第十話 数えられていた祈り
聖女就任式の朝は、雲一つない、初夏の朝だった。
公爵邸の私室で、私は白の聖衣に袖を通した。布は、私が長く慣れた麻の白衣より上等で、けれど触り心地はよく似ていた。
マルタが、私の襟元を整えてくれた。
「お嬢様。お似合いでございます」
「ありがとう、マルタ」
「お嬢様。少しだけ、勝手なことを申し上げてもよろしゅうございますか」
「何かしら」
マルタが、鏡台の前で、私の顔を見た。
「お嬢様の今朝のお顔は、十五歳の冬の朝のお顔と、よく似ていらっしゃいます」
私は鏡の中の、自分の顔を見た。
十五歳の冬の朝、第七孤児院の火災から戻った日。あの朝、私はまだ十五歳のふつうの令嬢の顔をしていた。けれど、あの朝から、私は自分の道を、自分で歩き始めていた。
「私の七年は、あの朝から、始まっていたのね」
「ええ、お嬢様」
マルタが微笑んだ。
「今日、お嬢様は、あの朝の続きをお歩きになります」
私は頷いた。
寝台の脇の小卓を、もう一度見た。象牙の扇が、そこに置いてあった。昨夜、私が公爵邸に残すと決めた、十五歳の私の忘れ物。明日からは、父にお預けする。
その隣に、母の形見の真珠の首飾り。これも、今日から公爵邸に残る。聖女の白には、真珠は合わせない。
私は懐に、もう一枚、紙を入れていた。
ピョートルの絵。
雪の中で、毛布を分け合って持つ二人の、不器用な絵。二歳の子が描いたものを、教会本部が七年、保管していてくれた。
これだけは、白衣の懐に、お持ちすることに決めていた。
書斎で、父が私を待っていた。父はご公務の正装をなさっていた。
「お父様」
「セレスティア」
父はしばらく、私の顔を見ていた。
「行こう」
父が私のほうへ、ご自分の腕を差し出された。
私は父の腕を取った。
七年、社交の場で、父の腕を取る機会はほとんどなかった。婚約者の隣を譲り続けてきた七年は、父の腕を取ることが許されていなかった七年でもあった。
今朝、私は父の腕を取った。
父の腕は、私が思っていたより、しっかりとしていた。
王都の中央広場で、人々は二つの方向に流れていた。王宮では廃太子と立太子の儀。教会本部では聖女就任式。同じ刻、別々の場所で、二つの儀礼が執り行われる。
馬車の中で、父が低くおっしゃった。
「ジュリアン殿下は、今朝、王宮をお発ちにならないそうだ」
「南部の離宮へ、ということでしたが」
「立太子の儀を見届けてから、お発ちになる、とのことだ。継承権の放棄は書面で済んでいる。ご出席は、必須ではない」
私は頷いた。
殿下がご出席なさるかどうかは、殿下ご自身のお選びだろうと思った。
教会本部の門の前で、馬車が止まった。
馬車を降りると、門の内側で、枢機卿閣下がお待ちになっていらした。
聖務の最も格式の高い祭服。深い紫の絹に、銀の刺繍。胸元には、金の十字架。
七年前、第七孤児院の前で、雪の中から走り寄ってきてくださった、若い司教の面影が、今朝のお姿の中に、まだわずかに残っていた。
「公爵令嬢」
「枢機卿閣下」
「公爵閣下も、よくお越しくださいました」
父が深く礼をなさった。
枢機卿閣下が、私のほうへ手を差し伸べられた。
「祭壇まで、ご案内申し上げます」
私は父の腕を、ゆっくりと離した。
それから、枢機卿閣下の差し伸べられた手の、すぐ手前まで、自分の手を上げた。お取りはしなかった。聖務の場では、聖女と枢機卿の手は、儀式の場以外で触れることが、教会法上慎まれている。私は前夜の打ち合わせで、それを伺っていた。
枢機卿閣下が頷かれた。
私たちは、手をお取りしないまま、並んで大聖堂へ向かった。二人の間には、人が一人座れるだけの距離が、空けてあった。
大聖堂の中は、すでに列席の方々で満ちていた。
正面の最前列に、王妃アデルハイト陛下。お一人で座っていらした。立太子の儀には、国王陛下と、新しい王太子レオポルト殿下、そのほかのご親族が揃われている。王妃陛下お一人が、教会本部にお越しくださっていた。
その隣に、隣国の祝賀使節の方々。深い緑のお召し物に、金の徽章をつけられた、隣国の枢機卿。さらに、東の島国の大司教代理。北の山岳国の修道院長。それぞれの国の、教会の最高位の方々が揃っていらした。
王国の貴族の席は、その後ろに並んでいた。リンドホルム侯爵夫人。私の慈善行事を長く支えてくださった盟友のご一族。マグダレーナ修道女様も、シスター・ローザも、修道女の席に着いていらした。
ヤーコブお祖父様の姿はなかった。お体がまだ長旅に耐えられないと、シスター・ローザから事前にお知らせをいただいていた。代わりに、シスター・ローザの手に、ヤーコブお祖父様からの短い手紙が託されていた。
「セレスティア様。あなた様のお手の続きを、私は北の窓辺で、お祈り申し上げております」
大司教猊下が、祭壇の前でお待ちになっていらした。
私は聖衣の裾を、わずかに整えた。
それから、ゆっくりと祭壇へ向かった。
枢機卿閣下は、私の半歩、後ろを進まれた。
七年、私は、たくさんの方の半歩、後ろを歩いてきた。今日、初めて、私の半歩後ろを歩いてくださる方が、いらした。
祭壇の前で、私は立ち止まった。
大司教猊下が、低い祈祷を唱え始められた。古い聖句で、私は半分も意味を取れなかった。けれど、二月前、教会本部の応接室で初めて伺った時より、今日のほうがお声がよく聞こえた。
祈祷の最後の一節を、大司教猊下がはっきりと唱えられた。
「——次代の聖女として、これを認証する。教会は、その祈りをお守り申し上げる」
大司教猊下が、祭壇の上の銀の冠を取り上げられた。
冠は小さかった。王家の儀式に使われる重い金の冠ではない。細い銀の輪に、一輪、白の百合の彫りが施されているだけのものだった。先代聖女が、晩年に外して教会本部に預けたという冠だった。
大司教猊下が、その冠を私の頭の上に、ゆっくりと載せられた。
冠は、思っていたより軽かった。
軽さの中に、七十年の重さが込められていた。
「セレスティア・フォン・エルムハルト」
大司教猊下が、私の名前をお呼びになった。
「七年の沈黙の後、銀の封蝋に応えられたお方。あなた様を、次代の聖女として、教会の名のもとに、お認めいたします」
私は深く礼をした。
「畏まりました」
それだけ、申し上げた。
大聖堂の中で、誰も声を出さなかった。
祭壇の上の銀の盃に挿してあった、白い百合が、わずかに揺れた。
就任式の後、大聖堂の鐘塔から、鐘が長く鳴り始めた。
王宮の方角からも、別の鐘の音が聞こえてきた。
新しい王太子の、立太子を告げる鐘だった。
二つの鐘が、王都の空で、別々の調子で響き合っていた。
私は祭壇の前で、しばらくその鐘の音を聞いていた。
王妃陛下が、席から立ち上がられた。
私のほうへ、ゆっくりと進まれた。
「聖女様」
私は深く礼をした。
「王妃陛下」
王妃陛下が、ご自分の胸元から、小さな包みを取り出された。深い藍の絹に、銀の紐で結ばれた包み。
「これを、お納めくださいませ」
私は両手で、包みを受け取った。
絹の中には、古い銀の指輪が一つ、収まっていた。
「先王陛下が、私にお贈りくださった指輪でございます」
王妃陛下のお声は低かった。
「先王陛下が、ご自身でお気づきになった、あの冬の夜会の翌日に、お贈りくださいました。三年待った私のための、お選びの証でございます」
私は深く頭を下げた。
「もったいないお品でございます」
「あなた様の七年は、私の三年より、四年長うございました。私の宝をあなた様にお譲りすることで、あなた様の四年分の重さを、私に引き受けさせてくださいませ」
「畏まりました」
王妃陛下が、私の手を、もう一度お取りになった。
「セレスティア」
「はい、お母様」
王妃陛下がわずかに、目を潤ませられた。
「ありがとう」
「いえ——」
「ありがとう、セレスティア」
王妃陛下はそれだけ、おっしゃった。
それから、ご自身の席にお戻りになった。
列席の方々が、教会本部の庭で軽い茶会の歓談に入っていた頃。
教会本部の門前に、平服に身をやつした男性が、お一人立っていた。
馭者の修道士が、慌てて、応接の控えの間に知らせてきた。
「枢機卿閣下。門前に、ジュリアン殿下が」
「殿下が」
私と、枢機卿閣下と、大司教猊下が、控えの間でお話をしていた最中だった。
「南部の離宮へお発ちになる前に、教会の門前にお立ち寄りでございます。聖女様に、一言だけお会いしたい、とおっしゃっておられます」
私は息を整えた。
枢機卿閣下が、私のほうへ顔を向けられた。
「公爵令嬢。お会いになるか、お会いにならないか、ご自由にお決めくださいませ」
私はしばらく考えた。
考えてから、答えた。
「お会いいたしません」
枢機卿閣下が頷かれた。
「畏まりました」
「ただ」
私は続けた。
「殿下にお伝えくださいませ。お会いはいたしませんが、ご無事をお祈り申し上げる、と」
「お伝えいたします」
枢機卿閣下が、ご自身で門の方向へ進まれた。
私は控えの間の窓から、門の方向を見ていた。
直接、お姿は見えなかった。
しばらくして、馭者の修道士が戻ってきて、教えてくれた。
殿下は、門の前でしばらく立っていらした。
枢機卿閣下が、教会法に基づき、私的な面会はお認めできないこと、ただし聖女様のお祈りはお届けいただけることを、お伝えになった。
殿下はしばらく、何もおっしゃらなかった。
それから、低くこうおっしゃった。
「君なら……分かってくれると、思っておりました」
息を継ぐ間が、長かったらしい。
「けれど、僕は今日まで、君に何も、お返しできませんでした。七年、僕は、お返しすべきものを、お返しすべき方に、お返しせずに参りました」
殿下はそれだけ、おっしゃったとのことだった。
それから深く礼をなさり、平服のまま、門前を離れられた。
南部の離宮への馬車にお乗りになる前、もう一度、教会本部の方向を振り返られた。
それきり、振り返られなかった。
控えの間の窓の外で、雲がゆっくりと流れていた。
私はしばらく、その雲を見ていた。
「公爵令嬢」
枢機卿閣下が戻ってこられた。
「お疲れでございましょう」
「はい」
「少し、お庭を歩かれますか」
「お願いいたします」
教会本部の庭の、薔薇のアーチの下を、私たちはゆっくりと歩いた。
二人の間には、いつも通り、人が一人座れるだけの距離が空けてあった。
庭の奥、礼拝堂の脇に、低い石のベンチがあった。ベンチの隅には、わずかな引っ掻き傷が残っていた。
「七年前、第七孤児院の子供たちが、ここの石でいたずら書きをいたしました」
枢機卿閣下が、傷の上を指で軽くなぞられた。
「ヤン、ニーナ、エルマ、ピョートル——他、九名。みな、ここで半年、お預かりいたしました」
私はベンチの上の傷を見た。
七年前の冬の、雪の夜に私が手当てをした子供たちの、いたずらの跡だった。
枢機卿閣下が、礼拝堂の中から、一つの木箱を持ち出された。
中身は紙の束だった。
子供たちが描いた絵だった。
「あなた様への、お礼の絵でございます」
「私に——」
「左様でございます。子供たちが自分たちを助けてくれた『白い服のお姉さん』に、お礼を描きたいと申しまして、ヤンとピョートルが集めてくれました。十三枚、ございます」
私は絵を一枚ずつ見た。
ヤンの絵には、雪の中で女の人が毛布を抱えて立っている絵が描かれていた。女の人の頭の上に、雪の代わりに、銀の星がいくつか描かれていた。
ニーナの絵には、湯気の立つ碗と、私の手と思しき白い手が描かれていた。
エルマの絵は、十五歳の私の顔の、不器用な模写だった。目が左右で大きさが違った。
ピョートルの絵は、私の懐に入っていた。
「これらの絵を」
枢機卿閣下が続けられた。
「私は七年、ずっと保管してまいりました」
「ずっと」
「ええ」
私はもう一度、木箱の中を見た。
絵以外にも、子供たちの名前と、その後の成長を記録した帳面。私が孤児院で書いた処方の覚書の写し。火災の夜にシスター・ローザが書かれた看護記録の写し。教会本部の議事録の中の、私の名前が出てくる箇所の抜粋。七年分の紙の束が、収まっていた。
「これは」
「あなた様の七年でございます」
枢機卿閣下が低くおっしゃった。
「あなた様ご自身がお忘れになるかもしれない七年を、私は保管してまいりました」
私は紙の束の上に、手を置いた。
七年。
私自身が、毎日のお務めの中で忘れてきた七年が、ここにすべて残されていた。
「枢機卿閣下」
「はい」
私は声を整えた。
「お聞きしたいことが、ございます」
「何なりと」
私はベンチの脇に立った。
枢機卿閣下も、少し離れたところに立たれた。
「七年、これらをお保管くださっていたのは、教会のお務めとして、でございますか」
枢機卿閣下がしばらく黙られた。
それから、低くお答えになった。
「最初は、教会のお務めとして、でございました」
「最初は」
「ええ。三年目までは、教会上層の命に従い、職務として記録を続けてまいりました」
「三年目までは」
「四年目から、私は職務を超えて、保管を続けてまいりました」
私は息を呑んだ。
「四年目に、何かがございましたか」
枢機卿閣下がしばらく考えてから、お答えになった。
「四年目の春の、慈善夜会でございました。あなた様が、ヴェロニカ様の粗相を扇で隠しながら、ご自身の手で後始末をなさいました。あの夜、私は教会代表として、夜会の隅に控えておりました」
私はその夜会のことを覚えていた。四年前の春、ヴェロニカ様が献納の盆をひっくり返しかけた夜だった。
「あなた様の扇の閉じ方が、お決まりになりすぎていました」
枢機卿閣下が続けられた。
「あれは、初めての粗相を隠す時の扇の閉じ方ではございませんでした。何度も繰り返してきた者の、扇の閉じ方でございました」
私は、ゆっくりと息を吐いた。
「あの夜から、私は職務を超えて、あなた様の七年を保管し続けてまいりました」
枢機卿閣下のお声は、いつもより低かった。
「申し訳ございません」
「申し訳——」
「七年の沈黙の教義に、私は四年目から、職務を超えた感情を混ぜてしまいました。教会の御方として、不適切な振る舞いでございました。お詫び申し上げます」
私はしばらく、何も申し上げなかった。
それから、ゆっくりと口を開いた。
「枢機卿閣下」
「はい」
「お詫びを、申し上げないでくださいませ」
「公爵令嬢」
「七年、誰も声をかけてくださらなかった私のことを、職務を超えて保管し続けてくださったお気持ちに、お詫びをいただきとうはございません」
枢機卿閣下が顔を上げられた。
「閣下の七年も、お務めだけの七年ではなかった、ということを、伺いとう存じます」
枢機卿閣下がしばらく黙られた。
それから、深く頷かれた。
「ええ。お務めだけの七年ではございませんでした」
私は頷いた。
しばらく、私たちはお互いに、何も申し上げなかった。
薔薇のアーチの下を、初夏の風がゆっくりと通り抜けていった。
「公爵令嬢」
「はい」
「もう一つ、申し上げねばならないことが、ございます」
「何でしょう」
枢機卿閣下が息を整えられた。
それから、ゆっくりとお話しになった。
「私の出自について、申し上げます」
「ご出自」
「ええ」
枢機卿閣下が、ベンチの脇に座られた。
私もベンチに座った。
二人の間には、人が一人座れるだけの距離が空いていた。
「私は、表向きは、リンデンベルク侯爵家の次男として生まれました」
「ええ」
「けれど、本当の父は、リンデンベルク侯爵ではございません」
私は息を整えた。
「私の本当の父は、先王陛下でいらっしゃいました」
「先王陛下——」
「ええ。先王陛下と、当時の侍女頭の間に生まれた子でございます。母は、私を産んでまもなく亡くなりました。私はリンデンベルク侯爵家に引き取られ、侯爵家の次男として育てられました」
私はしばらく、何も申し上げられなかった。
「先王陛下は、私が八歳の時、ご存命のうちに私を教会にお預けになりました。王位継承を放棄する誓いを、私自身に立てさせるためでございました。当時の王太子、つまり今の国王陛下のご即位に、私の存在が影を落とさぬようにというお考えでございました」
「では、閣下は」
「国王陛下の、異母弟でございます。ジュリアン殿下の、叔父にあたります」
私は息を整えた。
「では、ジュリアン殿下とのお話を進めてくださった時、閣下は」
「ええ。叔父として、甥のお話を伺っておりました」
「ご親族同士でいらしたのですね」
「教会の上は知っております。王家の上も知っております。けれど、王家の系図には、私の名はございません」
私は頷いた。
「ですから、今日、聖女様としてのあなた様にお仕え申し上げることに、王家との婚姻、というご懸念は生じません。私は王家の継承に関わらない誓いを、八歳から立てております」
「では、閣下は王家とは別の場所で、ずっと生きてこられたのですね」
「ええ」
「そして七年前、第七孤児院の前で、十五歳の私とお会いになった」
「ええ。あの夜、私は二十六歳の若い司教でございました。教会のお務めとして、火災現場へ駆けつけました」
「あの夜の若い司教様は——」
「私でございました」
枢機卿閣下のお声は低かった。
「あなた様の手から、毛布の半分を受け取りました。あの夜、私は初めて、あなた様の手の温度を知りました」
私はゆっくりと頷いた。
枢機卿閣下が、ベンチの上で姿勢を整えられた。
「公爵令嬢」
「はい」
「私から、最後に申し上げたいことが、ございます」
「お聞きいたします」
「あなた様は聖女様となられました。私は枢機卿としてお仕え申し上げる立場でございます。聖務の場では、これからも二人の間には、人が一人座れるだけの距離が空けられます」
「ええ」
「けれど、聖務の場以外で」
枢機卿閣下が息を止められた。
それから、ゆっくりと続けられた。
「聖務の場以外で、あなた様の隣にずっと立たせていただく役を、私にお与えいただけませんでしょうか」
私は唇を結んだ。
「閣下——」
「聖女様の伴侶として、教会法の改正を、教会上層と進めてまいりました。先代聖女の予言書の一節に、『次代の聖女には、隣に立つ者をご自身でお選びになる権利が与えられる』との記述がございます。教会法は、この記述に基づき改正されました。あなた様のお選びを、教会は尊重申し上げます」
枢機卿閣下が、私のほうへ顔を向けられた。
「あなた様の隣に、ずっと立たせていただきたく存じます。お選び、いただけますでしょうか」
私はしばらく、何も申し上げられなかった。
七年、私はたくさんの選びを、人様に任せてきた。婚約者の隣を譲り続けてきた七年は、選びを自分のものとはしてこなかった七年だった。
数日前、ヴェロニカ様の選びを、ヴェロニカ様にお返し申し上げた。
今日、私は、自分の選びを、自分のものとして申し上げる番だった。
「アロイス様」
声に出して呼んだのは、初めてだった。
「はい」
その「はい」を、私はとても近くで聞いた。
「あなた様の隣に、私から立たせていただきます」
声を整えた。
「お選びいたします」
アロイス様が、深く頷かれた。
「ありがとうございます」
低い声だった。
私たちはしばらく、ベンチに並んで座っていた。
二人の間には、人が一人座れるだけの距離が、まだ空いていた。
けれど、その距離はもう、私たちの間の壁ではなく、私たちが選んだ礼節の場所だった。
「アロイス様」
「はい」
「七年前の冬の夜、第七孤児院の前で声をかけてくださいましたね」
「ええ」
「『あなた様のお手は、温かいですね』と」
「ええ」
「あの夜から、私の七年は始まっておりました」
私は息を整えた。
「そして、今日、私の七年は終わりました」
「ええ」
「明日から、新しい一日が始まります」
「ええ」
私はベンチの上の木箱に、もう一度目を落とした。
七年分の紙の束。
私が忘れていた、私の七年。
「アロイス様」
「はい」
「これらの紙の束を、これからは二人でお預かりしてもよろしいでしょうか」
「もちろんでございます」
「数えていただいた祈りを、これからは私も、数え返してまいります」
アロイス様が深く頷かれた。
「ありがとうございます」
大聖堂の鐘塔から、もう一度、鐘が長く鳴り始めた。
午後の祈祷の時刻だった。
王宮の方角からは、もう鐘は聞こえてこなかった。
立太子の儀が終わったということだった。
新しい王太子レオポルト殿下が、玉座の間で宣誓を済まされた頃だろう。
公爵邸の私室に戻り、私は寝台の脇の小卓に、王妃陛下からいただいた銀の指輪を置いた。
指輪の脇に、もう一つ、小さな絵を置いた。
ピョートルの絵。
雪の中で、女の人と若い男の人が、毛布を分け合って持つ絵。
二歳の子が描いた、不器用な絵だった。
その絵を、私は寝台の脇に飾ることにした。
灯を消した。
天井の梁の影が、暗い中で薄く見えた。
七年は終わった。
明日からの一日が、もうすぐ始まる。
公爵邸の窓の外で、初夏の風が王都の屋根を撫でていた。
王都のどこかで、新しい王太子のための燭台が、王宮の窓に灯されていた。
王都のどこかで、北の沈黙修道院へ向かう馬車が、夜の街道を進んでいた。
王都のどこかで、南部の離宮の窓辺で、平服の方が一人、月をご覧になっていらした。
そして王都のどこかで、教会本部の私室の燭台が、ゆっくりと消されていた。
それぞれの七年が、それぞれの場所で、それぞれの形で終わった。
それぞれの新しい一日が、明日、静かに始まろうとしていた。
私は目を閉じた。
天井の梁の影の、その向こうに、星が見える気がした。
七年前の冬の夜、第七孤児院の前で、雪の上に私が見上げた星と、同じ星が。
ピョートルの絵の中の、銀の星と。
数え続けてくださった方の、机の上の燭台の灯と。
それぞれが、別の場所で、同じ夜に灯っていた。
明日、私は、隣に立ってくださる方を、私から数え返す。
七年、数えていただいた祈りを、私の手で、私の声で、私の選びで、数え返す。
その朝が、もうすぐ、明けようとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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