ギャル学
縁に美しい装飾のされた楕円のプレートは、鈍く光る銀色だ。その上に、こんもりと高さを演出して盛り付けられているのは、目にも鮮やかな太いパスタ。
しかし、色合いは決して画一的ではない。ピーマンの緑色ははっきりと自己主張するし、斜めにスライスされたソーセージ、きちんとそこにいることを見出してあげなければいけない玉ねぎなどもきちんと覗ける。
「リー、これ」
向かいに座った白子さんが腰を浮かせて身を乗り出す。手にはハンカチがあって、彼女はひょいと冬弥のシャツの襟元にそれを差し込む。
「白い服で来ちゃったから、ハネないようにね」
「あ、……あ、ありがとうございます」
白子さんのキャミソールだって白いのだ。そして胸元は、冬弥のボタンシャツなどとは比べものにならないほど開いていて、危なっかしい。それを一瞬でも視界の隅に入れてしまったことを隠すために、お礼を言いながら俯いた冬弥に、
「どーいたしまして。じゃー食べよ」
白子さんは銀色のフォークを手に取った。
ここは浅川から東京方面に十二分の南武駅近く、「メロディ」という喫茶店である。ドアを開ける時にはカランカランとベルが鳴り、カウンターではおじいさんが文庫本を読みながらコーヒーを楽しんでいた。カウンターの中には「マスター」と呼びたいような痩せて口髭を蓄えた紳士がいて、白いクロスでカップを拭いている。ぎりぎり「薄暗い」とは言えない程度の、でもかなり抑えられた照明の店内には、おじさんが多い。壁の本棚には、昔の少年漫画がずらりと並んでいた。
カフェ連れてってあげる。
吊掛さんに続いて、冬弥をデートに誘ってくれた白子さんは今日、待ち合わせるなりそう言った。曰く、「いまの趣味はカフェ巡り」なのだそうで、しばしば街に出て、あっちこっちのカフェを巡りお気に入りの店を見付けるのが楽しいのだそう。
「エツコは、あのガーガーうるさい電車が好きでしょ。んで、スイはしょっちゅうライブハウス行ってる」
小豆洗さん、ただ聴くだけではなく、ライブハウスに行って浴びてくるというのは、筋金入りと言っていい。
「楓果は、だいたい家にいるかなぁ、あいつ引き篭もりなんだよね。一人じゃ電車も乗れないしさ」
「吊掛さんもそう言ってました。……やっぱり機械が怖いんでしょうか」
「まーねぇ……。あとはまあ、つむぎは見た目がまんまこどもだから、一人でフラフラしてんのは危ないって家にいさせてるのもある……」
一方で心配されているつむぎちゃんは、芋窪さんの姿が見えなくなると「迷子のお呼び出し」という大胆な行動に出るのである。事実としてつむぎちゃんは四人を送り出したあと、案外自由に外をぶらついていることもあるそうだ。
「まあ、悠々自適だよね。この歳になるとさ。やりたいことだけやって、でもそれだけだとつまんねーから学校行って……」
四十年間勤め上げた会社を辞めて、これからは好きな盆栽でも楽しもうと思っとります……、みたいな言葉を発しているのは、ピンク色の髪をツインテールにしたギャルなのである。
向き合ってナポリタンを食べ始めて、ようやく冬弥は白子さんとまともに話せるようになった。喫茶店のナポリタンは、はっきりと主張するケチャップの味の奥に、何か深みのようなものが感じられる。麺はとてもやわらかいのだが、それはメリハリのなさとは違う。生まれてこのかたアルデンテしか知らない若者に、選択肢を提示する豊かな味わいだ。
ここに来るまでの間、冬弥はずっと白子さんと手を繋いでいた。それも、ただ握りあっていたのではなく、指を絡めて……、これはつまり、恋人繋ぎである。彼女は平然と「だってデートだから普通っしょ」などと言ったし、考えてみれば吊掛さんにはおんぶをしてもらったに等しいのだが、それでも緊張した。
どうしても手のひらに滲む汗を鬱陶しがられやしないかと心配していたのだが、電車を待つホーム、電車の中、そして南武駅に着いてこの喫茶店で席に着くまでずっと、彼女は冬弥の手を離さなかった。いまやっと人心地ついているところなのだ。
ナポリタンはとても柔らかく、ケチャップの味が効いていて、こういう類のパスタは初めて食べるが「懐かしい」なんて感想が浮かんでくる。いや、これは「パスタ」ではなくて、スパゲッティと呼ぶべきなのだろう。レトロな店内には、たぶん冬弥が生まれる前のアイドルの歌が流れている。
食後に飲みものが運ばれてきた。髭のダンディなマスターだけど、持ってきたのはクリームソーダである。鮮やかな緑色と白子さんの色彩とが起こす、甘いハレーション。光量の少ない店内で、そこだけ随分眩しい。
「ちょっと、意外な気がしました。その……」
少し声をひそめて、冬弥は言った。ちゅー、とストローでメロンソーダを吸って、白子さんはにぃっと笑う。
「もうちょっと、スッイーツな感じの想像してた?」
「正直に言うと、はい」
纏う記号で人を判断するべきではないが、この時代にフィットした容姿であり振る舞いである白子さんが好みそうな店ではない気がするのだ。
「まー、言うてね、あたしもおばーちゃんですからね。舌の好みっつーのかな、……一番新しいもんが常に一番いいってわけじゃーないじゃん? 食べものとかもそうでさ」
女子高生をやり始めて、白子さんは流行のものは一通り手を出すことを自らに義務付けてきたそうだ。「だってさ、せっかく人間やってんだ、JKやってんだったらさ、もったいないじゃん」ということで。
「ティラミス、ナタデココでしょ、原宿行ってクレープは食いまくったし、あーあとリーは知らないかもしれないけどタピオカってこの間のブームは二回目だからね、一回目があったの。でも結構、最近のほうが流行り廃り激しいよねやっぱ。みんなすごい敏感になってるし、そのぶん飽きられやすくなってる。メイクもそうだしさ。ヤマンバっつってもリーはわかんないか」
「なんか、聞いたことはあります。真っ黒にしちゃうんですよね」
「そうそう、日サロ行って焼いて、そんで、リップとかは白系」
こんなの、とスマートフォンで見せてもらったのは、自身も若者ながら「若気の至り」なんて言葉が思い浮かびそうな奇抜きわまりないメイクをした女性たちの姿だ。
しかし、白子さんはこんな解説を施してくれた。
「これって結局さ、海の向こうの文化の影響なんだよね」
「え、そうなんですか」
「サーファーとか、海のカルチャー。そういうのに憧れて、日焼けしてさ、小麦色の肌が映えるように、白系のリップでね」
ギャルの歴史と共に歩んできたギャルの言うことだ、白子さんは文字通り証人である。
「いまはもうみーんな美白でしょ、でもこういうこんがりした肌に対して『いいな』って思うのが昔はもっとあって」
家の押し入れに、父が冬弥ぐらいのころに買ったらしいCDが仕舞われていた。確かに当時は、当時なりのギャルスタイルなのだろう、メッシュを入れた髪、こんがりと日焼けした生足、というスタイルの女性シンガーがいたようだ。
いまそういう人がいたら、限定的な「そういう枠」にされちゃうだろうな、なんて想像を、冬弥はする。そう言う意味では当時のほうが豊かな多様性があったのかもしれない。
「今より選べる世の中だったかもしれないよねぇ」
「選べる……?」
「あたしたちも、男の子もさ。リーはどっちがいい? やっぱ色の白い子のほうがいいか」
吊掛さんは健康的に日焼けしていた、芋窪さんも銀色の髪に小麦色の肌、これはつむぎちゃんも同様。小豆洗さんは色白、そして白子さんも日焼けはしていない。「ちなみにスイは生まれつき日焼けしないの、あたしはいまは日焼け止めばっちり塗ってる」と白子さんが追加情報をくれる。
「余談だけど、楓果は昔からあたしの着せ替え人形やってくれててさ。『好きにせよ』って言うから好きにさせてもらってんの。ちょっと前は髪めっちゃ盛ったりとかしてたし」
ギャルとしての芋窪さんには、なんとなく違和感があった。彼女の内面に少しでも触れてみたなら、自発的にあんなメイクやネイルをするようなタイプではないということは想像できる。
なるほど、「スタイリスト」がいたのだ。
「可愛く仕上がってると思うんだよね。あいつ上背もあるからさ、映えるんだよね」
それは、確かに。
「え、じゃあ芋窪さんもヤマンバを……?」
「やってたやってた。髪も元々ああいう色だし、ちょうどいい小麦色だから。あ、あたしが言ったって言わないでね、『どうかしておった』って後悔してるみたいだから」
それは、まあ……。
……それにしても、「選ぶ」なんてことは考えたことがなかった。自分にそんな資格があるなどとは、これっぽっちも。
「考えたこともありませんでした……」
冬弥は、そういうことを自分の身に重ねて想像したことが一度もないのだ。でも、こう言わなければいけない、とは思ったので、慌てて口に乗せる。
「でも、僕はあの、みなさんとっても魅力的なかたたちだと思っています。このあいだ、一緒にごはん食べたのも嬉しかったですし、吊掛さんとおでかけ出来たのも、こうしていま、白子さんと一緒に過ごせているのも、とても嬉しくて、それはつまり、みなさんが色の違いとかではなくて、本当に素敵だと思うからで……」
冬弥の言葉を受けて、数秒、白子さんはぽかんとした。
それから一分近く、椅子の上で身を捩らせて笑い転げて、
「リーまじめ……、まじめかぁ……」
涙を拭いながら、そう言った。
「そう……、なんでしょうか……」
「まー、リーが特別なんだろうね。他の……、学校の連中とかは、昔と変わんないわ、男子は頭の中ヤリたいことばっか、女子はおしゃれが大半……、それもそれでいいけどねぇ、でも、あんたみたいなのも新鮮でいいよ」
白子さんはさらりとラディカルな言葉を使う。見た目と相反する年齢だからそういうことが言える……、のではない。学校でも、耳を澄ませればそういう話題は幾らだって飛び交ってくる。島の口からでさえ、そういう話が出ることはあるほどだ。
ただ、冬弥があまり興味を示さないので(逆に、冬弥の口からはすぐにDTMの話が出てきてしまい、島を興醒めさせる)二人がそういう話題を取り扱うことは稀であった。
「あたしは、そういうのの中で生きてきたからなぁ……。電車乗りに行ったってことは、エツコの苗字の由来は聞いたんだよね?」
吊り掛け駆動方式のモーターの音に惹かれて、だから「吊掛」にした、とのこと。
好きなものを由来にしたのである。
さてそこで、冬弥はあることに気付いた。小豆洗さんは、なんでも正体は妖怪「あずきあらい」だそうなので、小豆洗姓を名乗っているとのこと。
では、芋窪さんは……? 芋の窪……? ただこれは、彼女がもともと樹霊として宿っていた樹のあった山が「芋窪山」と呼ばれていたことに由来するそう。
であるならば、白子さん、目の前の女性。
こうして見ると、賢さを感じさせるアーモンドアイの奥に優しさの光が覗ける、お化粧も手伝ってとても垢抜けた顔立ち。
失礼ながら、尿酸値は大丈夫なのだろうか……?
「あの、白子さんの苗字は……」
白子さんはニヤーと笑った。
女子高生の浮かべられる表情の域を超えていて、冬弥は心臓の一部分がちくりと痛むように感じられる。
ちゅー、とヴァニラアイスが溶けて白濁したクリームソーダをストローで吸い上げて、唇をペロリと舐めて、白子さんは言った。
「あたしはさ、昔から、男が好きだったんだよねぇ」
その長い睫毛の向こうの目にある光は、冬弥にはとても手に負えない。
「昔っていうのは、エツコと会う前からってことね。身体がこうなってから。狐だったころはあたしもリーと同じで興味なかったんだけどさ、せっかく人間になったんなら、人間として楽しいことをいっぱいしなきゃ損だと思ってさぁ」
江戸の街でエツコさんと出会ったとき、白子エマさんは見た目の通り、人間の世の中を遊女として跳梁していたそうである。もっとも、吉原で本職のそうした方たちに混じるのは「あたしは、不自由すんのは嫌だから」と、近くで良さそうな街男に声をかけて、もちろん金を取って……。
「化かしたりなんてしてないからね。あたしはそこは、ちゃんとさ、お金もらうわけだし、そもそもそういうことをすること自体が目的だったわけでさ。まー、あたしもあの頃ぁ若かったからねぇ、羽目を外しちまって、厄介な目に遭ったことも二度や三度じゃなかったけどサ」
当時のことを懐かしげに語るとき、白子さんの口調はどこかしら蓮っ葉で気風の良さを感じさせるものとなるのだった。
「……その、っていうことは、あの、つまり……」
冬弥は緊張しながら訊く。
白子さんはたっぷりと焦らした末に、深く頷いた。
「エツコが『吊掛』を名乗るようになって、ああいいねぇ、それならあたしも何か名乗ろうかなって思ったはいいんだけど、流石にサ、あたしも、そのものズバリを名乗ろうたぁ思わないわけよ。幾ら何でもねぇ、そいつぁ出しすぎってもんだ。奥ゆかしさってのがなきゃいけないよ。だから、無い知恵を絞って、ズバリじゃなくて、それっぽいものはないもんかと思って、ある日市場の……、豊洲じゃあないよ、あんなとこ江戸の時分にゃまだ海だったんだから。あのころは日本橋の魚河岸があってねぇ、そのあたりをぶらついて、まあ、顔馴染みの『常連サン』が何人もいて、今日はこの色の黒い鰻を食らおうかそれとも眼光鋭い太刀魚もいいななんて品定めしてるとこに、そう、ちょうどリー、あんたみたいな可愛い顔した坊やが、こう声を掛けて来たんだよ」
そこのお姐さん、とってもいいのが入ってますよ、今朝松前から届いたばっかりの塩鱈です。
当時、江戸でも白子は食べられていた。もっとも、今のように流通の発展した時代ではない。塩蔵された鱈に付随する形でやはり塩漬けにされた白子が売られ、珍味の汁物、焼物として愛食されていたらしい。
「その子がまあ、瑞々しい、新鮮な可愛い子だったもんでねぇ、でもって、白子も美味しかった……、ってなもんで、あたしは自分の苗字を『白子』にしようって思ったってわけ」
恐らくはこれが江戸的な語り口調なのではないだろう。ただ、滑稽な艶話として白子さんが仕立てた結果、どことなく落語のような耳触りを冬弥に感じさせるのだ。白子さんに「食べられた」という市場の少年が本当に自分に似ていたかはさておき、冬弥としては何とも落ち着かない気持ちにさせられた。
長い年月で研かれてこうなったのか、それとももともと、白子さんにはそういう魔性のようなものが備わっているのか……、冬弥には判然としない。
笑うと、明るく澄んだ声も相俟って、周囲にぱっと花が咲く。教室後方高嶺のギャルズが目を引くのは、芋窪さんの纏う神秘的な雰囲気、吊掛さんの規格外な存在感や小豆洗さんの放つ緊張感以上に、やはり白子さんが醸す「陽」あるいは「天」の空気感によるところが大きい気がする。
「リー、どうする?」
頬杖を付いて、白子さんは訊く。
「リーがよければ、あたしは全然構わないんだよ? ここ出たら、しちゃおうか、……火遊び」
彼女はその視線だけで、冬弥の心拍数をコントロールできるのかもしれない。
危険な人だ。




