↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
壊れたままのあなたも、ここにいていい――悪役令嬢の魔導具修理店  作者: 夜凪 蒼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
19/32

第18話「許すより先に、お茶を淹れましょう」

秋が深まって、店の隅に据えた火鉢がそろそろ恋しい季節になった。


 その日、私はちょうど湯を沸かしていた。近ごろ手に入れた安い茶葉を縁の欠けた土瓶で蒸らすのが、昼下がりのささやかな楽しみだ。湯気の立つ土瓶を火鉢からおろしたところで、店の戸口に見覚えのある小さな人影が立った。


 ソフィアだった。前に来たときより、外套の裾を握る指がいくらか落ち着いている。それでも敷居のところで、彼女はやっぱり少しためらってから、意を決したように中へ入ってきた。手の中に大事そうに何かを包み込んでいる。


「壊れたものを、持ってきました。……その、リーゼ様に、直していただきたくて」


 差し出された手のひらに載っていたのは、細い鎖のついた銀のペンダントだった。楕円の蓋がついた、掌にすっぽり収まる小さな蓋物になっている。表には蔦と小花の彫り。その蓋の合わせ目の蝶番が、ねじ切れそうに曲がって、ぱっくりと開かなくなっている。


「母の、形見なのです」


 ソフィアは消え入りそうな声で語った。母君が幼い自分の枕元でこれを開いて、夜のあいだ、中の灯りをともしてくれたこと。眠るのがこわい子だったから、朝までそばで小さく光っていてくれたこと。母君を亡くしてからは、この蓋物が母のかわりだったこと。


「この1年、わたし、これをずっと握って眠っていました。握っていれば、少しは罰を受けている気がして。……でも、握りしめすぎて……蝶番を、こんなに」


 ソフィアの声が湿りはじめる。これを直してもらえたら、少しは償いになるだろうか。リーゼ様に赦してもらえるなら——そう言いかけた彼女を、私は片手でやんわりと押しとどめた。


「許すより先に、お茶を淹れましょう」


 蒸らしておいた土瓶の茶を、欠けた湯呑みふたつに注いだ。安茶の少し青くさい湯気が立ちのぼる。赦すだの償うだのという重たい言葉は、熱い茶を一口すすってからでも遅くない。


 むしろそういう話ほど、湯呑みを両手で包んでからのほうがいい。湯呑みの熱はかじかんだ指からじんわりと伝わって、こわばった肩をほどいてくれる。壊れた道具を抱えてくるお客さんにも、私はまずこうして一杯を出す。


 直すのはそれからでいい。ソフィアは面食らった顔をしたが、それでも素直に、差し出した湯呑みを受け取った。


 表の路地を、ピコが誰かと言い合いながら駆け抜けていく。「だから、値切るならほかを当たれって!」。使い走りのくせに商売の口上だけ一人前になった声が、遠ざかって角の向こうへ消えた。ソフィアがきょとんとして、それから小さく噴き出す。店の空気がひとつやわらかくなった。


 私は蓋物を作業台に置いて、蝶番を覗き込んだ。髪ほどの細い軸がぐにゃりと曲がっている。無理にこじ開ければ、いつかの舞踏人形のぜんまいのようにぱきんと折れる。


 あの乾いた音を私はもう二度と聞きたくない。だから、急がない。軸の曲がりは一度に戻そうとすれば必ず折れるのだ。


 ほんの少し力を入れては休め、金属が新しい形になじむのを待って、また少し。焦ってぜんまいを折ったあの夜から、私はこの「待つ」という手順を、ようやく体で覚えた。曲がった軸を溶き油に浸してじっくりゆるめ、木の当て木を添えて、少しずつ元の角度へ戻していく。


 ソフィアは湯呑みを両手で包んだまま、私の指先をじっと見つめていた。


 その待ち時間の途中で、ソフィアがぽつりと口を開いた。


「リーゼ様。……このあいだの続きを、言わせてください」


 手を止めずに、私は「ええ」とだけ返した。前に来たとき、私はこの人の告白を途中で塞いだ。私のために言うのなら、言わせるつもりはなかったからだ。


 けれど今日のこの人は湯呑みを置いて、まっすぐに背筋を伸ばしている。誰かのためではなく、自分の荷物を下ろしに来た人の顔だった。


「あの夜——建国祭の夜、先にシャンデリアに触れたのは、わたしです。飾りの星がひとつ、ゆがんで見えて。手が届きそうで、つい背伸びをして。触れたとたん、光がみんな消えて。……こわくて、言えませんでした。リーゼ様がすべてを失っていくのを見ていながら、わたし、最後まで何も」


 声は震えていたけれど、途切れはしなかった。私は当て木を支える指に、わずかに力を添える。軸がまた少し、素直な角度へ戻る。


「言えました」


 言い終えて、ソフィアは長い、ながい息を吐いた。私は顔を上げず、手の中の仕事に目を落としたまま頷いた。裁きの言葉はどちらの側のものも、この店には置いていない。かわりにここには、直りかけの蝶番と、ぬるくなりかけの茶がある。


 どれくらい、そうしていたのだろう。曲がりが取れて、蝶番がなめらかに動くようになったところで、私はそっと蓋を開いた。


 中から、やわらかな光がこぼれ出す。


 蓋の裏に仕込まれた小さな魔石がまだ生きていた。閉じ込められていた1年ぶんの光が、ふわりと二人の手元を照らす。蜜色の、まどろむような灯り。


 火鉢の赤い熾火とはちがう、ふっくらとくるむような明るさだ。眠れない夜に、母親が子の枕元でともしてやる、あの灯りだった。ソフィアの母君はこの小さな明かりひとつで、こわがりな娘の夜を朝までそばで守っていたのだろう。


「……ああ」


 ソフィアの口から、声にならない息がこぼれた。涙ではなかった。張りつめていた肩が、ゆっくりと下りていく。1年のあいだ握りしめて、開けることも捨てることもできなかったものが、今は手のひらの上で静かに明るんでいる。


 ソフィアはしばらく光を覗き込んで、それから、ふっと肩の力を抜いて笑った。泣き笑いではない。憑き物の落ちたような、素の笑いだった。


「おかしいですよね。償いのつもりで握ったもので、わたし、母の灯りを自分で閉じ込めてしまっていたなんて」


「よくあることですよ。壊れたものを持ってくるお客さんは、たいてい、大事にしすぎて壊すんです」


 私がそう返すと、ソフィアは今度こそ、声を立てて小さく笑った。私もつられて笑う。赦す、という言葉を、私たちはとうとう一度も口にしなかった。使わずに、ぬるくなった茶を飲みほして、灯りを覗き込む。それが私たちなりの赦しの作法だった。


 修理代を、と財布を出しかけたソフィアを私は押しとどめた。かわりにこう言う。


「その蝶番、また曲がりやすいの。ときどき見せに来てくださいな。……お茶のついでに」


 ソフィアの目がまるくなった。それから、その顔に、これまでで一番やわらかい笑みが広がる。恩人でも贖罪の相手でもなく、ひとりの——お茶を飲みに来る人として、また来ていい。そう言われたのだと、彼女はちゃんと受け取ったらしい。


「はい。……はい、必ず」


 言ってから、ソフィアは自分の声の張りに、少し驚いたような顔をした。おどおどと語尾を濁す癖が、その一瞬だけ、どこかへ行っていたらしい。壊れていたのは蓋物だけではなかったのだと、私はそのとき、なんとなく思った。


 帰っていくソフィアの足取りは、来たときより見ちがえるほど軽かった。裾を握りしめていた手はもう、蓋物を胸のあたりでそっと包んでいる。


 井戸端で湯呑みを洗いながら、私はひとつ、大きく息を吐いた。思えばずいぶん長いこと、浅い息のまま暮らしてきた気がする。庇ったあの日から、どこか息を詰めていたのは、ソフィアだけではなかったのかもしれない。


 秋の水は指を刺すほど冷たかったけれど、吐いた息だけは火鉢のそばにいたみたいに、ほんのりとぬくかった。


次話:「師匠の忘れ物はまだ眠っている」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。