前に横たわり、呼吸し、心臓を拍動させているのは、水島喬太郎という人に連なる命なのだ。
芋窪さんは既に負っていた。人間でないからには負わなくていいはずの重荷を、つむぎちゃんという命ごと、つまりは、人間まるごとの、ぜんたいの、命として。
「……そなたら、名を何と申す」
古風な姫言葉に、吊掛さんと白子さんは顔を見合わせた。もっとも、言葉遣いに関しては激しい方言の吊掛さんが文句を言えたものではないだろうけれど。
「なるほど、……熊のほうがエツコ、狐のほうがエマ。妾は芋窪山の楓果。聖の楓に宿りし……」
「おいこいつなんか偉そうだな、やっぱやめとくか」
どんなやり取りがあったかはさておき、人ならぬ者でありつつ人と交わり生きる霊熊・霊狐・樹霊の三体は、結局終戦の日まで焼けずに残った谷戸の奥の邸での共同生活を始めることとなった。
芋窪さんにとって、そしてつむぎちゃんにとっても、吊掛さんと白子さんの存在がどれほど救いであったかは、想像に難くない。もしも芋窪さんとつむぎちゃんが二人きりであったなら、……水島さんという支えのないまま人に馴染むことは困難をきわめたはずだ。
芋窪さんと吊掛さんと白子さんが、気の合う仲間かどうかはわからない。わからないなりに、人(?)付き合いを選べる状況ではないことをお互い了解し、支え合って生きていくための環境がきっと、彼女たちにはとても望ましかった。
十年が経ったころ、芋窪さんの泉の水のために人から出外れたつむぎちゃんの身体が成長することをやめた。彼女は小学校と中学校を出て、
「飽きた」
と言ったそうだ。
冬弥の前で、つむぎちゃんはその当時と同じ顔をして笑う。
「だって、ね。こんなちんちくりんの身体でそのまま高校へ行って、社会に出て、人間の暮らしなんてしようものならば……。無論、楓果のまじないのおかげで不審には思われないだろうけどさ、私がこのサイズ感の身体で、大人に伍して働くというのはどだい無理な話なわけで」
芋窪さんはつむぎちゃんを、複雑そうな顔で見ている。人間として生まれたつむぎちゃんに、人間らしい人生の経験をさせてあげたい気持ちがあったのだろう。そこに伴う母親らしい心の手触りに、冬弥は胸の奥をぎゅっと掴まれたような気持ちになって、思わず目が潤みそうになってしまった。
しかし、つむぎちゃんはしたたかである。事実として「飽きた」というのも事実なのだろうけれど……。
「楓果たちが学校に行けばいいと言ったんだ」
芋窪さんたちが、どんな顔をしたのかを想像するのは、冬弥にとってとても幸せなことだった。
「ギャハハハハそりゃ傑作だ、あたしらが学校に……、学校! 何百年って生きてきて、今更人間に何を学んでこいって言うのさ」
白子さんがそう言って笑い転げた。芋窪さんは言葉を失っていたと言う。何を申しておるんじゃこのガキんちょは、ぐらいのことを思ったことを、彼女は認める。他の二人より人間と交わっていない彼女が、人間を低く見ていることはこれまでの言動からも明らかだ。
しかし、吊掛さんだけは、少し前向きな姿勢を見せた。
「ほがな、制服を着りゅうげな、わしらが」
吊掛さんの中では「学校=制服」という図式が成り立っていたらしい。
「エマ。お前は制服が着ちゅうないがか」
「ぎゃはは……、え、制服?」
「めかしこみゅうが、好きじゃがろ」
「そ、そりゃー……、だって、まあ」
昔から花魁に寄せた格好をして、人間の男を誑かしてきたのが白子さんだ。制服を着ているご自身を想像しただろう、そしてまた、彼女たちの肉体年齢を考えたときに当然選択肢となる「高校」に通うとして、そこがどんな場であるかも、白子さんは想像したに違いない。
「……そうか……、なるほど、高校に行けば、……ぴっちぴちの男子高校生がうじゃうじゃいるじゃんか、食い放題じゃんか! っし決めた! あたし高校生になる!」
「動機が不純すぎませんか」
思わず人の回想に首を突っ込んで言ってしまった冬弥である。白子さんとデートした日の騒動を思い出して、それ以降の芋窪さんのパニックぶりは彼女にとってごく当然の反応だったのだと理解できた。恋愛というものに対して、早くから人間の世界で生きてきた吊掛さんと白子さん、そしてそもそも人間として小学校中学校に通ったつむぎんに対して、芋窪さんは唯一ちょっと後れをとっている。
……動機はどうあれ、白子さんと吊掛さんは大いに乗り気で浅川学園に入ることを決めた。なぜ浅川学園にしたかと言えば、当時の女子の制服が白子さんの好みに合致したからである。芋窪さんは「まったくもうたわけたことを言いよる」と、他人事として呆れていたのだそうだが、制服は三着届いた。
「なっ、なんじゃこれは! 妾は行くなどと言うておらんが! だいたいどこで測った妾のスリーサイズ! 重大なプライバシーの侵害ぞ!」
「そのころ『プライバシーの侵害』って概念ありましたか」
「まあ、あんまりなかったけども!」
娘として日夜一緒にいるつむぎちゃんには、それを知ることなど容易いことだった。
もちろん、「いやじゃいやじゃ妾人の学校など行きとうない」と芋窪さんは、つむぎちゃんの言葉を借りるならば「それはそれは無様に」駄々を捏ねて嫌がったという。それはあんまり聞きたくなかったなと、いまだに冬弥は思う。
ただ、何度も言うがつむぎちゃんはとてもしたたかである。
「いいじゃないか、楓果。私は行きたくっても行けない、いや行って行けないことはないだろうけど、もう学校というものは十分体験したからさ。私の代わりに女子高生としての暮らしを、日常というものを、満喫してきてくれ、そして、毎日土産話を持ち帰ってきてくれ。そうしたらきっと、私自身が高校生をやっているみたいな気持ちになれるからさ」
そんなことを言われてしまえば、芋窪さんとしてもいつまでも「いやじゃいやじゃ」とは言っていられない。
「し、しかし、そなたはどうするのじゃ。このような童女を独りで家に残して妾がどこかをほっつきまわるなど……」
「童女で居たくて童女で居るわけじゃない。どっかの誰かさんが歳を取れない身体にしてくれたおかげでこのとおりのちんちくりんなわけでね……、まあ、感謝してもいるけれど、私ももう大人なわけでね」
そしてそのままの顔でいまは八十二歳のつむぎちゃんである。
「私は私で、高校大学に行かない自由を得た代わりに、生というものを満喫するさ。私は生まれてこうして生きてること自体が奇跡みたいなものなわけでね、この一秒ずつを舐めるように愛しているんだ」
彼女は、三人の霊的な先輩がた、とりわけ母親代わりとしてここまで守り育ててくれた芋窪さんに、優しい声を向ける。
「私が感じている生の甘い味を、楓果にも感じて欲しいのさ。みんなが出て行っているあいだは畑の面倒も見よう、そして大いに書を読み、学ぶとするよ。私が独りで寂しそうだと思うならばなおのこと、学校でたくさん体験をして、その体験を私の元へ持ち帰ってきてくれればいい」
こう促されては、芋窪さんも制服に袖を通さないわけには行かなかった。
こうして、学校に通うようになった三人。
芋窪さんは根っこが真面目で、また人間に何かで負けるのは我慢ならぬという性格なものだから、成績優秀で部活をやらせれば優勝してしまう、白子さんは男性高校生を相手に思う存分きわどい遊びに精を出し、吊掛さんは校内に同好の士を見付けて友情を育む。そうこうしているうちに、三人はスケバンをやるようになった。
一方でつむぎちゃんは、かけがえのない家族を見付けた。近隣にその存在を示唆されていた妖怪・小豆洗いの正体であるところの、小豆洗さんである。つむぎちゃんは自らの身を囮にして小豆洗さんを誘き出し、山中で孤独に生きてきた彼女を、自分たちの邸に招き入れた。
「まあ、スイは小豆洗いではなくて狸だけど」
「つむぎ」
芋窪さんが嗜める。吊掛さんも白子さんもきっとそのことは気付いているのだろう、……出会ってまだ少ししか経っていない冬弥でさえ気付けてしまったのだから、当然と言えば当然。
「私たちがこういう暮らしをしているのはね、これが自然だと思うからなんだよ」
つむぎちゃんは言う。童女あらざる身に宿る、深みのある優しさがその瞳に滲んでいた。甘味処の店内には、彼女が人間として歳を重ねていたらきっと、と思うぐらいのお年寄りばかりである。冬弥はそういう人たちとつむぎちゃんの瞳に、同じ光を見た。目に時間を重ねなければとても帯びえない、重層的な光である。
「私は幸運にも、人間に生まれ、こういう身体になった。熊、狐、狸、そして楓……、そういうものたちが霊的な存在になったのと同じで、私はある意味では、人間として霊的な身になったと言い換えることが出来るだろうね。そうした身として人間を、人間以外のものを、見回して思うのは、生きものは孤独であるべきではない、……あって欲しくない、ということなんだ」
つむぎちゃんはそういう考えに、二十代のころ、まだかろうじて身体がわずかずつの成長をしているときに至ったと言う。
「孤独というのは、作られるものだ。孤独というのはつまり、不自然なことだ。生きものは一対の両親のもとから生まれてくる。……ここで誤解してはいけないのは、一対の、というのは男と女という意味ではなくて、男と男、女と女という形であっても、また生まれたときに既に片方が亡くなっていたとしても、ということだよ」
人間も獣も樹も生まれたときにはとても弱い。弱いがゆえに、形は違えど、なんらかの「庇護」が生誕と同時に設けられる。
人や獣には栄養という庇護がある。母親の乳、母親でなかったとしてもそれに代わるものから与えられる栄養と、何より安全。それがなければたちまち人間は死んでしまう。また、植物であってもそれは例外ではない。芽吹に適した場所まで種を飛ばし、土の上に落ちて根を潜らせて……、それは風が、大地が、親代わりの揺籠として、その種にあらかじめ組み込まれた庇護の約束事だ。
成長していく中で、孤独というものは新たに外から現れるものだ。
「孤独が、外から現れる……?」
「そう」
つむぎちゃんは頷く。
時間というものは、命の仕組み、庇護と同じく命に組み込まれた段取りである。その「長限」はさておき、無限ではない。それが尽きたものから順に、衰え枯れて死んでいく。植物をして、無限に生きるわけではない。生きもの、命というものがそういう性質を持つ以上、死は内なるものとして最初から備わった機能である。一方で、他者の死によって訪れる別離、その別離のタイミングや条件が重なることで生じる孤独は、外からの現象だ。
であるならば、だ。
生きものは、寄り添いあって生きるのが自然なことではないだろうか。別に不自然であることが間違っているなどと指摘するつもりはないが、産み落とされた段階で「庇護」というものがあらかじめ組み込まれているのが命なのだとしたら、一定の時間を経過して機能が長じたからといって、その「庇護」を捨てる必要はどこにもない。代わって「庇護的なもの」を自分たちで作り出したいと思うから、動物は生殖をする、群れを作る。
完全個別の命なんてものは存在しないんだ。
生きものである以上、孤独が不自然な状態であるということを弁えたならば、おのずと、どのように生きるかということは導き出される。とはいえ、万能なものではない以上、それは手の届く程度の範囲で、その孤独を潰していくぐらいのことで、十分に胸を張りたいけれどね。
「まあ、……ちんちくりんが胸を張っても滑稽に見えるだけかもしれないが」
つむぎちゃんはそう言って笑った。
これが、小豆洗さんの孤独、冬弥の孤食に対しての行動の答えだと冬弥は知る。
生まれてすぐに母親を、そして物心つく前に父親を失ったつむぎちゃんが、いまも生きているのは芋窪さん、吊掛さん、白子さんという庇護があったからだ。自分の命が庇護によっていまここに在るという意識を持つからこそ、彼女は自身の、小さくて、さっき繋いだとき改めてその柔らかさに胸が痛んだ手のひらであっても、誰かを雨風から守るために使いたいと思うのだろう。
ずっと閉じられていた芋窪さんの唇が、久しぶりに開いた。
「……先ほどつむぎが、『孤独は外から来る』と申した。ゆえにこそ、それは何か別のものであっても、潰して塞がなければならぬ、と」
その目は、少し物憂げである。
「妾は、……人の世で生き始めたのは、まだほんの、……ほんのついこの間という気がしておる。エマやエツコはそうではないらしいがの、スイと妾は、なんかこう、まだ人に慣れてはおらぬし、人が容易く壊れてしまうことが、……少し、しんどく思われることもある」
「身に訪れる『孤独』の要素、有限的な命の定めというものを、私たちはどうしたって見続けなければいけないからね」
「うむ。……妾は、だからあまり、人と交わることが得意ではない。女学生の身となってずいぶん経つが……、もう何人も、かつての学友が亡くなってしもうた。妾は、それを忘れることができぬ。深く交われば交わるほど、その痛みは一層強まる。のう、情けない話じゃ、……妾の中にはいまだに、水島が死んだときの記憶があの通り鮮明に、その色彩までもが染み付いて消えぬ。それが重ねた時間のぶんだけ、増え続けていくのじゃ」
有限の時間を生きるしか出来ない、しかも、限りが平均と比べて短いことが明らかな冬弥は、自分もまた芋窪さんの「傷」になってしまうことが避けられないと気付いた。無論、性格上「烏滸がましいことですけど」という前置きをしないではいられないけれど。
人間は有限の時間に色々なことを詰め込まなければいけない。記憶をすることにだって時間を要する、……人間はつまり、記憶のために無限の時間を費やすことは出来ない。人間が「忘れることができる」というのは、言い換えれば「時間がなくて覚えられない」ということになろう。
けれど、芋窪さんたちは覚えていられる。事実として、冬弥の父親を覚えていた。つらいことを、悲しいことを、……あの戦争の記憶も、芋窪さんたちはこれから長い長い生の中で負っていかなければいけない。
自分が生きた、一緒に過ごした時間の証が彼女たちの中に残るということは、自分が彼女たちを残して早々に退場し、彼女たちに「孤独」を齎す者となってしまうことにも繋がるのだと、冬弥はこのとき初めて気付いた。
「とはいえ……、じゃ」
三人ともあんみつを食べ終えてしばらく経つけれど、まだ席を立たない。だからと言って、店員さんに居心地悪くされることもない。熱いお茶のおかわりを持ってきてくれたりする。控えめな冷房の入った古い店内で、お茶がとても美味しい。
「妾は、流れる時というものを恨もうとは思わぬ。時が巡るものであるがゆえに、妾には、……妾たちには、新しい出会いも訪れる。かつてのクラスメイトの息子さんと、こうして過ごす夏があるのは、まあ……、特権かもしれんのう」
言葉の終わりに、芋窪さんは微笑みを浮かべて見せてくれた。
芋窪さんの生全体で見れば、冬弥と過ごした時間なんてあまりに儚く、あっけない。それなのに、芋窪さんの中に自分が生き続けて、喪失という形の痕を記してしまうだけなのだとしたら、それはなんだかとても申し訳ないことだ。廊下ですれ違うだけの存在であったなら、……鉄道、恋愛に、ライブハウス、彼女たちの中に痕を残すような存在では、本来なかったはずの冬弥である。
しかし、残ってしまう爪痕があるのであれば、せめてそれが喪失という形ではありませんように。
「僕が……、あの店で、バイトを始めたのは」
気付いたときには、冬弥は自分のことを語り始めていた。
自分の生きた証としての音楽、そんな話までは、とても出来ないけれど。そしておそらく、その部分について話さなければ芋窪さんもつむぎちゃんも、どういう意図を持って冬弥が音楽のことを話したのか、きっとわからないだろうけれど。
「その、いい音を使って、曲の完成度をもっと、上げていけたらっていう気持ちがあって。それで、あの、……吊掛さんが前におっしゃってたんですけど、みなさん、楽器ができるって」
自分が人生の道を行く上で運んでいく荷物を、背負わせるようなことをしてはいけないとは思うのに、それは生きることへの執着心、欲望となって、冬弥の中で言葉に変換され、溢れることをやめられない。
「だから、……あの、ほんとに不躾なお願いにはなってしまうんですけど」
これはもしかしたら、本能という言葉に変換されてしまうものなのだろうか? できればそうであって欲しくはない。
けれど、冬弥自身がそれを定めることも難しい。判断を委ねるという傲慢さにも、相応の勇気は必要になるものだ。




