第12話「頭を下げるのも、職人の仕事です」
眠れないまま迎えた朝は、いっそ恨めしいほどよく晴れていた。
私は寝台の下から蓄えの瓶を引っぱり出して、中身を作業台にあけた。銀貨が11枚と銅貨がひと山。開店からこつこつ貯めてきた、冬越しと魔石の仕入れのための全部だ。
そこへ手つかずの手付の銀貨5枚を重ねて、私は布の財布へ順にしまっていった。壊した調速ぜんまいは特注の品。同じものを職人に頼めば、銀貨10枚は下らないだろう。
人形は柔らかい布で幾重にもくるんで、背負い籠にそっと納めた。
「姉ちゃん、ほんとに全部持ってくの」
枕元からついてきたピコが、銀貨の山と私の顔を見比べた。わざと壊したんじゃないのに、なんで謝りに行くんだよ、と口を尖らせる。気持ちはありがたい。けれどこれはそういうものではないのだ。
「頭を下げるのも、職人の仕事なの」
壊れた道具を預かるというのは、思い出ごと預かるということ。私はそれを看板にしてきた。だったら、しくじったときに詫びるのも、思い出の分まででなければ釣り合わない。
店を出ると、乾物屋の前でダリア婆さんが箒を使っていた。私の顔と背負い籠を見て、だいたいのことを察したらしい。噂はもう路地を一周しているのだろう。
「詫びってのはねえ、早いほど安くつくんだ。行っといで」
婆さんはそう言って、箒の先で坂の上をしゃくった。顔を上げるのは下げたあとでいくらでもできるさ——その声を背中に受けて、私は坂を上りはじめる。
ロレンツ商会は貴族街の入り口に店を構える立派な石造りだった。今日が婚礼の当日だということは、行けばいやでもわかる。門には花綱が渡され、使用人たちが荷を抱えて駆け回っている。
その浮き立った空気のいちばん奥で、女主人は私を迎えた。焦げ茶の絹をまとった、背筋のまっすぐな人だ。
私は床に膝がつくほど深く頭を下げて、手付の銀貨と、蓄えのほとんどを詫びと弁償にあてるつもりで差し出した。言い訳はひとつも口にしなかった。納期を軽んじたこと、腕を量り違えたこと、心臓部の部品をこの手で折ったこと。事実だけを順に述べた。
長い沈黙のあとで、女主人は静かに言った。
「……娘の婚礼は、今日です。母の人形は、娘の門出に踊るはずでした」
「はい」
「それはもう、どうにもなりません。あなたが今さら何を差し出しても」
「はい」
ひとことずつが頭の上に石のように積まれていく。女主人は財布からまず手付の銀貨5枚を取り分け、それから部品の弁償にと銀貨11枚を数えて取った。銀貨はそれで全部だった。押し戻されたのは、銅貨の山だけ。
「詫び金は受け取りません。あなたを恨む理由を、お金で軽くしたくありませんから」
凛とした、恐ろしい人だった。私はもう一度頭を下げて、それでも言うべきことを言った。時間はかかっても、必ず直させてほしい。代金はいらない。あの人形の踊りを、切れたままで終わらせたくない。
女主人は長いこと私を見下ろしていたが、やがて短く息を吐いた。
「……持ってお帰りなさい。踊らない人形を、今のわたくしは見たくありません」
突き放す言葉のかたちをした、それは猶予だった。私は預かり直した人形を背負って、来た坂を降りる。婚礼の家から祝いの楽の音が鳴りはじめて、花綱の下をくぐるあいだ、私はうしろを振り返れなかった。
それからの数日、私は残った銅貨を路銀に部品を探して歩いた。貴族街の部品屋、古物市、時計職人の工房。どこでも答えは同じで、これほど薄い特注のぜんまいを巻ける手は今の王都にはいない、と首を振られるばかり。日が暮れるたび、作業台の上の踊らない人形と目が合った。
その朝も部品探しに出ようと戸を開けたときだ。敷居の上に、小さな布包みがちょこんと載っていた。開くと、油紙にくるまれて、渦を巻いた細いぜんまいが1本。焼きの入った鋼が、朝の光に青みがかって光っている。切れたあの子と、寸分違わない薄さだった。
隣を見ると、ヴィムはいつもどおり炉の前で鉄を叩いていた。留守のあいだに作業台の白い布を覗いたのか、それともピコが泣きついたのか。壁越しに何日も私の空振りの足音と溜め息を聞いていた人。
この薄さの鋼を鍛えて巻ける手が王都にひとつだけあったことを、私はすっかり忘れていた。
「ヴィム、これ……」
「……言っただろ」
それきり、彼は炉から顔を上げなかった。手に余ってるんじゃねえのか、と言ったあの晩のこと。説教はその一言で終わりだった。
代金を払うと言い張る私に、ヴィムは槌を止めないまま「貸しだ」とだけ言った。返しかたは向こうが決めるらしい。ずいぶん大きな貸しになりそうで、それがなぜだか嫌ではなかった。
ぜんまいを納めるのにはまる2日かけた。均衡環の軸は溶き油で一晩かけてゆるめ、歯車は決まった順を守ってひとつずつ戻していく。今度は急がない。焦りが顔を出すたびに、あの晩の乾いた音を思い出した。最後のねじを締め、魔石に念を通して、ねじ巻きを回す。
音律盤が澄んだ音をこぼして、絹の貴婦人がゆっくりと踊りはじめた。
小さな人形が宮廷の舞踏をひと差し舞う。その振りを私は知っていた。昔、数えきれないほど踊らされた、あの世界の踊り。膝の折りかた、手首の返しかた。人形の踊りはどこまでも正しくて、見ているうちに、なぜだか喉の奥が細く痛んだ。
届けた先の商会で、人形が踊り終えるまで、私は息を詰めて立っていた。女主人は扇も持たずに、じっとそれを見つめている。母君はこの踊りがことのほか得意だったそうだ。人形が最後に膝を折って礼をすると、まっすぐだった女主人の背中が、ほんのわずかにゆるんだ。
「……婚礼には、間に合いませんでした。その事実は消えません」
「はい」
「けれど——母の踊りは、戻ってきました」
それ以上の言葉はなく、それ以上を望むつもりもない。私は深く頭を下げて商会を出た。
夕暮れの坂を降りながら、軽くなった財布を振ってみる。底で銅貨が2枚だけちいさく鳴った。冬越しの蓄えは飛んで、手元に残ったのは高くついた教訓と、隣人への返しきれない借りがひとつ。
それでも足取りは、坂を上ったあの朝よりよほど軽かった。隣の店の前を通ると、戸の隙間から炉の火の色がのぞいている。この貸しの返しかたを、私はゆっくり考えることにした。
次話:「懐かしい紋章が扉を叩く」




