ギャル史
凄味、という言葉を冬弥は知っている。知っているが、言葉の表すものを見たことはない気がする。例えば「The show must go on」を初めて、その背後事情を一つも知らずに聴いたときに感じた圧倒的な感情の動き! 男子高校生がそれを「凄味」なんて一言で意味付ける暴力が許されるのかどうかはさておき、目で見て感じたものではない。もちろん後になってオフィシャルのMVは見たけれど。
目の当たりにした「凄味」というのは、これが初めてかもしれない。根源的な命のやりとりレベルの申し出だと思った。三百年以上にわたってそういうことをしてきた白子さん、それでいて、なお飽かず、それを本気で楽しいと思って突き詰めてやって来ている白子さんの、命の一部に自分がならないかと言われているのだ。
はい、ぜひ、よろこんで!
と言えるほどの勇気は、冬弥にはなかった。もっともそれが発揮されたときには、誰の目にも明らかな「蛮勇」として映るだろう。
「あのっ……、あの、白子さんは、スケバンをなさっていたって聞きましたが」
だから冬弥は慌てて話を変えた。白子さんは頬杖からずるっとほっぺたを滑らせて、
「その、『スケバン』を『なさっていた』ってのはなんとかなんないかな……」
と顔を顰める。
「していらっしゃった……」
「いや、そういうもんじゃないからね?」
そもそも、「そういう人たちがいなさった」ということは知っているが、それもやはり、実物を見たことがない。
「要はヤンキーだよね、女子のヤンキー。番長っていうのも別に自分らで名乗ってたわけじゃないし」
「あの、お皿数えたりする……」
「それは番町皿屋敷な!」
五十年ぐらい前の高校には、そういう人たちがいらっしゃったそうなのである。
学校において、不良少年たちをまとめる人物のこと、「番長」とはもともと交代当番制で勤務にあたる人のリーダーをそう呼んだものだった。白子さんによれば、この「番長」というのが、基本的には「しごできの、あと腕っぷしの強いやつ」がなるものだった。
「そんで、女のそれがスケバン、スケの番長」
「スケとは……?」
「マジかぁ……」
スケは「助」と書くが、なぜそう書くかといえば、これは男性を「主」とするものに対応した表現である。
「ほら、映画で主演と助演ってあるでしょ」
……なるほど、男の番長に対して女性は「助の番長」が略して「スケバン」だということらしい。
そこまで理解に至ったところで、
「えー……」
という声が冬弥の口から漏れた。何だか、ずいぶん差別的というか、蔑視的な言い回しだな、なんて思ってしまったのである。男と女を対立のものとして捉えて、しかもどっちが上だとか言う、だいぶヤバい考えかたである。時代がそれを容認していたという事実についても、一応は視程に収めておくべきだろうが。
ふふっ、と白子さんは笑った。
「リーのそういうところはあたしすごく好きだよ。あんたの感覚は、あたしから見てもすごく正しいと思うしね」
白子さんたちは、……まあ元々が人間ではないので、喧嘩がとても強かった。特に吊掛さんが「大熊のエツコ」と恐れられていたのはすでに聴いた通り。
「よその街じゃ、義理も人情も道理ってもんもなっちゃいないバカどもが幅を利かせてたんだけど……」
不良文化が隆盛を極め、適当な場所に自転車なんて停めようものなら、勝手に盗んで走り出してしまうようなみなさまがたくさんいらっしゃったのだそうな。
どうしてそんなことをするのだ、と冬弥はまるで共感できない。
「でも、楓果がそういうのやめなよって、あいつはほら、こう……、ね、つむぎの母親やってるからってのもあって、おりこうさんなわけじゃん」
そのようなことをしてはならぬ。
……いや、学校では現代語で喋る芋窪さんではあるのだが、とにかく、神秘的な容姿の彼女からそう言われてしまったならば。
まして、芋窪さんのそばには「大熊のエツコ」がいるのである。
多少肝の据わった男であっても、「あ、なんか、はい、すんません……」と腰が引けてしまって当然であろう。そういえば学校でヤンキーの代表格と言えそうな村上も「芋窪さんこえーよ」と彼女たちには遠慮がある。
「そういうカルチャーがあってさ、ウチの学校には男の番長もいねーのに、スケバンをやらせていただいていたわけですけどぉ」
くすくす笑って、人差し指を立てる。
「こういうのは、リーはどう思う? あたしらがギャルやるようになってからさ、しばーらくしたころ、『ギャル男』ってのが出てきた。いまもそれっぽいファッションの子はいるけど」
確認である。「男/女」という序列付けで、男のを「主」とし、女を「助」として捉えたのが「スケバン」という言葉だ。男のほうが上位、男がメイン、女性は下位でサブで、主的存在である男を補佐するものである……、という位置付けがされていたことの現れだろう。
一方で、「ギャル」は本来的に女性を指す言葉である。それに直接対応した言葉ではないことに注意が必要だが、アメリカ西海岸的な小麦色の肌への憧憬から日焼けサロンに通ったり、髪を脱色したり、サーファー系ファッションに身を固めたり、……そこから発展し、日本独自のファッション観を確立したという点では、やはり「ギャル」の派生したものとして見てもいいかもしれない。
この場合、「ギャル/ギャル男」の関係はどうなるのか。
「言葉で見ると、……いまの感覚では変だなって思うかもしれないけど、逆にその『変さ』も味じゃん?」
そう言って、白子さんは店内を見まわした。
レトロ……、という言葉で括るのも、ひょっとしたら乱暴すぎるのかもしれない。作られた年代が同じというだけで「レトロ」の棚に置かれることになってしまうのだとして、では、「レトロ」の要件とはなんだろう? 銀色のお皿に盛られたナポリタンはレトロだと思ったけれど、それは無限にある要素の一つをわかりやすい形で抽出してお皿に盛り付けただけのことだ。言葉で括り切れるという考えはちょっと傲慢で、でも白子さんはその言葉の中に自分がいて、いまという位置から振り返って懐かしく思うということを、好意的にしている。
長い時間を「ギャル」として過ごしている白子さんに、冬弥はこんな質問を向けてみた。
「三十年後の白子さんたちは、どんな女子高生をなさっていると思いますか?」
白子さんはきょとんとする。そのときの表情は、肉体の年齢よりももっとあどけなくなった。彼女は「んー……?」と考え込んで、
「どうかなぁ……。わっかんねーからな流行りって。とんでもないの流行ったりするしなぁ……」
「まあ、ヤマンバギャルってほんとすごいですよね……」
「ねー今思うと『やり過ぎだろ』って思うけど……。んー三十年後……、宇宙人とかかなぁ」
「宇宙人?」
「いやわかんないけどさ。それぐらい経ったら、結構来てそうじゃん宇宙人も。だから、宇宙からとんでもないファッションが持ち込まれてさ、『いま銀色の全身タイツがナウい!』みたいになってるかもしれないじゃん」
「う、宇宙人の例えが古風すぎませんか」
「まーね、人間と同じような身体してるって思うのも、人間を中心に考えすぎてるよなぁ」
白子さんは、ケラケラと笑った。本質は狐であり、狐の身体を別に不便だとも思っていないらしい白子さんである。
「したら、そろそろ出るか。……どうする? マジで、リーが行ってみたいなら……」
白子さんが本気で言っているのか、揶揄っているのか、冬弥には判別することができなかった。白子さんの喜びがそこにあって、冬弥がそれを提供できると彼女は言うのかもしれない。
一方で、冬弥も健康かどうかはさておき一人の男子高校生として、そうしたものに興味がないわけではもちろんない。先日芋窪さんの邸のお風呂で、吊掛さんと白子さんの肌を見てしまって、それは相当に深く胸というか網膜というかに刻み込まれている……。
しかし、そういうわけにはいかない気がした。怖いというのではないし、白子さんが魅力的ではないと言うつもりもない。けれども、どこまでいってもそれは、芋窪さんの言う通り「火遊び」である。冬弥が火傷させることになったとして、…… 冬弥が白子さんのためにしてあげられることなんて、何一つとしてないのだ。
「じゃー、カラオケでも行く?」
あんまりに冬弥が真剣に考え込んでしまったからだろう、白子さんはそんな助け舟を出してくれた。伝票を、ひょいと摘み上げた彼女が「マスターごちそうさまぁ」とさっさと支払いを済ませてしまう。ナポリタンとクリームソーダが幾らであったかは、メニューに載っているのでもちろん知っている。
「ま、気にすんな。おばーちゃんに払わせとけ、それもおばーちゃん孝行だからね」
そう言って、白子さんはまた指を絡めて繋ぐ。たちまち冬弥は、何も言えなくなってしまった。
そして、カラオケだったら安心だというわけでもないのである。二人きり、喫茶店のように空間的な広がりのない密室、
「んーな固くなんなって」
ぽんぽん、と髪を撫でられた。
よく、これをやられて嫌がる女性の話は聞く。思うに冬弥が、「高嶺のおばあちゃんたち」以外の女子にこれをされたら、子供扱いにムッとしそうなところではあるが、事実として白子さんたちから見ればお子さま、ひよっこと位置付けられることは避けられないのだ。
「だいじょーぶだよ、取って食いやしないし。……っつーかあんまリーに変なことしたらあたしがあいつらに食われちまうんだわ」
白子さんの念頭に置かれているのは、吊掛さんと芋窪さんだろう。
「ほれ」
ひょい、と撫でていた手が側頭に回されて、ちょっと引っ張られた。容易く、ぺちゃ、と「枕」に頭が落ちて、
「ピャ」
みたいな声が出てしまった。
冬弥の頭が落ちたのは、白子さんの太腿であったので。
さすがに冷静ではいられない。
「あっ、あっあのっのっのっこういうのはっ、こういうのはですね、カラオケではこういうのは、してしまうといけないとてもっ」
「大丈夫だってなんもしないから。そもそもこれぐらいじゃ何も言われんて。……そうじゃなくってさ、あたしはねリー、あんたにお昼寝をして欲しいんだ」
耳に、手が当てられる。
「あんた身体強くないんでしょ」
言葉は、冬弥の中に静かに優しく、挿し込まれた。痛くない角度で、ゆっくりと。
「答えなくてもわかるよ、目ぇ閉じて。あたしたちはさ、長く生きてる、たっくさんの人間を見てるわけだ、いろんな人間を見てきたわけ。だから、だいたいわかるんだよ、……もちろん、具体的にどこがどう悪いみたいなのまではわかんないけど」
吊掛さんが、日差しを気にしていた。おぶってくれたのはきっと「ショートカット」のためだけではなく、冬弥の身体を慮ってくれたのだろう。
「信じるかどうかはリー次第だけど、ホテルもさ、別にそういうことすんじゃなくて、あんたにお昼寝させてあげようと思ったんだよ。ホテルには結構広いお風呂もあるわけで、ゆっくり温まって、広いベッドで昼寝して。……今年もさ、やっぱり夏は暑い、あたしらの身体にだって堪える。あんたも相当辛いっしょ」
女子のふともも……!
ひんやりとして、引き締まりながらも柔らかさが感じられて、すべすべで……。あまり意識しないようにしているのだけれど、なんとなく、淡く甘いような、いい馨りがする。夏の日に外を歩いて、冬弥は結構な汗をかいたはずだ、……それなのに白子さんはちっとも嫌がっている様子はない。きっとべたついているに違いない髪を、躊躇いを感じさせない手のひらが撫ぜる。
尋常ならざる状況にありながらも、冬弥は自分の肉体と精神が、いわゆるところの「興奮」とは逆の方向に傾いているのを感じていた。芋窪さんの聴かせてくれた子守唄を聴いたときのような、……不思議に安らぐ感覚がある。
「そんで、DTMっつーんだっけ、あんた音楽作ってんでしょ? 夜遅くまで。……おばーちゃんあんまり感心しないなぁ、やっぱり夜はゆっくり寝なきゃだし、なんならこうやって昼寝したっていい、夏の間は特にね。身体に知らんうちに疲れ溜まっちゃうわけでさ……」
ホテルに行こうという誘いに、臆さずに「はい」と言えばよかった。そもそも、白子さんが姓にするほど好きなものがあったとして、……その、ええと、味の好みとかだってあるわけでしょう、きっと。長い長い年月でたっくさんの人を見てきた白子さんのお眼鏡に自分なんかが叶っていると思うなんて、それは相当に恥ずかしい話で……。
「おやすみ、リー」
その言葉に、答えることはできなかったはずだ。柔らかな曲線に身を委ねているうちに、冬弥は眠りに抱擁されるような気持ちになる。それはまるで、自分より少し小さな白子さんに身体を隅々まで包み込まれているかのようで。
眠りに落ちていた時間は、せいぜい二十分かそこらだっただろう。しかし起きたときには頭がスッキリして、身体の底、特にふくらはぎ周辺に十五年分溜まった疲れがいくらか楽になったかのような感覚があった。
すみません、ありがとうございました、と言った冬弥に、にーっと笑った白子さんは、
「じゃー、せっかく来たんだから唄うべ」
と操作端末をテーブルに置いた。
白子さんはたくさんの曲を知っていた。それこそ、六十年代、七十年代からごく最近の曲まで。
「その気になれば、ランキングが始まってから今年までで一位取った曲ぜんぶ唄えるよ」
唄も上手で、また滑舌もよく、聴いていると元気になってくるようだった。芋窪さんの子守唄とはまた違う、ポップスやロックのボーカルのキモを押さえている唄いかたである。
冬弥も何曲か唄ったが、
「……音楽作ってんのにねぇ……」
という白子さんの感想が全てを物語っていたと思う。楽器は弾けないし唄も下手、譜面も、一応読めるけれど、というレベルなのが、冬弥の音楽的な実力、現在位置。今後というものがもしあったとして、そう高いところまでは至らないだろうなという想像するときの根拠である。
しかし、とても「デート」らしい時間を過ごしたのだ。カラオケを出て、また手を繋いだ、……膝枕をしてもらった後であれば、さすがにもう、それほど緊張はしない。
「昼寝っていいだろ」
もう陽の沈みかかった商店街を、南武駅に向かって歩きながら、白子さんが言う。
「はい、とっても」
「さっきさ、あたしもちょっと寝ちゃったんだ。よだれ垂れそうになってあぶねってなった。下にリーの顔があんのに。やばかった」
ということは。
勇気を出して、冬弥的には一番過激な言葉を選ぶ。
「……じゃあ、僕たちは一緒に寝ちゃったんですね」
言ってみて、頬が熱くなる。
白子さんは、とっても嬉しそうににぃっと笑って、
「そうだね、あたしら一緒に寝ちゃったんだ」
と言い返した。
「白子さん、もう芋窪さんのこととやかく言えないですよ」
「ほんとだねー。ひひ、あたしも、リーと寝ちゃったんだ!」
無邪気で無垢な時間を共有したことは、繋いだ手の中に閉じ込めておくには、くすぐったい秘密だ。きっとまた別の「寝かた」もあるのだろうけれど、いまの自分には、きっと一番相応しい、……だからこんなにも嬉しい気持ちになるんだろうと、冬弥はいつもより元気な夕方に、思わずにはいられなかった。
しかし、この言葉の後ろ半分だけを偶然耳にした人(?)がいたのである。
彼女はちょうど、バンドのライブを観るために、浅川から南武まで出てきたところだった。南武にはライブハウスが何軒もあり、浅川にはないので、ライブを観たいと思ったらどうしたって南武まで出てこなければいけないのである。
だから、彼女がそこにいたことには、きちんと妥当な理由があるし、知った顔が手を繋いで歩きながら「一緒に寝ちゃった」なんて言っているのを聞けば、
「な……、なんだと……。寝た……、寝たって、そんな破廉恥な……!」
慄然とし、ポケットからスマートフォンを取り出した小豆洗さんが芋窪さんにチクったとしても、何の不思議もないことなのだった。




