↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
12/27

音楽の箱

◯



 そのとき彼女は、あどけない少女の声を聴いたのだ。

「やあ、困ったな、困ったな。また沢へ出てしまった」

 言葉の字面ははっきりと困惑。しかしどういうわけか、その声は、……苦笑、という声や言葉の印象から推察される表情とは裏腹な、余裕のようなものを感じさせるのだ。

 彼女がそのとき、一瞬も迷わなかったと言えば嘘になる。

 彼女に必要なものは安定的な食料供給手段の獲得である。山は痩せ、彼女は(極めて不愉快かつ認め難いことではあるのだが)狩りが不得手だ。目的を果たそうとするならば、これはもう、どうしたって人間を騙くらかして供給路を構築するほかにない。そして人間を標的とするのであれば、まだ知恵の付いていない子供を選ぶのが最も容易い。

 しかし、あれは本当に子供なのか。

 茂みから顔を出した彼女は、……子供の姿を赤い瞳で捉えた。髪の長い女児、まだ人間の年齢で八歳とか九歳とかだろう、袖のないワンピース、麦わら帽子、日焼けした肌、こんな場所に子供が現れたことはこれまで一度もない。……本当に子供なのか。実見してなおそう思ったが、彼女が茂みの中で立てた音に、その少女は敏感にこちらを向いた。

「ねえ、誰かそこにいるのかい」

 姿を見られることはなかったようだが、彼女は反射的に覚悟を決めてしまった。

 ……あのとき、もうちょっと怪しんでいれば……。

 彼女はいまでも時々、そう考える。



◯



 冬弥は気詰まりな思いでおとといに続き今日も、南武に向かう電車に乗っていた。もっとも、時間としてはおとといよりもずいぶん遅い。夕方の上りの車内なのに、浅川に多くある大学で学び、遊び場所には南武を選ぶ学生たちで混んでいる。冬弥はドアの前の狭い空間で、小豆洗さんを圧迫しないように両手を付いて踏ん張って、しかし揺れるたびに彼女に身体のどこかしらが当たってしまう。

 小豆洗さんはそのたび、冬弥のことを怖い顔して赤い眼で睨むのである。

「ごめんなさい」

 小さな声で謝っても、無視されるのだけど。

 このしんどい時間、小豆洗さんは決して認めないし、そうであるからには冬弥も認めるわけにはいかないのだけれど、「デート」なのである。そう呼ぶのは白子さんであり、吊掛さんであり、つむぎちゃんである。ただ、小豆洗さんがどんなに不機嫌になろうと、責任の一端は小豆洗さんにあることは否定できない。

 おとといまで時計の針を戻す。

 冬弥は白子さんとデートをして、カラオケで膝枕をしてもらい、和やかな昼寝をするという経験をした。冬弥が寝ているあいだ、白子さんもちょっとうとうとしたと言ったのを聴いて、「一緒に寝ちゃった」という嬉しいような恥ずかしいような、刺激的な言葉になった。

 それを、偶然にも小豆洗さんに聴かれていたのである。

 小豆洗さんは動転して、このことを芋窪さんにチクった。

「寝ッ、寝っ、寝ぇッ……、不純異性交遊!」

 芋窪さんはパニックに陥り畳の上を転げ回ったすえ、縁側から庭に落ちたという。芋窪さんはすっぴんのときでもとても気品のある見た目をしているので、あまりそういうことはして欲しくないなと冬弥は思うのであるが、それはさておき。吊掛さんは「わしもそれぐらいしちゅうたがよかったが」なんて言い、つむぎちゃんは幼い容姿で「そんなに騒ぐようなことじゃない、二人ともそういう身体をしてるんだから」なんて冷静なコメントをし……。

 まあ、このままでは冬弥が可哀想だと思ってくれたらしい白子さんが、

「リーはめっちゃ紳士だった。紳士すぎて、あたしも一緒にスヤスヤ寝ちゃったんだから」

 と正確なところを(縁側から落ちた)芋窪さんにきちんと説明して、誤解を解いてくれたのであるが、彼女はこんなことも言ったらしいのだ。

「スイもさぁ、リーとデートして来ればいいよ。あの子がふっつーにピュアないい子だってわかりゃ、失礼な誤解もしねーだろ」

「おー、そりゃ名案がじゃ」

 即時に同調したのが吊掛さん。

「スイは男子とデートなんが一度もしちゅうないが」

「か、勝手なことを言うな! 誰があんな地味で線の細いひょろひょろの……」

「あまり失礼なことを申すでない。平入くんは父親思いのとっても良い子じゃ。今日も病院に行っておる」

 芋窪さんは(縁側によじ登りながら)そう言ってくれたようである。

「お父さんがご病気だと言っていたな。いや、あの子自身も身体は強くないのだ」

 これはつむぎちゃん。芋窪さんは(銀色の髪に付いた土を払いながら)「うむ」と頷く。

「あの子の瞳の煌めきを見よ。あれこそ純なる命の証。スイは失礼な誤解を平入くんにしたことを詫びる意味も込めて、なんとしても平入くんに楽しい時間をプレゼントせねばならぬ!」

 ……こういうやりとりがありました、というメッセージを吊掛さんからもらったのが昨日の夜。冬弥は一人の家で返信に困りながらも、あの五人が目の前で賑やかに会話しているような気持ちになって、嬉しく思った。かくして、半ば無理やりセッティングされたものではあるが、冬弥は吊掛さん・白子さんに続いて小豆洗さんとも「デート」をすることになったのであるが、この通り、まだまるで口を聞いてくれない。

 白い肌に、ボーイッシュなショートカットにして、片目にかかった黒髪、そしてとても印象的な赤い瞳をしている。ハッとするほどの美人なのだが、口数が少ないので「高嶺のギャルズ」の中では目立たない。大きな吊掛さん、元気な白子さんが他の生徒とのコミュニケーションを取ることは珍しくないし、芋窪さんは各部活で記録を打ち立てることで眩いほどの存在感を発揮しているが、小豆洗さんはそういうこともしない。だいたいいつも無表情で、不機嫌そうにしている人だ。

 南武駅でドアが開いた。

「降りるぞ」

 と言うのが、彼女が十五分ぶりに聴かせてくれた声である。十五分前に彼女が言ったのは、

「つむぎがお前を連れて行けと言うから連れて行くだけだ。俺の意思じゃない。だから俺に話しかけるな、余計な言葉を発するな。わかったか」

 という言葉で、……いやはや、どうしたものかという困惑の中に冬弥を突き落としてくれたのだった。

 とはいえ、冬弥は小豆洗さんに苦手意識を抱いてはいなかったし、この時間を楽しみにもしていたのだ。

 だって、彼女はライブに行く。今夜は冬弥を連れて行ってくれるのだ。他の四人にせっつかれて、冬弥のぶんのチケットも確保してくれたらしい。

 冬弥はライブというものに行ったことがない。

 夜に出歩く習慣はなく、そもそも高校生が一人で行っていいものか、チケットってどうやって買うんだろう、怖い人とかいたら嫌だな、……二の足を踏む材料がたくさんあった。もちろん音楽は大好きで、冬弥がDTMで作っているのは古典的なロックミュージックである。ライブで奏られる音楽って、だいたいそういう流れを汲んだものでしょう、という認識でいるもので、「いつかは」という気持ちはずっとあった。渡りに船ではあったのだ。

 陽の暮れかかった南武駅の雑踏を、小柄な小豆洗さんは臆することなくひょいひょいと抜けていく。

「あ、あの、小豆洗さん、ごはんとかはいいんですか」

 時刻は六時半を回ったところだ。小豆洗さんは振り返りもせず、

「必要ない」

 と冷たい声を発した。

「腹が減ったなら、ライブハウスで食え」

「ライブハウスって食べもの出してくれるものなんですね」

「全部のところが出すわけじゃないが」

 訊いたことには、一応ちゃんと答えてくれるようだ。

「へぇ……、やっぱり、たくさん行ってるからお詳しい」

 あ、今のは鼻につくお世辞だったかな、と思った。けれど小豆洗さんは冬弥を咎めることはせず、

「これから行くところには、カレーがある」

 と言った。

「カレー」

「スパイスから炒めて作った本格的なカレーだ。オーナーがそういうのが好きな男で、何年も前からこだわって出している。俺は晩飯はそれで済ませる」

「ライブハウスでカレーを……。じゃあ、僕もそれにしようかな……。あの、そういう、名物的な食べものを出してくれるライブハウスっていうのが結構あるんですか」

「多いわけじゃないが」

 声変わり前の少年のような声で、やや早口に、そして丁寧に、小豆洗さんは教えてくれる。冬弥にはずいぶん意外な気もしたが、そもそも根っこは優しい人なのかもしれない……、なんてことを考えた。そもそも、芋窪さんたちと一緒に暮らしている人(?)だという時点で、あまり捻くれていたり意地悪だったりということは考えづらい。

 今日の目的地、「スパイスホール」というライブハウスが見えてきた。雑居ビルの地下、といった印象で、それと知らなければ通り過ぎてしまうだろう。そこでライブが行われることをわずかに告げるのは、通りに出たイーゼル。貼り出されたA4サイズの紙に、

「愚者の流浪/ノイジーエレッファント/黄色 OPEN 18:30 PLAY 19:00」

 とどうやら今日出演するバンドの名前らしきものが小さく書かれているのみだ。

 重たい扉を、全身を使って小豆洗さんが開ける。中は暗く、思っていたよりだいぶ狭い。そして、食欲を刺激するスパイスの香りが漂ってきた。

 入ってすぐのカウンターで、

「黄色、小豆洗です、二枚」

 と告げて小豆洗さんがお財布を出す。冬弥が出す暇はなかった。最初にバンドの名を告げて、取り置いてもらった分のチケットを買う、するとそのバンドが少し潤う……、という仕組みなのだろう。

「スイちゃん」

 すれ違った女の人に、小豆洗さんが声を掛けられる。会社帰り、といった感じのおねえさんである。

「うす」

「一人じゃないなんてめずらしー。彼氏?」

「違います。ただ付いてきているだけですので、こいつには触れないでください」

「スイちゃん、この子スイちゃんの彼氏?」

 また別のところから、今度はスーツ姿のおじさん。

「違います」

「おい、スイちゃんが彼氏連れてきたってよ」

「えっマジ? スイちゃん彼氏いたの?」

「え、スイちゃん結婚するの?」

「本当ですか」

「断じて違います!」

 どうやら小豆洗さんは、このライブハウスではちょっとした有名人であるらしい。無論、その理由はわかる。きっとこのライブハウスがこの街に出来てから、一番多く足を運んでいるのがこの小豆洗さんなのだ。スパイスの香り漂うこの「ハコ」だけでなしに、きっと南武にある多くのライブハウスにおいて……。

 どこに何があるのかわからないなりに、カウンターの奥でカレーの鍋を掻き混ぜている人に「おいくらですか」と訊ねて、一杯買わせていただいた。その際に「ドリンクのチケットは?」と訊ねられ、入場の際にもらった小さな券片を差し出せば、これでドリンクが一杯無料になるという。ジンジャーエールをいただいて、「ハコ」の隅っこに設けられた小さなテーブルで味わっていたところに、

「こら平入ッ、貴様、どこへ行ったかと思えば……!」

 ほうほうの体の小豆洗さんがやって来た。

「いいんですか、来ちゃって。僕一緒にいないほうがいいと思って離れたんですけど」

「誤解をきちんと解くのがお前の仕事だろう! ああいうときは俺が一人であーだこーだ言ったところで余計怪しまれるばっかりだ、お前がきちんと、言うべきことを言ってだな……」

 言うべきこと……。

「『僕はおととい別の女の子と寝ました』とかでしょうか」

「……根に持っているのか」

「いえ、そういうわけではないですけど」

 冬弥は、甘くて、でも少し遅れて奥からスパイスがぴりりと効いてくる上質なチキンカレーを味わいながら笑った。

「戸惑ってるんですよ。だって、この間から不思議なことばっかりです。芋窪さんのおうちで皆さんと晩ごはん食べて、熊の吊掛さんと狐の白子さんとお風呂に入って、芋窪さんと一つ蚊帳の下で寝ました」

「一つ屋根の下みたいな言いかたをするんじゃない」

「でもって、吊掛さんにおんぶしてもらったり、白子さんと一緒に寝たり、いまは小豆洗さんとこうして一緒にいる……」

 独特な音を奏でる電車の中、レトロな喫茶店、そしてライブハウス。これまでの冬弥の人生には決してなかった光景。あることが予定になかった時間の中に、自分がいるような感覚がある。

 父は、芋窪さんと同じ教室で過ごした一年間と、父だけが学年が上がって卒業するまでの二年間、トータル三年間の高校生活で、芋窪さんたち四人と話をする機会はほとんどなかった。

 彼は、きっと悔しがっている、……あるいは惜しんでいる。息子の立場から見て、知っているからこそ、きっと自分も、遠くから見るだけだろうと想像していた。話しかけることなんて出来ないまま三年間を過ごすんだろうな、……まあ、つつがなく過ごせたらいいけどな、ぐらいに思っていたのである。

 何もしていない、たまたま、偶然、バイト先につむぎちゃんが来て、芋窪さんと出会った。運命、なんて大仰な言葉を用いようとは思わないが。

「……お前ばっかりずるいぞ。俺だって腹が減っていたんだ」

 小豆洗さんは早足でカレーを買いに行き、ドリンクを引き換え、……カウンターから「違います!」とまた声が聴こえてきた。

「小豆洗さんは、……吊掛さんや白子さんとは違うって聞きました」

 猫舌なのか、ふうふうふうふうして、なかなかスプーンを口に運ぼうとしない。そのすえに、ぱくんとやって、「あふはふほふ」となっている。

 けれど、

「……違う、とは。あいつらは熊と狐で、俺が妖怪であるという話か」

 声を低くして冷静に訊くという切り替えを、とても上手に小豆洗さんはする。

「その、ごめんなさい不勉強で、僕、『あずきあらい』っていう妖怪がどういうものかはよく知らな……存じ上げないんですけど」

 彼女は、フン、と鼻を鳴らして、

「別に、そんなに珍しい妖怪じゃない」

 と言った。

 小豆洗さん、つまり妖怪「小豆洗い」ご自身の説明によれば、

「……小豆洗いは日本全国にその伝承を残している。川沿いで小豆を研ぐ音や唄声で惹きつけて、寄りついた人間を川に落としてしまうんだ」

 とのこと。

 まあ、「妖怪」とされるぐらいなのだから、ある程度人間に害のある存在であることは想像していたが、なかなかである。

 冬弥は「小豆洗い」は知らなかったが、ケルピーなら知っている。これはスコットランドの悪い妖精で、馬の上半身と魚の下半身をしていて、やはり川沿いに現れる。馬だと思って背中に跨った人間を、そのまま水中に導いて溺死させてしまうのだ。

「つまり、水の恐ろしさに警鐘を鳴らす妖怪ってことですね」

 冬弥の言葉に、小豆洗さんは重々しく頷く。

 冬弥のマンションの近くに、浅川の支流が流れているが、川沿いの遊歩道には「増水時危険! 警報が鳴ったら近寄るな!」という古びた看板が、おどろおどろしいフォントに水の擬人化した怪物が子供の足を掴むイラストまで添えて立てられている。幼いころの冬弥はその看板が怖くて、学校の最短距離ながらその道は決して通らないと決めていた。

 そういう、子供を怖がらせるための概念が、かつては妖怪として実在したわけだ……。

「そういうことだ。ガキはほっとくと平気で水辺に来て、魚が見えたとか水面が光ったとかそういう理由で、……信じられんことに、いとも容易く水に踏み込んで、溺れ死ぬ。そういうことがあってはいけないから、小豆洗いの伝承が全国各地に広がったんだろうな」

 小豆洗さんがカレーを食べ終えたところで客席と同じ高さの演奏スペースに一番手のバンドのメンバーが出てきて、音を鳴らし始めた。いよいよライブが始まるのだ。

「えー、こんばんは。愚者の流浪です。今日は、黄色、呼んでくれてありがとうございます。さっき、ずっと昔から僕らのこと知ってくれてる女の子に、彼氏が出来たって知って、……え、そうなの? じゃあ、まあ、頑張ってやります。よろしくお願いします」

 一読点ごとに、何らかのリアクション、声が上がる。「彼氏が出来たって知って……」のところで「違うッ」と小豆洗さんが声を上げた。

 演奏が始まる。

 とてもとても大きくて、とてもとても激しくて、血が通っていて。熱いだけでなく冷たいところもあって、硬いところも柔らかいところもある。濡れていたり乾いていたり、半乾きだったり湿っぽかったり。

 リズムという規則と肌を重ねて悪戯っぽくキスをしたかと思えば、急に喧嘩を始めて、頭突きをし合う、血飛沫を飛ばして、でも次の瞬間にはその傷を舐め合って。

 アンプを通して響くベースやギターの尖った音、重たく突き上げるバスドラの一撃とハイハットの染みるような響き。

 頭と画面の中で鳴らす音とは全然違う。

 やっぱり、いい音を出したいな……、と冬弥は願う。バイトをして、お金を貯めて。作った曲で何が出来るかということではなくて、納得のいく曲を作るということで、刻み付けたい。

 こんなことを思って許されるのかわからないが、「愚者の流浪」というバンドのメンバー四人、全員三十代から四十代だろう。音楽一本でやっているのではなくて、他に仕事をしているのかもしれない。彼らがメディアの寵児となっている未来の到来を、冬弥は願う。そうであったら素敵だと思うし、彼らの音楽を好きだと思う、ふるえるほどに格好いいと思う。けれど同時に、難儀さを想像する。

 しかし勝手に勝手を重ねて想像するならば、彼らはそれでいいのだ。今ここにある音を、冬弥に刻み付けた。冬弥はきっとこの音を忘れないだろう。冬弥だけでなくこの場にいる人々は覚えているだろう。であるならば、彼らの音楽は痕跡となる。永遠となる。それこそ冬弥が願うものだ。冬弥の求めるものだ。

 冬弥にとっては「愚者の流浪」も、「ノイジーエレッファント」も、そして小豆洗さんのお目当てあるらしい(というのは、出番に合わせて彼女は最前列に寄りついた)「黄色」も、ひとしく理想の音楽、理想の表現、理想の姿だった。

 時間はあっという間に過ぎてしまった。小豆洗さんは「黄色」のメンバーであるお兄さんとお姉さんに対しても「違います!」と否定に忙しかった。さすがにお目当てさんたちに誤解されたままであるというのは可哀想で、

「あの、本当に違うんです。同じ学校で、僕、DTMやっていて、でもライブに来たことが一度もなかったので、小豆洗さんに頼み込んで連れてきてもらったんです」

 と、まあそう解釈されたとしても問題のないところを選んで言った。

「音楽作ってるんですか。……どんな?」

 多くの人の胸に響く音を指で足で喉で発した人は、机上の信号を作る冬弥に、社交辞令とも思われない興味を向けてくれる。のみならず、これこれこういう、と説明したら、

「タイトルとか、アカウント名は?」

 なんて言葉を返してくれた。

「ええと……、アカウントはそのまま苗字そのままHIRAIRIといいます。曲は、『音楽の箱』とか『ハレトケトケガレ』とか……」

 知られているはずがないような曲の、自作のタイトルを口にするのはだいぶ恥ずかしいものだという新鮮な体験を冬弥に強いた彼は、

「ああ」

 と冬弥の顔をまじまじと見た。

「そうか、思い出しました。プロフィールに、高校生って書いてありましたっけ」

 冬弥は大いに恐縮し、赤面する。

 誤解されては困るが、冬弥は別にその界隈で大きな存在ではない。だからこそ誰かに刻印し、そこまで行かなくとも痕跡となることを願う者である。謙虚さでなくそう思って生きている身としては、「黄色」の人の反応はとても嬉しく、なんだか、自分の生に一定の満足感を得そうになってしまった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。