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壊れたままのあなたも、ここにいていい――悪役令嬢の魔導具修理店  作者: 夜凪 蒼


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第23話「錆を落とせば、あの人は前を向く」

街灯を全部点し終えた晩の翌朝、ヴィムがうちの戸口に立って、開口一番こう言った。


「籠を、仕上げる」


 立ち退き騒ぎが始まってから、星籠の夜は途絶えていた。手が街灯に取られていたせいもある。けれど本当の理由は、原因の知れない敗北に、二人とも少しくたびれていたからだ。その目に火が戻っている。


「じいさんは言ってた。空を見上げられねえ連中の天井に、星を灯すんだと。……この横丁は今、まさにそれだろう。値のつかない土地だと、図面の上から言われてる」


 だから灯す。値札を書き換えさせる。口上はそれきりで、私に否やのあるはずもなかった。


 その晩から、私たちは図面の後ろのほう——動力側の頁を初めて本気で読み込んだ。余白の書き込みは、機構の頁よりさらにびっしりしている。石の等級は二を用いよ。


 送りは全開にて主珠目覚む。半端な火を星と呼ぶな。几帳面な字で書かれた遺言みたいな指図の連なりに、ヴィムの眉がぴくりと動いた。


「……全開か」


「全開ね」


 最初の刻みで光が死んでいた理由がこれでわかった。この籠は遠慮した火では動かないように出来ているのだ。夜空を丸ごと降らせようという仕掛けが、半端な覚悟の火で回るはずもない。作った人の顔は知らないけれど、笑い皺の奥の頑固さまで、余白の字から透けて見える気がした。


 等級二の石はうちの在庫にはない。冬の魔石は値が上がりきっていて、石屋を3軒回って、ようやく手頃な出物に行き当たった。掘り出し物ですよ、と揉み手で言われた石を、銅貨を数えて買って帰る。


 試し送りは金物屋の炉の脇でやった。仮組みの受け座に石を据え、試し輪を噛ませて、少しずつ火を流す。


 三つ目の刻みで異変が来た。


 ぶうん、と試し輪が唸りを上げたのだ。火の流れが荒れて、均すそばから波打って、焦げた匂いが鼻を突く。ヴィムの手が弾かれたように送りを閉じた。試し輪の表面に、黒い筋が波の形に走り抜けている。


 沈黙が長かった。


「……俺の、締めが甘かったのか」


 あの人はそう言って、受け座の留めを確かめはじめた。一度、二度、三度。同じ箇所を、爪が白くなるほど締め直す。その手つきを見て、私は胸の奥が冷えた。これは今の話じゃない。5年前の夜を、この人はまだ締め直し続けている。


「ヴィム。石を見せて」


 答えを待たずに、私は座から石を外した。ルーペを目に当てる。等級の銘は確かに二。けれど刻印の縁が、わずかに二重にぶれている。彫り直しだ。それに、手のひらに載せた目方が銘に対して軽すぎる。等級は石の澄みと目方で決まる。この石は磨いて化粧した四等——銘の偽物だ。


「偽銘よ。石が荒れてたの。あなたの締めじゃない」


 ヴィムは動かなかった。聞こえているのかどうかもわからない。やがてあの人は無言で自分の道具箱を開け、いちばん底から油紙の包みを取り出した。


 開かれた包みの中身は、焼け焦げた金具の欠片だった。


「式典の仕掛けの、接点だ。……検分の場から、黙って持ち出した。俺の締めのどこが甘かったのか、死ぬまで見てるつもりだった」


 5年間、道具箱の底で錆びるに任せた自罰の欠片。ヴィムはそれを試し輪の隣に置いた。煤と錆の下に同じものがある。波の形に走る、黒い焼け筋。


「……同じ、だな」


「同じよ。見て、ここ。締めが緩んで焼けるなら、焦げは接点に点で残る。石が荒れて焼けたから、筋になって流れてる。それにあなたの接点、焼けてない。緩んだ痕すらない」


 ルーペを差し出すと、ヴィムは受け取って、長いこと欠片を覗いていた。それから、ゆっくりと作業台に手をついた。


「……じゃあ、あの夜のは」


「納めの石が、偽銘だった。今夜と同じように」


「…………5年だぞ」


 絞り出した声は喜びの形をしていなかった。頭で分かることと、胸が追いつくことは別なのだ。5年間、自分の手を疑って大きな仕事から逃げて、師匠の忘れ物に布を掛けて。


 その年月は真実が分かったからといって返ってはこない。私は何も言わずに、隣で石の検分を続けた。慰めの言葉より、手を動かす音のほうがこの人には届く。


 それくらいはもう知っている。


 どれほど経ったか、ヴィムが顔を上げた。


「……検め石が、ある」


 道具箱の底から、もうひとつの油紙。じいさんの形見だ、と短い説明がついた。等級の基準になる、銘の確かな石が小さな袋にみっしり詰まっている。石屋を信じるな、銘は己の目で検めろ——余白の字が、5年越しに弟子の手へ道具を渡した。


 受け座に検め石を据え直す。魔導線を確かめ、珠の並びを確かめる。ピコは木箱の特等席だ。この夜ばかりはあの子も眠らなかった。


 ヴィムの指が均し輪にかかる。


 最初の刻み。珠が薄く灯る。二つ目、三つ目。あの晩ごとに指が引き返していた場所を、今夜は音もなく越えていく。四つ目で主珠の芯にぽつりと白い点が生まれる。うるせえよ、じいさん——低い呟きと同時に、輪は全開まで回り切っていた。


 夜空が降ってきた。


 金物屋の煤けた天井いっぱいに、光の粒が撒かれている。北をめぐる七つ星。南に横たわる大河。


 硝子の珠のひとつずつが息を吹き返して、骨組みの影を溶かして、屋根の下に本物の星図が浮かんでいる。ピコが声にならない声を上げて立ち上がり、遅れて表から人が雪崩れ込んできた。ダリア婆さんも寄合の顔ぶれも、膝の悪い靴直しの親方まで。


「こいつは……出てくには、ちと惜しいなあ」


 親方が天井を見上げたまま呟いて、洟をすすった。婆さんはしばらく黙って星を眺めて、それから商売人の顔に戻った。


「お嬢ちゃん、こいつは効くよ。王宮工房の腕がこの路地にある——向こうさんの帳面にそう書かせてやろうじゃないか」


 割増金の先触れに来ていた商会の若い衆も、戸口で星空を見上げたまま立ち尽くしたあげく、帳面に何かを書きつけて帰った。それで立ち退きが消えるわけではない。詮議は詮議のまま、貼り紙も剥がれてはいない。


 それでも値踏みの目が値を書き直しはじめた音を、確かに聞いた気がした。


 人が引けたあと、ヴィムは炉の前で、あの焼けた欠片を磨いていた。


 5年間そのままにした錆と煤を、砥の粉で少しずつ落としていく。焼け筋の傷痕は消えない。消えないまま、その下から真鍮の地金が鈍く光りだす。あの人は磨き上げた欠片を、星籠の台座の隅に嵌め込んだ。傷ごと、部品にするつもりらしい。


「次は、でかい仕事も受ける」


 こちらを見ないでヴィムは言った。


「リーゼ。あんたの隣で仕事してると、逃げてるのが馬鹿らしくなる」


 返す言葉を探すうちに目の奥がじんと熱くなって、私は慌てて欠片の光を見るふりをした。ここ数日の疲れが、喜びと一緒くたになって背中にのしかかってくる。指のあかぎれが今さら痛みだす。それでも今夜のこの痛みは、悪い痛みではないのだった。


 錆び横丁の屋根の下に、返しそびれた5年ぶんの星が降っている。


次話:「母の子守唄は、どこにも鳴らない」

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