↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
壊れたままのあなたも、ここにいていい――悪役令嬢の魔導具修理店  作者: 夜凪 蒼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
26/32

第25話「小さな形見を、小さな手に返す」

その朝、ピコは上着の内側に3回手を入れて、3回ともやめた。


 雪はやんで路地は白いままだ。立ち退きの詮議はまだ役所の机で眠っていて、錆び横丁は星籠の灯る夜と凍える朝とを行き来している。私は火鉢に粉魔石を足しながら、4回目を待つことにした。せっつかない。あの布包みに触れる手つきだけは、急かしてはいけないと決めている。


 4回目は昼過ぎに来た。


「姉ちゃん」


 作業台の前に立ったピコが、布包みを両手で突き出していた。目は包みに落としたまま、耳だけ赤い。


「これ……直して」


 自分の息を呑む音が耳の奥で鳴った。直したら終わっちゃう気がする、と床を見て言ったあの日から、この包みは一度もほどかれていない。私は工具を置き、手の油を丁寧に拭ってから、両手で受け取った。


 軽い。こんなに軽いものを、この子は何年も、命綱みたいに抱えて歩いてきたのだ。


「いいの?」


「……こわれたまんまなら続いてる、って思ってた。けど、ちがった」


 ピコは足元の床板を、爪先でこつんと蹴る。自分で打った釘の頭がそこにある。


「ヴィムのおっさんの籠、直ったろ。おっさん、じいさんの話するとき、前は謝ってるみたいな顔してたのに、今は自慢すんだよ。……直っても、終わんなかった。だから」


 だから、の先をピコは言わなかった。言わなくていい。私は結び目に指をかけた。


 布の中から出てきたのは、手のひらに載る小さな真鍮の筒だった。表面は無数の細かい傷で曇り、片側の網の窓がべこりと凹んでいる。伝声管——いや、違う。


 管がない。対で使う伝声具の、片割れだ。決まった呼び声を対の筒に吹き込むと、離れた場所のもう片方が澄んだ音で鳴る。


 行商人が家族への合図に使う、少し値の張る品。


「とうちゃんの。……鳴るほう」


 ピコの説明はそれで全部だった。父親は魔導具の行商人で、市場を回るあいだ、ピコは荷車の番をして待つ。帰り道になると、懐でこれがころころ鳴った。


 それが「もうすぐ帰る」の合図で——鳴らなくなったわけを、ピコは「転んだ」とだけ言った。いつ、どこで転んだのかは言わない。私も訊かなかった。


 診立てには半時かけた。


 凹んだ窓を外し、中の振動板を光に透かす。歪みがふた筋。落とした衝撃だろう、共鳴結晶を抱く座金も片側が浮いて、細い魔導線が根元から切れている。


 私はルーペを目に当てたまま、いちばん肝心なところを確かめた。座の奥の、小指の先ほどの乳白色の石。罅は——ない。


 指先で触れると、冷たい石の内側に、かすかな響きの余韻が眠っている。


「結晶は生きてる」


 言った途端、ピコの肩からすとんと力が抜けるのが分かった。この石が割れていたら替えるほかなく、替えれば、覚えているものごと失われる。


「この石はね、呼び声のかたちを覚えてるの。あなたのお父さんが、あなたを呼ぶために決めた言葉。音にはもう、できないけれど」


「……なんて言ってたか、わかる?」


「ごめんなさい。そこまでは、私の腕でも」


 ピコはしばらく黙って、それからちょっと笑った。


「いい。おれがおぼえてる」


 教えてはくれなかった。それはこの子と父親の、ふたりだけの言葉なのだろう。


 修理は二人がかりでやった。歪んだ振動板は替えの薄板から切り出して、縁を私がならし、座金の浮いたねじはピコに締めさせる。ちび助の指もずいぶん器用になったもので、ねじ回しの返しに迷いがない。


 切れた魔導線を私がつなぎ直し、凹んだ窓は——これはお隣の領分だ。壁を2回叩くと、ものの数分で本人が金槌ごとやって来て、真鍮の窓を当て木の上でこつこつと叩き出してくれた。


「網は、張り替えるか」


「ううん。傷は残して」


 ピコが言うより早く、私の口が動いていた。ヴィムは私とピコを見比べて、傷だらけの窓をそのまま嵌め戻す。この傷はこの筒が生きてきた道のりで、消していいものではない。星籠の台座の隅で、焼けた欠片が光っているのと同じことだ。


 組み上がった筒を、ピコは両手で包んで耳に当てた。


 鳴らない。当たり前だ。これは受けるほうの片割れで、呼ぶほうの筒は、父親の荷物と一緒にどこかへ消えている。直っても呼ぶ人がいなければこの子は黙ったままだ。ピコもそれは分かっていて、それでも耳に当てたまま、目をつぶっている。


「……そっか。おれ、呼ばれてたんだなあ」


 ぽつりとこぼれた声に、恨みの色はなかった。市場の隅で荷車の番をしていた小さな男の子は、呼ばれる側だったのだ。呼ばれるというのは、待っていていいということだ。帰る人があなたのいる場所を忘れずにいるということだ。私はそれを、この子の横顔から教わっている。


 棚から、部品取り用の壊れた伝声管を下ろした。


「ピコ。呼ぶほうの筒、作りましょう」


「え?」


「対の相方は組めるの。結晶の調律さえ合わせれば。……その子、まだ働ける子よ。棚の奥で思い出になるには早すぎる」


 ヴィムが黙って真鍮の胴を転がしてよこした。金物屋の端材で、寸法はもうぴたりと合っている。この人は話が早い。


 調律は夕方までかかった。新しい送り筒に、新しい呼び声をひとつ刻む。結晶は幾つでも覚えられて、古い声の上に重ねても前のかたちは消えない。送り筒に唇を寄せる段になって、私は少しだけ迷った。刻むのは私の声だ。何と言って、この子を呼ぼう。


「ピコ、ごはんよ」


 それに決めた。ピコが「うわ、ふつう」と鼻に皺を寄せる。ふつうがいちばん毎日使えるのよ、と私は言い返した。


 試しは日暮れの路地でやった。ピコが形見の筒を握って坂の下まで駆けていき、私は店の戸口で送り筒をかまえる。息を吸って、いつもの夕方の声で吹き込んだ。


 ——ピコ、ごはんよ。


 数えて三つ。坂の下で、澄んだ音がころりと転がった。雪の路地は音がよく通る。それより早く、雪を蹴散らす足音がこちらへ駆け上がってくる。


「鳴った! 姉ちゃん、鳴った! とうちゃんのときと、おんなじ音!」


 真っ赤なほっぺたで、息を白く弾ませて、ピコは筒を頭の上に掲げて走ってくる。私は戸口で鍋の蓋を開けた。豆と芋の匂いが湯気になって、冬の路地へ流れ出していく。


 雪の上には小さな足あとが、坂の下から戸口まで一直線についていた。呼ばれてから帰りつくまで、寄り道はなしらしい。


次話:「もう直せないと、私は鍵を置く」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。