第6話「油まみれのしっちゃかめっちゃか」
自慢ではないが私はたいていのものを直せる。——そう思い上がっていた自分を、その日、心の底から反省することになった。
持ち込まれたのは、石鹸屋のおかみさんが使う魔導撹拌機だった。大きな樽に張った油を羽根つきの棒でぐるぐるかき回して、石鹸のもとを練る道具。その動力の部分——魔石を仕込んだ握り拳ほどの機構が、回らなくなったのだという。
「これがないと、こねる作業が全部手でね。腕がもげちまうよ」
おかみさんはそう言って、腰を叩いた。私は機構を預かり、作業台でさっそく分解にかかった。握りの部分の蓋を外すと、油まみれの歯車がいくつも詰まっている。
石鹸づくりの油を毎日かき回す道具だから、機構の隅々まで油が染み込んで埃と固まっていた。まずはこれを溶き油で洗い、一枚ずつ歯を確かめていく。
原因はすぐに知れた。歯車のかみ合わせがずれて、二枚の歯が欠けかけている。それと魔石の弱り。
長く使えば、動力の石は少しずつ痩せていく。私は欠けた歯車を手持ちの合うものに替え、かみ合わせを調え直した。魔石も新しく、上等なものに交換する。
羽根を指で回すと、以前より滑らかに抵抗なく回った。ここまでは我ながら文句のない仕事だった。問題はそのあとだ。
直った機構を試すのに、ちょうど手元に、部品洗い用の油を張った桶があった。私は撹拌機の羽根を桶にひたし、動力を入れてみた。よく回る。うん、いい調子。もう少し力強くてもいいかもしれない。私はそう考えて、魔石の出力をほんの少し上げた。——これがいけなかった。
ぶうん、と羽根がうなりを上げる。次の瞬間、桶の油が渦を巻いた。みるみる盛り上がったかと思うと、天井めがけて噴き上がる。
「わっ」
顔面に、生ぬるい油をまともに浴びた。羽根は止まるどころか、勢いを増して桶の中で暴れ回り、油をあたり一面にまき散らしていく。作業台の工具も棚も床も、みるみる油でぬらぬらと光りだす。慌てて動力を切ろうとした私の手は、油ですべって空を掻いた。
「ひえっ、なんだこれ!」
奥から飛び出してきたピコが、盛大に足を滑らせて、油の海に尻もちをついた。立ち上がろうとしてまた転び、そのたびに油まみれの床を這い回る羽目になっている。棚に手をかけて起き上がろうとすれば、その棚ごとぐらりと傾いて、修理待ちのランプがごとごとと転がり落ちた。
私はそれを受け止めようと飛びつき、当然のように滑って、ピコの上へ重なるように倒れ込む。
私も負けず劣らず、髪から前掛けから、頭のてっぺんまで油だらけ。まつ毛にまで油の玉がぶら下がって、まばたきするたびに視界がにじむ。二人して、油に絡めとられた虫みたいに、店の中でじたばたするばかり。
つかもうとすればすり抜け、踏ん張ろうとすれば流れる。撹拌機は我関せずと、桶の中でぶんぶん唸り続けている。天井にはとうとう、油の水玉模様まで描かれはじめた。
「なにやってんだ、あんたら」
呆れ果てた声とともに、隣から顔を出したのはヴィムだった。油まみれの店内と、床を這う私たちを見て、太い眉が片方だけ持ち上がる。私はせめて威厳を保とうと口を開いたが、出てきたのは「た、助けて」の一言だった。
ヴィムは大股で桶に歩み寄り、暴れる機構を無造作につかむと、指先で魔石の座を一ひねりした。ぶうん、という唸りがふつりと止む。とたんに、店じゅうに散っていた油が、しんと静まり返った。あとに残ったのは、上から下まで油で光る店と、同じく油で光る私とピコ。
「魔石を強いのに替えて、そのうえ出力まで上げたな」
ヴィムが機構をこちらへ突き返しながら言った。図星だった。石鹸を練るくらいの弱い動力でよかったのに、私は欲を出して、力を盛りすぎたのだ。「ちょっと、良くしてあげようと思って……」ともごもご言い訳する私に、ヴィムは短く息を吐いた。
「良かれと思って、が、いちばん質が悪い。道具は、頼まれたぶんだけ直しゃいい」
ぐうの音も出ない。職人としての、いちばん基本のところで私はしくじった。ヴィムはそれ以上小言を続けるでもなく、袖をまくって、床の油をぬぐう手伝いを始めた。
無口な人がこういうときだけは黙って手を動かしてくれる。ぶっきらぼうな横顔に、少しだけ笑いをこらえたような気配があった気がして——たぶん、気のせいではない。
三人がかりで店を拭き清めるのに、日が傾くまでかかった。床板の目に染み込んだ油はなかなか手強く、灰をまいて吸わせては、雑巾で何度もこすらなければならない。
ピコは油まみれの髪を井戸端でごしごし洗って「もう二度と、姉ちゃんの手伝いなんかしねえ」と口を尖らせていたが、油だらけの顔で言われてもまるで凄みがなかった。撹拌機は出力を元に戻し、石鹸を練るのにちょうどいい穏やかな回り方にやり直した。
今度は羽根を桶の油にひたしても、ゆるやかな渦ができるだけ。これでいい。道具は頼まれたぶんだけ。
ヴィムの言葉が油の匂いと一緒に、しばらく胸に残った。翌朝あらためて受け取りに来た石鹸屋のおかみさんは、ほどよく回る羽根に満足そうにうなずいて、修理代に石鹸をひとつおまけしてくれた。
「あんたんとこ、なんだか油くさいねえ」
おかみさんの何気ないひとことに、拭いても拭いても取れない油の匂いを思い出して、私は顔から火が出そうになった。ピコがけらけら笑い、壁の向こうで、槌の音が一拍だけ止まった。
次話:「街じゅうが浮き足立つ、その前に」




