↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
壊れたままのあなたも、ここにいていい――悪役令嬢の魔導具修理店  作者: 夜凪 蒼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
27/32

第26話「もう直せないと、私は鍵を置く」

報せは豆の袋と一緒に届いた。


「詮議、流れたよ」


 寄合帰りのダリア婆さんが、うちの作業台に豆の袋をどんと置いて、湯呑みも待たずに言った。荷馬車道は川沿いの高台へ回される。窪地の埋め立ては銭がかかりすぎると割れて、後ろ盾の貴族筋が手を引いた。


 とどめはヴィムの作った偽銘石の目録で、あれが役所に渡ってから、商会の帳面に監査が入ったのだという。


「星籠の評判も効いたね。王宮工房の腕がある路地を潰したとあっちゃ、役人の名折れだ。……お嬢ちゃんの書いた紙も、ちゃんと綴りに残ってたってさ」


 陳情書は積み荷のひとつだった。婆さんの啖呵とヴィムの目録と、街灯の列と拇印の並んだ紙一枚と。どれが欠けても岩は逸れなかっただろう。それでいい。この路地は誰かひとりの手柄で残るような、やわな場所ではないのだ。


 夜には乾物屋で樽が開いた。靴直しの親方が真っ先に酔い、ピコは祝いの揚げ菓子を両手に握って頬をりすにしている。帰りぎわ、あの子は店の床を指さして言った。


「釘、抜こうか?」


「打ったままでいいわ。床は丈夫なほうがいい」


 ピコは満足そうにうなずいて、宴の輪へ戻っていった。めでたい夜だ。ほんとうにめでたい。


 それなのに笑うたび、頬の内側だけがこわばっていくのが自分で分かった。杯を持つ手は温まらず、囃し声は耳のすぐ外側で跳ねて、胸まで届かずに落ちる。私は戸締りを忘れたと小さく断って、輪を抜けた。


 嘘だった。うちの鍵は前掛けの物入れで、さっきから冷たいままそこにある。


 店に戻って、灯りをひとつだけ点けた。


 棚のいちばん奥から、母の箱を下ろす。今夜これをやると決めていたわけではない。決めていなかったのに、手は迷いなく毛布をほどいていた。


 路地は守られ、ヴィムの籠は鳴り、ピコの筒も鳴った。直らないものが順番に直っていく冬の底で、なら次は、と手が思ってしまう。この浅ましさにももう慣れた。


 最後の分解を始める。


 最後、と手が知っていた。いつもの分解は要所を検めるだけだが今夜は違う。蓋・蝶番・響き板・香箱・ぜんまい・円筒・櫛歯・風切り・軸受けの石、そしてねじの1本まで。


 ばらせるものをぜんぶばらして、作業台に敷いた白布の上へ、部品を升目に並べていく。母がくれた手順のとおり、右から左へ。夜半を越えて、箱はとうとう、箱のかたちを失った。


 白布の上に、小さな銀と真鍮の星座が並んでいる。


 私はそれを、端から一つずつルーペで検めた。欠けも曲がりも錆もどこにもない。ぜんまいは張りを保ち、櫛歯の並びは譜面のように正しく、軸受けの石は磨いた夜空の色をしている。何十回も見てきた答えが、部品の数だけ積み上がっていく。健康。健康。どこまでいっても健康。


 機構は嘘をつかない。私はその信条で食べてきた。だから、これだけ検めて嘘が出ないのなら、認めるべき答えはひとつしかない。


 この箱は壊れていない。


 壊れていないものは——直せない。


 手が止まった。ルーペが指から滑って、白布の上に音もなく落ちる。直すというのは壊れたところを探して、そこへ手を入れることだ。


 壊れたところのないものに、修理屋のできることは何もない。私は5年間、ありもしない故障を探して、この箱を開けては閉めてきた。母の形見に、ないものを探し続けてきた。


 窓の外を、宴のはねた足音が通り過ぎていく。誰かの鼻歌。戸口の氷を踏み割る音。それらが遠ざかって、店の中には火鉢の炭が崩れる音だけが残った。


 私は箱を組み直した。


 手順は逆にたどるだけで指は勝手に動く。ねじを締めて櫛歯を据え、円筒を戻して響き板を留め、蝶番を噛ませて蓋を閉じる。仕上げに、ゆるんでもいない留め金をひと撫でした。癖だ。この癖も今夜で終わりにする。


 毛布にくるんで棚のいちばん奥へ。それから私は作業台の工具を仕舞いはじめた。細口の鏨、先を潰した鑷子、飴色のねじ回し。


 使う順とは逆に、左から右へ布に巻いていく。この箱のためだけに誂えた極細の鑷子が1本ある。母の箱の、いちばん奥のねじにしか使わない。


 それを布の芯に置いて、固く巻いた。


 もう、直せない。


 口には出さなかった。出さなくても布を巻く指がひと巻きごとに認めていく。技も道具もこの5年も、あの箱には届かない。届かない場所があると知るために5年かかった。


 表の戸を閉めて、鍵を回した。


 いつもの夜なら、鍵はそのまま前掛けの物入れへ戻る。開店の鈴と対の、明日へ続けるための小さな儀式。けれど今夜、私は回し終えた鍵を手のひらに載せたまま、しばらく戸口に立っていた。


 鉄の冷たさが手袋越しでも染みてくる。この鍵は明日もこの戸を開ける。開かないと決めた箱がひとつ、この戸の内側に増えた。


 その勘定を、今夜の私はまだ誰にも見せられない。


 鍵を、戸口の内側の古釘に掛けた。


 持ち歩くのをやめたわけではない。今夜だけ、手放しておきたかった。開ける道具を身につけたまま眠れるほど、今夜の私は器用ではないから。


 二階へ上がる階段の途中で、壁の向こうの気配に気づいた。槌の音がしない。こんな刻限まで起きている人の、起きているのに音を立てない静けさが、壁一枚むこうにある。


 ほどなく、表で雪を踏む足音。宴から帰ったピコが土間へ滑り込んでくる。「姉ちゃん、寝た?」——小声はしばらく階段の下をうかがって、返事をしない私に、それ以上は踏み込んでこなかった。


 訊きたいことを呑み込んだ気配だけが、毛布にくるまる音の奥に残る。誰も何も訊かない。訊かないでいてくれる人たちの息づかいを、私は階段の途中で聞いている。


 釘に掛かった鍵が、火鉢の残り火をうつして鈍く光っていた。私はそれを見なかったことにして、部屋の戸を閉めた。


次話:「今度はみんなが、私の店に来る」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。