第7話「街じゅうが浮き足立つ、その前に」
建国祭が近づくと、王都はそわそわと落ち着きをなくす。
大通りには色とりどりの旗が張り渡され、広場には祭りの櫓が組まれていく。菓子屋も酒場もいつもの倍は忙しそうだ。その浮ついた空気は坂を転がるように、路地の底の錆び横丁まで流れ込んでくる。
そして街が浮き足立つということは、壊れた魔導具がいっせいに私の店へ押し寄せてくるということでもあった。
祭りの日にはどの家も一張羅の魔導具を引っぱり出す。祭りの灯りをともす吊りランプ、ごちそうを作る魔導コンロ、よそ行きの魔導時計。ふだんは仕舞い込まれているそれらが、いざ出してみたら動かない。そんな悲鳴が朝から絶えなかった。
「リーゼさん、うちのランプ!」「次、あたしの時計!」
店先には行列ができ、私は作業台にかじりついた。次から次へと機構をひらいては閉じ、魔石を替えては磨いていく。傾いた時計の針を起こし、火の点かないコンロの詰まりを通し、蝶番のゆるんだランプの笠を締め直す。
一つひとつは小さな仕事だ。けれど小さな仕事が十も二十も積み重なると、指の関節が悲鳴を上げはじめる。ピコは受け取りと引き渡しの仕分けに走り回っている。
「これ、パン屋のベルクさんのー」「次、井戸端のおばちゃんのー」と声を張り上げていた。それでも間に合わない。
昼飯を食べる間も惜しくて、私は乾いたパンの端を片手でかじりながら、もう片方の手で鑷子を動かし続けた。指先が油で黒く染まり、こめかみに汗が滲む。細かなねじを回すたび、親指の付け根が鈍く疼き、関節がぎしぎしと軋む。
それでも途切れなく差し出される「これも頼むよ」の声が、不思議と私の背中を押した。この路地じゅうの祭りの支度が、今は私の指先ひとつにかかっている。そう思えば、くたびれた手にもう一度、力がこもった。
昼をだいぶ過ぎたころ、一人のおかみさんが、古びた吊りランプを抱えて入ってきた。祭りの夜、家の軒先に吊るして灯すのだという。私はランプを受け取り、魔石座を覗き込んだ——そのとき、ふいに指先が止まった。
軒先に、無数の灯りが連なって揺れる光景。大広間の高い天井から、幾千もの光の粒が降りそそぐ、あの眩さ。祭りの灯り、と胸に浮かべるだけで、なぜか奥のほうがきゅっと縮んだ。
ずいぶん前のことのはずなのに、まるで昨日のことみたいに。私は小さく息を吸って、その感覚を胸の底へ押し戻した。今は目の前のランプだ。
この人の祭りの夜を暗いままにはできない。
「……はい、直りました。魔石も替えておきましたから、朝まで保ちますよ」
努めて明るく言うと、おかみさんは礼を言って、ほくほくと帰っていった。私はランプの余韻を振り払うように、次の依頼へ手を伸ばした。忙しいのはありがたい。手を動かしていれば、余計なことを考えずにすむ。
夕方、ようやく行列が途切れたころ、店の戸口にでっぷりとした人影が立ちふさがった。
「精が出るねえ、お嬢ちゃん」
乾物屋の女主人、ダリア婆さんだった。この錆び横丁の大家であり、路地じゅうの揉め事から祭りの寄合まで仕切る、押しも押されもせぬ顔役。腕を組んで戸口に仁王立ちする姿は、そのへんの男よりよほど貫禄がある。
私が店を借りているのも、もとはといえばこの人がうなずいてくれたからだった。
「今月の店賃は、ちゃんとためときな。祭りだからって、浮かれて負けてやるんじゃないよ」
ダリア婆さんはそう言いながら、抱えていた麻袋をどさりと作業台の脇に置いた。中を覗くと、干した豆と塩漬けの魚、乾かした果実。店賃の話をしに来たにしては、ずいぶんな差し入れだ。
「あんた、顔が真っ青じゃないか。よそ様の道具ばっかり直して、自分がぶっ倒れたら世話ないよ。ちっとは飯を食いな」
口は悪いが言っていることは、まっとうな心配だった。私が礼を言おうとすると、婆さんは「礼はいらない。あたしはこの横丁のもんが元気でいてくれりゃ、それでいいのさ」とぴしゃりと遮った。
よそ者の私を、この人は甘やかしもしないが突き放しもしない。妙な塩梅の距離で、いつのまにか気にかけてくれている。
「この路地はねえ、みんな、どこかしら欠けたもんの集まりさ」
婆さんは店の奥で油まみれになっているピコをちらりと見やって、そう言った。行き場のない子ども、訳ありのよそ者、しくじった職人。まっとうな表通りからこぼれ落ちた者がここへ流れ着く。
だからこそ、あたしはこの横丁を誰にも踏み荒らさせない。そう言い切る声には、ただの世話焼きではない、腹の据わった重みがあった。この人自身、きっと何かを抱えて、ここへ流れ着いたのだろう。
それ以上は聞かなかった。誰にでも話したくない過去のひとつやふたつはある。
「祭りの晩は、この路地も賑わうよ。あんたも、たまには表に出て、灯りでも見上げてごらん」
灯りでも見上げて、という言葉に、私の指がまたかすかに強張った。婆さんはそれには気づかぬふうで、麻袋を顎でしゃくると、「じゃあね」と背を向けた。乾物屋の暖簾の向こうへ、その大きな背中が消えていく。
私は差し入れの豆を一粒つまんで口に放り込んだ。塩気が舌の上でゆっくり溶けていく。祭りの灯り。見上げれば、きっときれいなのだろう。それでも私はあの光の下に立つ自分をまだうまく思い描けなかった。棚の奥のオルゴールが、いつもより少しだけ、遠く感じた夕暮れだった。
次話:「叩けない扉が隣にある」




